星の花 

明日花

第1話

その出会いは唐突だった。


「聖女だか天の遣いだか知らないけど、お前を頼まれてる。ついてこい」

不機嫌そうな若い男が、急にその扉を開ける。数日ぶりの外の光を浴びて、三日三晩此処でこもって祈りを捧げていた色の白い少女は、目を細めた。侵入者は、異国の装いをしていた。

「…どなた様?」

ぶっきらぼうに、男は答えた。

「僕は此処に今向かってきているド・カルト帝国元帥閣下の第一副将。僕の上司、つまり帝国統帥が、お前の力をお望みだ。早くしないと、お前の王が、お前を使って逃げ出そうとするからな」

彼の言っていることの意味は、少女の理解を超えていた。戦争中の敵国の頂点に立つ男が、自分を望むわけもない。殺しに来たといわれたほうが信じられる。謎に包まれた彼に対し、しかし少女は律儀に答えた。

「扉と私自身に呪詛式が埋めてある。出られない」

「こんな古い国の旧式呪術なんか一瞬で壊せるし。早く用意して」

壊せるといった瞬間だけ、その証明のように、魔力の光が彼からほとばしった。少女は迷う。かなりの術者であること、そんな人物は少女を除いて此の国にいないことから、彼の言葉は少しだけ現実味を帯びた。

「出てはだめ」

けれど、少女の口からでた応えは、否。

「強制的に、身一つで連れてかれたいわけ?」

「違う」

小さく儚げな彼女の周りを、光る花弁が唐突に渦巻く。それは力。使命。授かり物。花たる自分は、此処から出てはいけない。国を守ろうとする少女の決意は固かった。男は少しだけ目を開くと、煌めく金髪をかきあげてわらった。

「ふーん。閣下が欲しがっただけのことはあるね、量も質も桁違いだ」

「来ないで」と、か細く少女が懇願する。「けどさ」

彼は、一瞬口を閉ざしてから。

「きっとお前は、人を傷つけたことがないんだろ」

良いながら、難なく少女の一歩前まで歩く。力の奔流に巻き込まれながらも掠り傷ひとつないのは、少女が泣きながら自分をセーブしているからだ。外敵だとしても、それを攻撃するような心を、彼女は持ち合わせていない。

少女は、確かに稀代きたいの才を持っている。

しかし少女は、自分の力を分かっていない。こんな力を秘めながらも、小さい部屋で祈りを捧げる少女に、青年は、一言だけ。

「本当、バカ」

首筋に手刀を落とすと、少女は糸が切れたように、その場にくずおれた。



特別な力を持って、生まれてくる者が、極稀に存在する。

その力を、花弁、その所持者を、花と呼び、聖女として崇める。

聖女は一国の軍隊に相当する力を持ち、大陸に数人だけ存在している。彼女たちのうちの一人、ザトリヤ国の所持していた聖女は、敗戦より一足先に、かの国から連れ出され、世界を見る。



雲英音きらね

広々とした涼しげな座敷に、ぽつりと一人寝ている子を、男はそう呼んだ。かつて聖女の身分を持ち、偽りで塗り固められた真っ白な部屋で祈っていた少女に、名前をつけたのは男。けれど雲英音は、男のものではない。

昴琉すばる…」

呼び掛けに応えて、座敷の真ん中から空を見やっていた雲英音がこちらを向いて微笑んだ。奥の大窓から気持ちいい風が送られてきて、昴琉の金髪がなびいた。大の字に寝ている雲英音の横に座り込むと、

「閣下とはどう。上手くやってんの」

「会えるの、月に一度くらいだから」

一年前とは違い、肌色がよくなった少女の笑顔は、相変わらず小さい。

「言い訳。ま、厳しい閣下と気弱な雲英音が仲良くなんのは、ちょっときついと思ってたけど」

「…ばれてた」

へへ。と顔を隠す雲英音。砕けた口調の彼女と彼の関わりが、初対面以降途絶えるはずだった。何の因果で、彼女の所有者よりも昴琉の方に、雲英音の心は開いているのだろう。それにはきっと、彼女を道具として見る皇帝と、普通の少女に見えてしまう昴流の差がそのまま影響している。

「昴琉は、何色が好き?」

「何、急に」

怪訝そうに首を傾げる綺麗な青年。

「ザトリヤでは、男のひとの誕生日には、組紐を贈るの。男性の好む色…わからないから」

「自分で聞く…のは雲英音には無理か。閣下は、静かな色がお好みだよ。丁度深緑の瞳だし、それに合わせて作れば?」

「そう…ありがとう。昴琉、は」

少女の控え目な問い。

「僕に、好きなものなんてないから」

昴琉は、好きなものについての類いの質問に、まともに答えを返してくれない。雲英音は僅かに、表情を変えた。拗ねているようだ。彼女のこういう人間味を垣間見る度に、またひとつ心が温まるのを、昴琉は無視した。花弁の祝福を持つ彼女との時間は、きっと長くは続かない。けれども、もう主と同じように少女を扱うことはできない。それほどに、ほだされてしまった。

