私の旅行記

千織

ある一夜の出来事

 年に一度の海外旅行に行くためだけに、キツイ高給の仕事につき、上司に媚びを売り、投資の勉強をして日常の出費を引き締めている。

 日常も、旅も、女一人。危険もあるが、それでも海外旅行はいい。景色が違う。空気が違う。異国の人々に囲まれて、自分が世界から見たら数少ない日本人だと実感する。

 今回は約10日間の旅で、そのうち二日間は大学時代の友人が住んでいる都市に滞在することにした。彼女は旦那さんの海外赴任についていったのだ。

 旅行は好きだが住むとなると……そうでもない。私はその程度のチキン野郎だ。


 旅立ちから、飛行機のトラブルで機内に二時間閉じ込められた後のフライトだった。到着は夜中になってしまったが、彼女と旦那さんは快く迎えに来てくれた。

 旦那さんの転勤が多いため、結婚後の彼女と会えたのはたった一、二回だった。それでも彼女は、当時と変わらずおおらかで優しく、今回の再会を喜んでくれた。

 彼女は来月、出産予定だ。長年の不妊治療の末だった。もちろんお腹は大きくなっているが、想像したほどには大きくなかった。自分が小さい頃に持った妊婦像があるのだろう。今時の妊婦は体重管理もしてるし服もおしゃれだから、”お母ちゃん”というよりは素敵な”ママ”で、スマートに見えるのだろう。


 初日は彼女と美術館へ行った。しばらくぶりに会ったものの、彼女との会話は少ない。旅行に来てまで日常の話はしたくないのかもしれない。彼女は昔からそんな私を許してくれる。

 夜はアパートで一緒に地元料理を作った。私と旦那さんはお酒を飲み、昔話に花を咲かせた。昨日のことのように思い出す。大した美談はないが、一時期ハマって集めたブランド物やアクセサリーよりも私にとっては宝物だった。

 彼女は本当に幸せな生活を送っていた。不慣れな生活を面白がり、旦那さんを愛している。もちろん旦那さんもこの生活に何一つの疑いもない。そんな二人を見ても私は羨ましくはない。これは前世からの徳積みの結果だろう、とわかるくらいに私は年をとっていた。


 二日目は一人で街歩きをした。小さな店に入り、店主の趣味を堪能する。市場で果物を買い、ランチを食べにカフェに入った。適当に頼んだが美味しかった。幸い、この国の料理は自分の口に合った。

 隣に座った男性二人に声をかけられた。二人とも若々しくハンサムだ。日本に旅行に行って楽しかったから、日本人の私と話がしたいと言う。男性の一人は結構日本語が話せる。アニメで学んだと言って、話が弾んだ。二人とも紳士的で、良かったら今から街を案内するよ、と言われた。喜んでお願いした。


 街なかの観光名所に連れていってもらった。あらかじめ勉強はしてきたものの、彼らの解説を聞くと改めて面白かった。彼らは大学生だという。

 私が華の女子大生の時は、キャバクラでバイトをしていた。学費を自分で稼がなくてはいけないという事情もあったが、彼らのように品性が滲み出るようなお勉強はしなかった。自分が大学に行ったのは、履歴書に有名大の名を書いて華やかな会社に就職するためだ。キャバ嬢で磨いたトークスキルは上司へのゴマすりの際に今でも生きている。

 お互い馬が合うとわかり、夜はジャズクラブに行かないか、と誘われた。今日の夜の予定は”彼女のおうちでまったり”になっていた。でも、せっかくなら夜の街の顔も見てみたい。ありがたくお誘いに乗ることにした。

 三人で行くのかと思いきや、一人は用があってお別れをすることになった。今日買った果物の一つと、和柄の折り紙で作った鶴をお礼がわりに渡した。彼は折り紙にいたく感動して「この折り方を今晩中に覚えるように」と、日本語が達者な彼に笑顔で言って去っていった。


 ジャズクラブに入ると、すでに多くの人がいた。小さな映画館みたいだ。ステージの前で聴けるように椅子が並び、その周りには飲食しながら談笑できるテーブルと椅子があった。私たちは談笑用の席に座った。

 ゆったりとしたジャズが始まり、お酒を片手に聴き入る。街歩きのときに食べ物は色々つまんだからお腹はいっぱいで、お酒だけ楽しむことにした。

 彼とSNSで繋がることにした。彼は頻繁に更新していて、特に旅行記が多かった。趣味が合いそうだ。行ったことのある国の話で盛り上がる。不思議と、旅行というものはトラブルがあると思い出深くなる。


