合木~あちらで再び会いましょう

天川

側板に忍ぶ贈る言葉

 久しぶりに訪れた温泉宿は、とてもいいものであった。

 自宅のお風呂場も、去年改修したばかりで快適ではあるのだが、それでもたまには開放的な天然温泉に浸かりたくなるのが人情というもの。


 桜の時期はとっくに終わり、梅雨の合間を縫っての行楽日程。

 もともと、人混みがあまり得意ではない私なので、あえて行楽シーズンを外しての予定を組んでいたのだった。

 泊まったお宿の露天風呂、特に私の入った女湯からの展望は、ここの自慢の一つだったらしい。確かに、紅葉の季節ならばさぞ美しい景色が楽しめたことだろうと思う。

 しかし、あいにくこんな梅雨の時期。

 お宿の人も、

「もう少し時期が早ければ花の景色もご提供できたのですが……代わりにお料理の方は縒りをかけてご準備いたしますので───」

 などと、要らぬ気遣いをさせてしまったようにも思う。

 気持ちは勿論ありがたいが、私にとっては雨にけぶる景色だって情緒たっぷりで充分に美しいと思えるものだった。派手さがない分、静かな雨音と緑の空気感はじっくりと味わい観賞にも値する、誠にもって良いものであった。


 北陸新幹線が開業し、以前よりも随分とアクセス性は良くなっていた。

 加賀温泉駅まで新幹線で移動し、そこからはレンタカーを借りての移動。

 けれど……とも思う。

 元々、運転はそれほど得意ではないし、私自身この先の免許返納がちらつくくらいにはいい歳だ。こんな気ままな一人旅も、もうじき卒業だろうか。


 そんなことを思い浮かべながら、私は一晩世話になった山中温泉の宿を後にした。


 でも、こんな季節外れの行楽になったのには、もう一つ理由があったのだ。

 これから私は、そのの目的の場所へと向かう。


 たどり着いたのは、観光地から少し離れたところにある、ちょっと年季の入った桶屋さん。

 元は、ここでも実際に桶や樽の製造をしていたらしいのだが、桶職人が減るとともに桶の需要も下降の一途を辿る。そして、見てくれだけの大量生産の「桶もどき」が市場に溢れ出すと、いよいよ商売が成り立たなくなり今に至るのだそうだ。今では地元の特産品を合わせて売る物産店のような佇まいになっていた。


 私は、以前に訪れたままの店の様子に少し安心しながら、からからと軽快な音を立てる引き戸を開けて店に入った。


「こんにちは」


 店の支度をしていたらしい、若い男に声を掛ける。


「あ、いらっしゃいませ……。お買い物ですか? どうぞ、ごゆっくりご覧ください」


 そう、人の良さそうな言葉を返す素朴な雰囲気の男性。

 お店の人かと最初は思ったのだが、どうも様子が違うようだ。作業服に前掛けを付けた姿は、このお店の店員の佇まいではあるが、そこから感じられる雰囲気が客商売用の愛想笑いではなく、本当に内面から人柄の良さを感じさせる「ぎこちない微笑み」だったからだ。


 私は、つらつらと店内を見回すふりをしながら、その男性にゆっくりゆっくり歩み寄っていく。

 そして、商品棚を拭き清めている横顔に向かって、声をかけた。


「あの、佐橋と申します。先日、お電話いただいた……」

 すると、その若い男は、


「……あぁ! 風呂桶の方ですね、修理の……ええと……佐橋さん! はい、はい。お待ちしておりました」


 ぱっと、表情を一段明るくして、ハキハキと答えてくれた。

 客の用件が自分の領分だとわかって安心したのが感じられた。きっと、電話で応対してくれた若い職人さんというのがこの人なのだろう。


 ────私がここを訪れたのは、古い風呂桶の修理を依頼しており、その完成品を受取るためだった。

 もう随分昔のことだが、私は結婚前にこの地を訪れており風呂桶を一つ購入したことがあった。まだ、付き合っている男性などはおらず、一緒に温泉に来るような友人もおらず……。それでも、当時からお風呂好きであったためこの地を訪ね、お湯と旅情を味わっていたのだった。

 旅の帰りしな、なにか記念になるものを購入しようと立ち寄ったのが、この桶屋。

 若い女が、風呂桶などを買うとは当時でも珍しかったのだろう。お店の人が思いのほか、熱心に説明してくれたのを思い出す。


 その時、店で偶然居合わせた職人さんが、田中さんといって生粋の桶職人だった人だ。店の人が説明しているさまを脇で聞いていて、辛抱ならなかったのだろう。途中から話に割り込んできて、「……そうじゃねぇんだ!」といって、桶の何たるかを私に熱弁してくれた。


 最初は驚いたのだが、すぐにその人の仕事にかける情熱と確かな技術が伝わってきて、私は是非この人の作った桶を買いたいと思うに至ったのだ。あいにく、店には田中さんの作った桶は在庫していなかったので、直接田中さんの工場こうばを訪ね、そこで一つ一つ改めて丁寧に説明を受け────そして後日出来上がったものを送ってもらうという、随分な手間をかけてまで手に入れたものだった。


