第33話 蛇童

桶は夜の闇に溶け込むように静かに流れていた。天火王の最後の力によって守られた幼子は、冷たい水の上でかすかな息を繋いでいた。川の流れは一定ではなく、時に激しく、時に穏やかにその小さな命を運んでいった。


しばらくして、川沿いの小さな村の外れに住む老僧が、流れてくる桶に気がついた。彼は長年、この地で修行を積んでおり、すでに世俗の欲を捨てた身ではあったが、幼子のかすかな啼き声を聞くと、そのまま見過ごすことはできなかった。


「これは……天が授けた試練か。」


老僧はそっと桶を引き上げ、中を覗き込んだ。そこにはまだ生まれて間もない赤子が、薄布に包まれて眠っていた。だが、その顔を見た瞬間、彼の眉がわずかにひそめられた。


――この子の口には欠損があり、声を発することができない。


「天は時として残酷な運命を与えるものよ。しかし、この子がここに流れ着いたのもまた、運命の導きであろう。」


老僧は赤子をしっかりと抱き上げると、その胸元に光る不思議な鱗を見つけた。護心蛇鱗――それはかつて伝説に語られた、強き王族が持つべき守護の証。


「もしや……この子は、天火王の血を引く者か?」


老僧は静かに目を閉じ、心の中で天に問いかけた。そして、赤子の小さな手をそっと握りしめると、決意したように村へと歩き出した。


――この子が何者であろうとも、我が庵で育てるとしよう。


時は流れ、赤子はやがて少年へと成長した。老僧の庵で育てられた彼は、言葉を話すことはできなかったが、賢く、誰よりも武術に秀でた才能を持っていた。


村人たちは、彼が蛇のようにしなやかな動きを見せることから、彼を『蛇童(じゃどう)』と呼んだ。護心蛇鱗は今も彼の胸にあり、その身体に不思議な力を宿していた

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曖昧フォニイ mukko @tylee

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