夏においてきた写真

大隅 スミヲ

第1話

 電話をかけてきたのは、古本屋を営む老人だった。

 足腰が弱っているという言い訳をして、老人は私に、店へ顔を出してほしいと言ってきたため、町外れにある古本屋まで足を運ぶことにした。


 暦の上で季節はすでに秋となっているが、まだ身にまとわりつくような暑さの日は続いている。

「いらっしゃいませ」

 ガラス戸を開けて店内に入ると、レジの脇にある小さな椅子に腰を下ろした老人が声を掛けてきた。

「元気そうじゃないか。それだけ元気があれば、歩いて事務所まで来れたはずだ」

「ここは冷房が利いているからな。この暑さじゃ、外になんて出れたもんじゃない」

「その外からやって来た人間にかける言葉じゃないぜ」

「そうかもしれんな」

 老人はそう言って笑うと、店の奥に続いている住居スペースからペットボトルの麦茶を持ってきた。麦茶は冷蔵庫に入れられていたのか、よく冷えている。

「それで、何の用だ」

「何の用って、仕事以外にお前を呼ぶわけがなかろう」

 老人はそう言って、テーブルの上に小さなカバンを置いた。

 なにを取り出すのだろうか。そう思いながら私がそのカバンを見ていると、老人はカバンのチャックを開けて中身を取り出した。

 出てきたのは、デジタル一眼レフカメラだった。有名なカメラメーカーのものであり、それなりの値段はしそうだった。

「カメラの趣味なんてあったのか」

「いや、無い」

 老人は即答で否定する。

「じゃあ、このカメラは何なんだ」

「それをお前さんに調べてもらいたいんだよ」

「はあ?」

「このカメラを持ち主に返してやってくれないか」

「なんで、私が」

「探偵だろ。そのくらいできるだろ」

 老人は色素の薄くなった目でこちらをじっと見つめてくる。

「あのなあ、爺さん……」

「金は払う」

 老人はそういうと、机の引き出しから茶封筒を取り出して私の前に置いた。

 封筒の中には帯のついた札束が入っているのが見える。

「前金だ。持ち主にこのカメラを返してくれれば、同じ額を後金で渡す」

「こんなに……いいのかい」

「ああ。かまわないよ」

 どうして老人はこのカメラにこんな大金を払うというのだろうか。そんな疑問を私は覚えながら茶封筒を老人から受け取ると、老人の気持ちが変わらぬうちにズボンのポケットへとねじ込んだ。

「どこで手に入れたんだ、こんなもの」

「外国人が売りに来たんだ」

 老人は古本屋以外に、裏稼業として盗品などを扱う故買屋こばいやを営んでいた。売りに来たという外国人はバスの停留所で拾ったのだと説明したという。

 私はカメラを手に取り、電源ボタンを押してみた。

 するとカメラのディスプレイに撮影した写真が表示された。そのほとんどが風景写真であったが、時おり、女性と小さな男の子を写したものが出てきた。撮影者の家族だろうか。私はその一枚、一枚を確認していき、頭の中で撮影者の家族構成などを想像してみた。

 手がかりとなるのは、このカメラに残されている写真の人物たちだけだった。撮影者は写っていないのでどんな人間であるかはわからない。

 まったく面倒な仕事を引き受けてしまったものだ。私はそう思いながら、ディスプレイに表示された浜辺を歩くワンピース姿の女性と手を引かれる男の子の写真をじっと見つめていた。


 思いがけない形で私はその親子を見つけることができた。

 それは本当に偶然だった。

 とあるスーパーマーケットの駐車場の脇を通りかかった時、ふと見覚えのある女性を見つけたのだ。

 最初、それが誰であるか思い出せなかった。誰だったか。そして、彼女が連れている男の子を見た時、私の頭の中に電気が走り抜けたかのような衝撃を覚えた。彼女は写真の女性である。そのことに気づいた私は大慌てで女性の後を追い、不審者と思われないよう最大限に配慮をしながら、彼女に声を掛けた。


「夫のカメラに間違いありません。でも、どこで?」

「ある方が拾われて、それを持ち主に届けてほしいと頼まれたんです」

 私はそう言って、女性にカメラを渡した。


 数年後、一枚の絵葉書が私の事務所に届いた。

 その絵葉書には、海辺を歩く女性と男の子の後ろ姿の写真が描かれており、写真の右下には『夏に置いてきた写真』とタイトルが書かれていた。

 あのカメラの持ち主が、コンテストに応募して受賞したのだそうだ。


 私はその絵葉書を手に取ると、老人の眠る寺へと向かうことにした。

「自分の娘なんだから、声ぐらいかけてやればいいのによ」

 無縁仏の墓石に線香をあげながら私は老人に語りかけた。

 あの女性は老人の娘だったのだ。カメラは本当に盗品だったそうだ。あのカメラを見つけた時、老人は驚きのあまり寿命が何年か縮んだと冗談めいた口調で言っていた。

 私はライターを使い絵葉書を燃やし、灰になっていくのを見届けて、寺を後にした。

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夏においてきた写真 大隅 スミヲ @smee

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