「いつも、教えてくれない」

「教えないんじゃなくて、ないの。好きなものがない人もいるんだよ」

諭すように告げると、雲英音は長い長い銀髪を揺らしながら、起き上がった。そして、

「私の好きなものは、昴琉とお花と焼き菓子」

「僕を物質と同類にするとか、ありえないんだけど」

謎の宣言に昴琉は、軽く頬をつねるのだった。


季節は流れる。小さな国に巫女という仮初めの身分で閉じ込められていた少女は、淑女に成長し、上司からの命を受け、少女を連れ出した青年は、幾つもの勲章を貰い、大人らしさを増していた。昴琉と雲英音は、今年で同時に16を迎える。先日、功労者に贈られる金色の徽章を異例の年で貰った昴琉の地位は、また格段に上がり、どうにか繋がりを作りたい貴族たちからの、夜会や縁談の申し込みが後を絶たない。諸々の処理に終われ、いつのまにか、最後に彼女に会ってから一月も経っていた。漸く空いた時間を充てる先は、考えるまでもなかった。

使いをやると、彼はすぐに帰ってきて、部屋を訪れることに了承の返事を貰ったと報告される。昴流は自室を出て、彼女の部屋に繋がる長い回廊を、ゆっくりと歩いていく。

「昴琉。また、叙勲してた。おめでとう」

懐かしい顔が、曲がり角から覗いた。可愛らしいはにかみ笑顔を見せる少女は、現在は植民地化した、元ザトリヤ国の聖女。綺麗な令嬢に成長したが、気心の知れた相手と話すときには、口調も表情も崩れている。もう2年の付き合いになる昴流に対しては、特に。

「部屋で待ってなって言ったじゃん」

体調悪い癖に、と悪態をつくのに反するような彼の優しい眼差しは、出会ったときのまま。彼女の元へ歩こうとすると、向こうから駆け寄ってきた。予想していなかった動きに昴琉が瞬きして止まっていると、たたたっと雲英音が青年の胸に飛び込んだ。

「雲英音、淑女になったんじゃなかったの」

呆れた声で注意してやると、雲英音はきょとんとした。

「…私が雲英音なのも淑女じゃないのも昴琉にだけ」

全く言いたいことが伝わってないようだが、昴琉は何だか満たされて、無言で彼女をお姫様のように持ち上げた。しかし一瞬触れた首筋のその温度に、

「あつっ。熱あるじゃん」

「ケクの、すりおろし、食べたいな」

「しょうがないな」

軽い体を負い直して、誰もいない廊下を進む。静かに、二人は平和な時を重ねた。



二人のあやふやな関係。数年も続かなかったが、確かにあった記憶。今も、此れがあるから、生きていける。願うは、ただ相手の未来が幸福でありますように、と。




「彼女を処刑する。本人の了承も得た」

「雲英音は、聖女として、帝国軍を傷つけたことはなかった。雲英音に、罪はないだろ!」

はじめての激昂と。


「昴琉、何で、私はあそこで、聖女を全うするはずだった」

「聖女なんて肩書き、もうとうにない。お前は、雲英音だ。僕がつけた新しい名前を、忘れたのか」

「でも私には、花弁の祝福がある!なかったことになんて、できない」

「それで、今度は帝国のため、祖国のために聖女として死ぬ気か、ばか。そんなの誰も求めてない。閣下は、危険を取り除きたいだけだ。それくらい、僕が説得してやる。目の前で死刑にならなくたって、病死でもなんでも、不在の理由はつけられる」

だから。

生きろ、雲英音。


窓から見える空は、帝国にいたときとは全く違う、そのままの色をしている。束の間過去を思い出した少女は、目を閉じて、それを飲み下す。

「キラ。そっちのテーブル、片しといてくれる?」

自分を拾ってくれた、若い店主アネッサの声が、厨房からした。

「はい」

"キラ・セトラル"が店で雇われ、住み込みで働き始めたのは、3年前。

彼女は急に、皇帝から国の平和のための礎となってほしいと頼まれた。ザトリヤの民が、自分が生きていることで、反乱を起こす可能性が高い。実際、反乱分子の情報も上がっている。聖女が一人没したという事実もほしい。皇帝は淡々と、自分の命をモノのように語った。雲英音は暫し逡巡して、敗戦国で王の命により力を使っていた自分が、今まで生きれたことが、恩情だったという結論を得る。未練や寂寥はあったが、不満も憎悪もなく、彼女は頷いたのだ。

