第6話「歴戦の猛者」

警備隊のサリエリを一方的に打ち負かした一刀斎は、エルフの里の人々にとって得体の知れない剣術を使う化け物のような存在として恐れられるようになった。


そして一刀斎が住み着いた湖には決して近づくなと里長が発令する事態にまで発展し、同時に一刀斎に剣を習っているリイニャも腫物扱いをされるようになり、人々はリイニャを見かけると目を逸らすようになった。


継母のフィフィも、時折憎々しげにリイニャのことを睨みつけることはあれども、湖に通うリイニャを止めるようなことはしなかった。

それだけ一刀斎が見せた強さは圧倒的であった。


「今日で貴様を鍛え始めてひと月となるか。根をあげず、逃げ出さず、よく鍛錬に励んだ。約束通り某の弟子として認めよう」


サリエルと一刀斎の立ち合いから半月が過ぎたある日、鍛錬後にひっくり返って粗い息を吐いていたリイニャに向かい一刀斎はそう告げた。

リイニャは慌てて起き上がると、一刀斎の前で正座をして頭を下げた。


「ありがとうございます。イットーサイ様の弟子として恥じぬよう、これからも剣の道に励んでゆきます」


リイニャは一刀斎に影響されて言葉遣いまで徐々に変わってきていた。


「ふむ、某はこの森を離れ武者修行の旅に出ようと思う。この異界にはまだ見ぬ強者もおろう。そ奴らと戦い、己の剣を磨こうと思う」


「私も旅に連れて行ってください!」


唐突の申し出であったがすぐに一刀斎に付いていこうと心に決めたリイニャはそう食いさがった。


「元よりそのつもりだ。明日の朝に発つ。今夜のうちに別れを済ませておけ」


「はい」


急に決まって旅立ちに不安と期待が入り混じるリイニャだったが、何より旅についていくことを許されたことが弟子として認められたこと以上に嬉しかった。

まだまだ一刀斎の元で剣を学びたいとリイニャは願っていた。


すると不意に一刀斎は厳しい表情を見せ、森の方に視線を向けた。


「あ、おりました! あの男でございます!」


リイニャも一刀斎の視線の先に目を向けると、森から父のサリエリと、もう一人警備隊の服装にマントを羽織った壮年のエルフが現れた。


「貴公が悪鬼殿かのう?」


その男は腰には一振りのロングソードを下げ、エルフ族にしては珍しいほど良く鍛えられた分厚い体躯を持った男だった。


「エレルファン様っ!?」


そのエルフの顔を見たリイニャは、驚きのあまり声を上げてしまった。


エレルファン。

氏族の警備隊の長であり、齢七百年を超すエルフの戦士。かつては人族の傭兵として数多の戦場を駆け回り、多大な戦果を上げてきた歴戦の猛者であり、氏族最強と誰もが認める男であった。


「私が留守の間にサリエリを倒したそうじゃな。里のものたちが貴公を恐れておる。このまま貴公を放置すれば警備隊の面目を潰すことになる、と里長に脅されてのう」


「それで某の首を獲りにきたというわけか」


「気は進まぬが、その通りじゃ」


エレルファンは頬を掻きながらそう告げると、両者の間に張り詰めたような空気に満ち、リイニャは呼吸をするのも苦しいほどだった。


「時に貴公は魔法の弱点が詠唱にあるとサリエリに指摘したそうじゃな。その指摘は全く正しい…じゃがな」


そう言いながらエレルファンはゆっくりと人差し指と中指を立て、貫くような眼光と共に一刀斎に向けて構えた。


「『風断』」


一刀斎がその魔法を避けられたのは、長年の戦いで培われた勘働きによるものだった。

魔法名をつぶやいた瞬間、撃ち出された『風断』は『風切』と似た魔法であったがその威力も速度も桁違いであり、一刀斎が跳んだ直後、後ろの大岩が綺麗な断面を残して真っ二つに割れた。