 以来、その桶は私のお風呂の際の必需品となり、銭湯に行くときでさえもわざわざそれを小脇に抱えて出かけるということを続けていた。

 結婚してからもずっと使い続けていたのだが、私は近年大病を患いそこから入院生活が続いてしまった。

 幸い病気は全快したのだが、その間に入浴に供されなかった風呂桶は傷んでしまっており、水漏れがするようになってしまったのだった。

『───毎日使ってくれれば、何十年でも持ちます。放って置かれるのがいちばんまずい、人と同じですよ………』

 そう、語って聞かせてくれた田中さんの顔が目に浮かぶようだった。

 夫が生きていてくれれば、お手入れ位はしてくれたのだろうが、残念ながら私が病気をする数年前に、彼は病で他界していたのだ。


 傷んだ桶に、自分を重ね……そして手入れを怠ったことに喩えようもない罪悪感を感じ思わず涙を流し、なんとか修理できないものかと方々聞いて回った。すると、買ったお店で修理を取り次いでくれるというのだ。そこで、喜び勇んでお願いしたのが半年前のこと。


 しかし、不運というのは重なるもので───修理を引き受けて貰ってそろそろ出来上がるか、という段になり────桶職人の田中さんが急病で亡くなってしまったというのだ。

 悲しみに暮れるが、どうにもならず桶は諦めようと思っていたのだが。

 その数日後、工場の片付けをしていたお弟子さんが、依頼されていた修理を引き継いでいてくれたという知らせを受けたのだった。


 その引き継いでくれた若いお弟子さんというのが、目の前の彼なのだろう。


 私は、お店の奥で座敷に通され座卓の前で、依頼していた……鉋を掛けられ一皮むけて新しい肌を見せた───自分の風呂桶と再会した。


「まぁ……きれいになって……! ありがとうございます」


 私は手に取り、その懐かしくも新鮮な肌触りを堪能して、そして彼に礼を告げた。


「へぃ。でも、私が引き継いだときには修理の方は殆ど出来上がってましてね。お師匠は、生前ほとんど全部の工程を済ませておいてくれたんですよね。あたしは組み直しただけでして……」


 ………側板がわいたと呼ばれる、桶の側面を構成するこの一揃いの細い板は、木取りから削り、その組み上げに至るまで、順番を最初に意図してそのとおりに組み上げる。板の一本一本の性格を見て、どの順番に組み上げるのがいいか……分業にしちまうと、そこが上手くないんでさぁ。だから、板はみんな同じに見えるけど、その並べる順番を入れ替えたりしてはいけない。全部、職人が意図したとおりに組み上げなければ水漏れのない長持ちするしっかりした桶にはならねぇんですよ。だから、分業が進んで順番関係なく大量に切り出したを組み上げてプレスで仕上げた今の「桶もどき」は……ほんとうの意味では桶じゃねぇんです。


 田中さんの言葉が蘇る。


 この若き職人さんは、そんなところまでしっかりと受け継いでくれたのだろう。人と人との結びつきに、私は深い感慨の念を抱かずにはいられなかった


「本当に、ありがとうございます。お陰で、これからもいいお湯と余生が送れそうですわ」

 私は、そう言って改めてお礼を伝えた。


 すると、その若い職人さんは頷いてから、おもむろに、私に布に包まれた細長いものを差し出してきた。


「………これ、交換した側板がわいたのうちの一枚です。……これだけは、お返ししたほうがいいと思いまして───」


 私は、不思議に思いながらもそれを受け取る。

 そして、その布の包みを開いた。

 

 そこには、変色して少し朽ちかけたかつて桶の一部であり交換されたと思われる古い側板がわいたが一枚入っていた。そして、その側板の接合面………普段は目にすることのなかったその部分には、なにやら墨で文字が描かれていた。


『◯年◯月 心優しき美しき人に逢ふ、願、共に永生在らん───』


「これは………?」


 私は尋ねた。


ですわ。……昔の職人さんは、味噌や醤油の樽の側板の接合面に、こうしていろんな落書きを忍ばせることがあったんすよ。当時の世相だったり、米相場だったり奥さんの名前だったり……中には施主さんへの悪口なんかが書かれてたこともあったみたいっすよ、ははは」


 愉快そうにしながらも、彼は優しい顔で続けた。


「師匠が言うには、絶対に壊れない自信があったからこそ、この隠れてしまう接合面に落書きを残したんだって。こんなの施主さんに見られたら大事ですからね………自分の腕に自信があって、絶対に壊れない……そして、これを使う人も大事に扱ってくれる、それこそ自分が死ぬまで使い続けてくれるという思いがあったからこそ、こうして『落書き』を残したんです。だから、職人仲間でも他人の作ったものは勝手に修理しちゃいかん、っていうのが以前は習わしとしてあったんですよ。見られたら、まずいっすからね」




 …………店を後にする前に、私はもう一度彼にお礼を言った。


「私が死んだら、これにお骨を入れて埋めてもらおうかしら? うふふふっ、でも失礼かしらね、そんな使い方したら……」


 そして、そんな冗談とも取れる本音をこぼすと、彼は意外にも、

「あぁ、いいですねぇ! お師匠もきっと喜びますよ、そこまで使い切ってもらえたら職人冥利に尽きるって。……よかったら、そのための桶の蓋を、私作りましょうか?」

 そんな提案までしてくれた。


 私は、喜んで彼の提案を受け入れ、改めて届け先の住所と名前を伝えて、その店を後にした。

 

 ───田中さん

 あちらで再会できましたら、また改めてお礼が言いたいですわね。


 その時の、合木となるのが……この側板であることは言うまでもない。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

合木~あちらで再び会いましょう 天川 @amakawa808

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画

同じコレクションの次の小説