「中身が服ばかりだったから、リュックを置いたままベンチを離れてしまったときがあったんだ。戻ったときには荷物が無くなっていた……という普通の話ならまだ良かったんだけどね。たくさんの警官が集まっていた。初めて銃口を向けられたよ。リュックが爆弾で、テロリストだと思われたんだ」


 彼は笑って言った。そして続けて言った。


「日本では考えられないよね。どこに行っても平和だった。日本ではどんな悪人でもちゃんと捕まえて、真相を明らかにしようというスタンスなんだよね」


「え? そうなの?」


「昔、トリモノのウキヨエを見たことがあるんだ。その流れじゃないの? 日本の警察が銃を使わずに街を守ってるのは。素晴らしいことだよ」


「でも最近は暴力的な犯罪も多いから、もっと武器も持った方がいいって話もあるけど……」


「そうすると悪い奴らも武器を持ち始める。解決を暴力に頼ると、悪い奴らも集団を作って巧妙になる。それって、怖いよね。だから、日本の警察が人の力で治安を守ろうとしているのはすごいことだよ」


 彼は日本で財布を落としたとき、交番から連絡があって、さらに中身がそのまま返って来たことに感動したと話した。いつまでも日本人にはそういう魂であってほしいと笑顔でいう。

 自分の国を褒められて悪い気はしない。ジャズのムーディーな雰囲気と彼の整った顔立ちが緩んだのを見て、この国に来て良かったな、と思った。

 すると、クラブにいた彼の友人たちが話しかけてきた。その友人たちも人懐こくて、一緒に飲んだ。観光名所回りもいいが、異国の日常を体験するのもいい。ちょっとだけ、彼らの仲間になれた気がした。


 あまり遅くなると彼女に悪いので、帰ることにした。彼は「送るよ」と言ってくれたが、彼女の家は歩いて十五分くらいのところにあるので、大丈夫と断った。

 今どきSNSがあれば、異国の彼でもまるですぐそばにいるように交流できる。だから別れもライトだ。手を振ってクラブを出た。


 クラブは大きな通りに面していて、まだたくさんの人たちが街を歩いていた。近くの大きめの劇場ではまだ公演が行われていたし、あちこちにあるレストランのテラスでは、談笑しながらご飯を食べたり、にぎやかにお酒を飲んでいる人たちの姿があった。この街の夜は、まだまだ長いらしい。

 私は、彼女の家に向かうため、路地に入った。


 パパパパパパ

 

 乾いた音が聞こえた。

 私はハッとしたが、周りを見ると、他の人は気づいていなそうだった。再び、


 パパパパパパ


 と、聞こえた。

 私は友人の家に向かって、走った。


 ババババババ


 音が近くなる。

 あの音は、発砲音だ。

 この国は年に一回程度、テロがある。

 早く、ここを離れなくては。


 若い女性二人とすれ違った。さすがにその二人も、なんだろう、とキョロキョロしてしたが、逃げる様子はない。

 角を曲がって、もう一本ある大きな通りに向かう。その通りを越えれば彼女の家はまもなくだ。


 バババ バババ


 後方の、かなり近くから銃声がした。男の大声と、女の叫び声が聞こえた。すれ違った女の子たちが撃たれたのだろうか……。それでもおかしくないくらい音は近い。

 あちこちから悲鳴や怒号が聞こえ始めた。向かっている通りもテロの標的かもしれない。通りに出るべきか、この路地に身を隠すべきか。


 そう考えながら走っていると、数百メートル先に目当ての通りが見えた。車が普通に走っている。こっちの通りは大丈夫かもしれない。


 そう思ったとき、通りから武装した男がこちらの路地に入ってきて、小銃を構えた。

 運良く……武装した男は、通りに出ようとしていた他の男を狙っていた。まだ、私には気づいていない。

 私は急いで細い路地に入り、アパートの入り口に転がるように入って身を隠した。


 バババババ


 ……絶対にあの男が撃たれた……。

 あの距離で銃を構えられて、生かされる理由がない。


 私はできる限り身を物陰に隠して、体育座りをし、頭を抱えて膝に顔を押し付けた。自分を、物、にする。少しでも生き物だと気付かれたら、問答無用で撃たれる。


 サイレンの音が聞こえてきた。制圧のために特殊部隊も来るだろう。その前に……彼女の家に辿り着きたい。どれほどの規模のテロかはわからないが、特殊部隊からみたら民間人は被害者ではない。容疑者だ。民間人のふりをしたテロリストに反撃されないよう、疑わしきは殺す。ここで死んだら、身元がわかる前に火葬されてしまう。それがこの国のテロに対する姿勢だ。