「ほう、今のを避けるか。これはひよっこのサリエリに勝てるわけもないのう」


愉快そうに笑うエレルファンに対し、一刀斎の表情は鋭く、全身から針のように殺気を放っていた。


「なるほど、熟練した魔法の使い手は詠唱を省くか。リイニャ、巻き込まれないよう離れていろ」


一刀斎の言葉に従って、リイニャは二人から離れてその戦いを固唾を飲んで見守った。


「では続けて参るぞ。『風断』『風断』『風断』『風断』『風断』『風断』『風断』」


詠唱省略の上に、絶え間ない魔法の連続攻撃。一刀斎は避けることに全神経を集中したが、全てをかわすことはできず、肩と脇腹を浅くではあるが斬り裂かれた。


「今のを避けられるのは、百年ぶりじゃな。まるで獣のような反応の素早さじゃ」


全身を汗で濡らした一刀斎に対して、エレルファンは未だ余裕の笑みを浮かべていた。


「じゃがな、これは避けられまい」


エレルファンは腰に刺したロングソードを抜くと、自身の右手の指を切り裂いた。そして血が滴る指で半円を描くように、空をなぞった。


「『大鎌颯』」


すると、湖の直径にも匹敵するほどの巨大な風の大鎌が生まれ、横薙ぎに一刀斎に迫っていった。

一刀斎はすぐにエレルファンに背を向けて走り出し、湖に自ら飛び込んだ。

風の大鎌は湖面を撫でるようにして通り過ぎてゆき、対岸の木々を容赦なく薙ぎ倒して進み、しばらくしてようやく消滅した。


「ぷはっ! とんでもないな!」


水中に潜っていた一刀斎は、大鎌が通り過ぎてしばらくした後に、湖面に浮かび上がってきて大きく息を吐いた。


「受けることも避けることも叶わぬと見れば、躊躇なく背を向けて逃げ出すとは…厄介じゃのう」


エレルファンは顎を撫でながら、初めて不快そうに顔を歪めた。

殺し合いに無駄なプライドを持ち込まない戦い方をする戦士は、狡くしぶとく手強いと、エレルファンは経験則で知っていた。


湖から上がってきた一刀斎が、着流しを脱ぎ上半身裸になると、そこには無数の刀傷が刻まれていた。


「こちらからも仕掛けるぞ」


一刀斎は、そう言い残すとエレルファンに向かって歩き出した。

すぐに『風断』がいくつも襲ってくるが、先ほどとは異なり一刀斎は捉えどころのない落ち葉のように、左右にフラフラと揺れながら歩を進め、止まったと思えば急に駆け出し、と思えば急に飛び跳ねるなどして、動きの先を読ませない歩法を見せた。


「シッ!」


ある程度間合いが詰まった瞬間、いつの間に抜いたのか脇差を逆手に持って背中に隠していた一刀斎は、それをエレルファンに向けて投擲した。


「っ! 『風壁』!」


その攻撃はさすがに予想していなかったようで、エレルファンはわずかに目を見開くと、撃ちかけていた『風断』を中断し、『風壁』による障壁を作り出した。


「受けにまわるは悪手だな」


本来の脚力を未だ隠していた一刀斎は、その隙に一気に距離を詰めて刀を振るった。


ギィイイン、とロングソードと刀が打ち合う音が、湖に響いた。


「その剣も飾りではないようだ。面白い。異界の剣術、楽しませてもらおうか」


「剣を打ち合うのは二百年ぶりじゃよ!」


エレルファンとて、歴戦の雄。

数々の戦場で、剣の間合いまで踏み込んでくる強敵と相まみえてきた。そして生き残るために剣術の腕も磨き続けてきた自負がある。

しかし一刀斎の振るう刀は冷酷なまでに洗練されており、エレルファンは魔法を繰り出す余裕もなく、その猛攻をしのぐのに精一杯となった。


「まずは腕一本」


均衡は長くは続かず、捌ききれなくなったエレルファンの剣を持つ右腕が斬り飛ばされた。


「エレルファン様!?」


戦いを見守っていたサリエリが悲鳴のような声を上げ、一方のリイニャは思わずこぶしを強く握りしめた。


「まだやるか」


「…驚いたわい。まさかこれほどの遣い手とは。じゃが、すぐにとどめを刺さなかったのは悪手」


エレルファンは一刀斎から距離を取り、斬り飛ばされた腕を拾い上げると、それを上空に向かって放り投げた。


「嵐神よ。我が血肉を贄とし、敵を滅ぼす大蛇を下ろせ。『嵐轟龍』」


初めてエレルファンが詠唱を行うと、エレルファンの切り飛ばされた腕を食らって小さな竜巻が生まれた。

その竜巻はみるみる内に大きくなり、あっという間に湖の周りの木々を超える大きさの竜巻に変貌した。


「三百年前の戦争の折、右足と引き換えに千の敵を滅ぼした奥の手じゃ」


服で隠してはいたが、エレルファンの右足は義足であった。

戦場で窮地に追い込まれ、右足を引き換えに『嵐轟龍』を下ろしたことで、エレルファンは生き残ることができたが、それをきっかけに戦働きをやめて故郷の里に戻ってきたのだった。


「これで死ね、小僧っ!」


カッと目を見開き、そう叫んだエレルファンの声に呼応して、その竜巻は生命を持つかのように身をよじらせながら、一刀斎に襲い掛かった。


一刀斎はというと、その竜巻を見上げながらなぜか逃げ出そうともせず、刀を大上段に構えた。


「イットーサイ様!? 避けて!」


リイニャは思わず声を上げたが、一刀斎は動じることなく襲い掛かる龍を睨みつけ、腹の底が震えるような気魄と共に真正面から刀を振るった。


「…馬鹿な」


その一太刀で『嵐轟龍』は真っ二つに斬られ、空へと掻き消えた。


「善き戦いであった」


そう言って呆気なくエレルファンの首を刎ねた一刀斎は、血糊を払ってから刀を鞘に納めた。


「ばばばバカな!? あああありえない!! エレルファン様が負けた!? 魔法を斬っただと!?」


錯乱したように一人取り乱すサリエリを無視して、リイニャは一刀斎のもとに駆け寄った。


「すごいです、師匠! 最後どうやって魔法を斬ったのですか?」


「斬る以外、生き残る道がなかっただけだ。それに古来より刀は魔を退けると云われ、古事記にも八岐大蛇を退治した素戔嗚の伝説が残されている」


「異界の伝説のお話ですか?」


「ああ、だが過去の英雄に斬れたのであれば、某にも斬れるだろうと思ったまでのこと」


当然のごとくそう語る一刀斎は、リイニャにとって正に物語に登場する伝説の英雄たちに引けを取らぬ眩さを持っていた。

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