でも、彼は、それに抗った。抗って、自分を逃がして、一人にした。死ぬな。道具になるのは、もうやめろ、と言って。そして彼女は、この商業国家にぼろぼろの状態でたどり着いた。どこから見ても訳ありな少女は、検問を抜け、商業国家の首都を目にした途端、糸が切れたように倒れた。

目が覚めたとき、最初に視界に入ったのは、見知らぬ天井だった。ほどなくして、快活な女性が姿を現し、三日寝込んでいたと言った。

「ガウさん。林檎を三十、ください」

この季節にはもう育っていない果実も、この店の契約している色々な農家の一つは、独自の栽培法でそれを育てている。普通なら高値なはずの林檎を安く売ってくれるガウは、アネッサの学院時代の同級生だと言う。

「ああ、キラか。ちょっと待っとけ、良いのを選んできてやる」

にかっと笑って店の奥から顔をだし、直ぐに戻ったガウを待ちながら、少女は店内を見て回る。青果専門店のこの店には、たまに外国の食べ物が置かれている。だから、だから。

思い出の、黄緑の皮の実が売られていても、不思議ではない。

「……ケク…」

商業国家ペルガではなかなか見かけない、帝国の特産物。少女は、瞳を見開いた。中にはさっぱりとした、瑞々しい黄色の果肉が詰まっていて、

「すりおろしにして、食べるの…」


手にケクを掴んだとともに、封印していた、辛い記憶も楽しい記憶も、流れる涙と共に溢れだす。止めどなく止めどなく、頬を伝って落ちる滴は、きらきらと輝く。

「す、…すばる、昴琉。昴琉、昴琉、昴琉」

名を呼べば、思い出が蘇る。鮮やかに、綺麗に、絵のように。届かない景色。今の幸せは奇跡だ。けれどそれより前に、短くとも愛していた時間がある。

最後の言葉が、胸にある。

「何?」

「会いたい。話したい。ケクのすりおろしは、昴琉じゃないと作れない…」


3年の間に、環境に適応できず、何度も風邪を引いた。看病してくれるアネッサの手が温かくて、でも何処かで昴琉もいてほしいと欲張りになる自分がいた。

「作ってあげるよ。幾らでも」

「…昴琉は、もういない」

温かい記憶のどこにだって存在する彼とは、もう会えない。道具であることをおかしいと思える世界に自分を逃がして、きっと、命を落としている。

「雲英音」

じゃぁ、この声は?



涙に濡れた顔を上げた。世界はいつもと同じ。幻聴だと笑う声が何処かでする。ふっと、激情をし舞い込もうとした。けれど、自分のものじゃない熱が、背中にあって。それを感じた時には、もう、すっぽり覆われていた。

「なんで」

声が震えたのは、心が跳ねたから。恋しい香りが、視界を遮る紺の軍服に、滲んでいるから。

「生きてるよ。迎えに来た」

隙間を探し、囲う腕も押し退け、その先には、大好きな微笑があった。

「ばか、ばか、ばか。ばかもの。待ちくたびれた」

こんな幸せが、奇跡があること。生きる力は、いつも貴方がくれる。キラは、雲英音は、空白を経て、再会を果たす。



仕事を終えた雲英音は、アネッサに知人と再会したから帰りが遅くなると告げ、昴琉と夜の町を歩いていた。

「これからどうする?一応一週間の自由はもらってるけど」

「帝国へ。私、閣下に、お願いしなきゃ。ごめんなさい。死ねません、昴琉を下さい、って」

懐かしい歩調に足を合わせ、未来の展望を語る。すると、昴琉は急に足を止めた。

「え、僕は、雲英音を殺そうとした主に、少なからず不信感を持ってるんだけど。…まぁ、帰らなきゃダメだよな」

だからと言って、将軍位の責務を投げ出すわけにもいかず、出会った頃と同じような不機嫌な顔をしている。雲英音は、くすっと笑って、微笑んだまま、

「私は、誰にも隠したり、恥じたりしたくない」

その強さが、気高さが、堪らなく好きだから、それを彼が否定することはない。彼が選んだ美しい少女は、いつのまにか立派な大人になっている。昴琉は嘆息して、幸せを思う。雲英音がいなくなってから、氷の彫像と呼ばれるようになった温度のない彼の顔に、温もりのある笑みが生まれる。


「胸を張って、か。雲英音らしい。まぁその未来は、多分一番遠い場所にあるよ」

「明るい未来がほしければ、努力が要るもの」

「じゃ、頑張りますか。二人で」

昴琉と雲英音が肩を並べて歩くには、足りないものだらけだ。きっと、血を吐くような思いをすることだってある。うん。と笑って、彼女は歩き出す。

「ねぇ、雲英音」

だけど、昴琉は思うのだ。雲英音は立ち止まり、首を傾げた。

「一緒に生きよう」

彼女と共にいれることで得られる幸せは、なににも変えがたいと。

花が咲くように美しく微笑んだ彼女を、守ろうと。


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