 そっと、陰から路地の様子を見た。路地には誰もいない。遠くで激しい銃撃の音が聞こえてくる。

 身を屈めたままアパートの入り口から出て、壁にへばりつきながら移動した。建物の陰から少しだけ顔を出し、さっきの武装した男がいたところを見た。

 撃たれた男が、建物に寄りかかって座っていた。

 ここから出て通りに向かうか迷っていると、また、通りから小銃を持った男が来た。さっきの男だ。


 男は一旦、座っている男の前を通り過ぎたが、ふと、何かを思い出したように立ち止まった。そしてまた道を戻り、座っている男に近づいて、ダダダと銃を撃った。

 男は撃たれる度に壊れた人形のように体をビクつかせていたが、今度こそ地面に倒れた。確実に死んだだろう。

 私は、またアパートの入り口に隠れた。


 SNSで、現場の様子を知った。あの劇場は今火災が起こっている。街は特殊部隊が制圧中だ。

 帰ろう……。

 戦闘の真っ只中だが、私はそう思った。

 ゆっくり立ち上がって、のろのろとその場から歩き始めた。

 あの男の死体を横目に、通りに出た。大通りにも、何人か犠牲者が倒れていたが、もうこちらには戦地の気配はなかった。

 重だるくなった足を引きずって、通りを横切り、また路地を歩く。そして、彼女の家に着いた。


「良かった……!! 無事で……!!」


 玄関をあけてすぐに、彼女が私を抱きしめてくれた。彼女の旦那さんも無事に帰宅していた。私たちは九死に一生を得たのだ。

 テレビには、燃え盛る劇場と、たくさんの緊急車両、特殊部隊の様子、犠牲者が運ばれる映像が流れている。

 私はシャワーを浴びて、友人が作ってくれたサングリアを飲みながらボーッとしていた。

 ジャズクラブの彼らは……無事なんだろうか……。

 でも、それ以上、考えたくなかった。私は今自分にできること――ベッドに突っ伏すこと――に専念することにした。

 

 翌日の報道では、容疑者10名のうち4名がその場で射殺され、死者は50名を超えた。

 私は、彼のSNSに無事を確認するメッセージを送った。返事はすぐには来なかった。

 その日、本来は次の目的地に向かう予定だったが、1日延期することにした。友人と、家の中でゆっくり過ごした。

 私は、無意識に彼女の膨らんだお腹を見ていた。ここに神秘的な命の誕生の兆しがある一方で、壁一枚向こうでは理不尽に殺された50人がいる。命とは、不思議だ。今起こっていることだけ見れば尊くもないし、平等でもない気がした。


 さらに翌日になり、私は次の目的地に向かうことにした。気をつけてね、と、彼女は本当に心配そうに言ってくれた。

 電車に乗って移動した。スマホを見て、彼からメッセージが来ていないか確認した。まだ、返事はなかった。


 それからは予定通りのコースを巡り、約10日間の旅を終えて帰国した。あの日以外はいたって平和で、本当に普通の楽しい海外旅行だった。


 あれから一年経ったが、彼からは返信もないし、SNSの更新もなかった。彼の過去に投稿された記事を見て、彼の笑顔を思い出す。

 悲しい……けど、彼の親しい人と同等に、悲しいなんて言ってはいけない気がした。


 あの、私の代わりに殺された男に対しても……弔いの気持ちがある。彼があそこに偶然いなければ、撃たれていたのは確実に私だ。


 暴力が、私にぽっかりと穴を空けた。

 そこから沁みてくるのだ。

 世の中とは、こういうものだと。


 よく、大人が「世界を知った方がいい」というけれど、それはどこをどう切り取った世界のことを言っているのだろう。


 友人から、子どもの画像が送られてきた。彼女は相変わらず幸せそうで、私はそれだけでこの世界には価値があると思っている。

 テロがいけないとか、平和が大事だとか、生きてて良かったとか、日本の安全が尊いとか、そんなことはどうでもよい。

 そう思えるくらいには、私は年をとっていた。

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