第7話 理由


現在春野月世の妹──春野礼葉の部屋で彼女と二人で話をしていた。

春野くんには聞かせたくない話ということで兄の彼には退出してもらっている。


‪”‬‪あなたの妹にしてくれませんか”‬


突拍子もない発言だった。

しかし彼女の話を聞いた今どうしてそんなことを言ったのか理解した。


春野礼葉はこの家から出たい。

優しさに包まれたこの家はやり場のない劣等感を呼び起こす。

彼女にとっての優しい世界は呪縛のように自分を蝕む場所となってしまった。

そんな事実を今まで自分に優しくしてくれた人たちに知って欲しくなかった。

自分たちの善意が報われていないどころか相手を苦しめてしまっているなんてことを。


自分のためにも家族のためにも距離を置きたい。

だから家族に理由を知られないまま家から出て新天地で暮らせるよう俺に取り計らって欲しいのだそうだ。

妹になりたいというのはその言葉の綾だ。



「ワガママだってわかっています。貴方には何の義理もない。けどこの家から出ない限り私はきっと変われない……他に頼れる人も居ないんです」



彼女の望みには同意できる。

客観的に見れば裕福で優しい家庭や引きこもりを許容されていることからも甘やかされていると見えてしまうがどれだけ恵まれた環境といえどその境遇に身を窶(やつ)している人にしか理解できない苦しみというのもあるだろうと俺は思う。

俺も経済的には裕福だが思いが錯綜しすれ違っている複雑な家庭環境だから気持ちはわかるつもりだ。


だが……

これは俺の一存で決めていい事柄ではない。

俺は一学生であり社会経験のない子供だ。

子供が養う側である俺と彼女の両親に対して金銭的問題や責任問題、家庭問題に口を挟むことなどできない。



「……礼葉ちゃん、人というのはそう簡単に動かせるものじゃない。ましてや学生である俺の言葉など聞き入れて貰えるどうか」


「反対、しないんですか?」


「ん? 反対?」


「かなり無茶なこと言ってる自覚はあります。いきなり赤の他人の言葉を信じて助けて欲しいと言ってるようなものなので……」



普通は反対というか非協力的になるか。

考えてみればおかしな話だ。

気持ちは理解できるといえど彼女の言う通り赤の他人だ。



「そうだな……一応ここには春野くんの恩返しに来ているってのもあるだろうがたぶん君のお兄さんに言われたことと関係しているのかもな」


「兄さんに何と言われたんですか?」


「俺は良い奴。そのようなことを言われた」



キョトンとした顔をされた。



「ごめん、胡散臭いわな。自分のことを良い人だなんて。俺もそんな信じてないんだ」


「あっ、いえ、疑ってるわけじゃないんです。私も実は貴方を見たとき──あ、いえ、やっぱり何でもありません」


「? …まあそんなことは置いておいてだ」



助ける義理があるか?

利と不利益の比重はどうか?


本来なら考えるべきことだろうし春野くんにアドバイスしてもらった通りにするなら欲の解放のためにもここは協力的ではなく非情に振る舞うべきポイントなんだろう。

しかし俺はそんな気にならなかった。


時と場所を弁えるべきだというのもあるが思うに俺は彼女に未来の自分を重ねているのだ。

これは同情だろうか……?



「金銭諸々の問題があるが、家を出ること自体は難しくないかもしれない」


「!」


「君は家族に家を出たい理由を話せないと言ったがそれは後ろ向きだからだ。前向きな理由に変換してあげればいい。気持ち的にはなかなか難しいと思うが」


「前向きに……ですか」


「ああ。次に金銭問題だが君のご家族に融資してもらうのは避けようと思う。家を出た後も何かと金銭関係がしがらみになって引き戻される可能性が高い」


「お金……」


「君はまだ中学生だから働ける年齢でもない。仮に働けたとして学校と両立しながらは難しいだろう。お金の件はこちらで何とかしてみる」



祖父に相談をしてみよう。

両親には期待できない。

込み入った事情を話せるほど腹を割った関係ではないからだ。


住む家についても我が家はNGだ。

境遇がら彼女は人の感情に敏感だろうから歪な感情が潜んでいる俺の家ではさらなる不幸に繋がる。

ならいっそ清々しいくらい思想全面だしの祖父に相談し、祖父の家で預かってもらう方がいい。

その場合俺もそっちに移り住んだ方がいいかもしれない。



「他にも生活面でのサポートとか色々問題はあるができる限りのことはしてみよう」


「あの、ほとんど全部任せっきりになってしまうんですが」


「ん? ああ、金銭問題は将来君につけを払ってもらうことになるかもしれないから別に俺が背負う責任は──」


「そういうことではなくてなぜそこまで協力的なんですか? ……私に何かして欲しいことがあるんじゃないですか?」



少し怯えたように肩をすぼませていた。

あまりに協力的だから懐疑心が出てしまったか。



「邪な気持ちはないから安心してほしい」


「本当ですか?」


「ああ」


「それは良い人だからですか?」


「それだけ、ではないかもしれない」



元々正義感とか強い方だと思っているがやはり彼女に対しての同情心が強い気がする。

彼女は自分を最低な奴だと卑下しているようだが俺はそうは思わない。

彼女もまた優しい人間だ。

でなければ家族のためにも家を出ようなどとは思わない。

自分が傷つくことを恐れるのではなく他者を思いやれる子だ。

救ってやりたいと思うには十分だった。



「……私、自分で言うのも何ですがモテます。話したことない人からもよく」



つまり容姿がいいと。



「確かに愛らしい見た目をしていると思う」


「……本当に何も邪な気持ちはないんですか?」


「ないよ」


「…別に邪な思惑に怖がっているわけじゃないんです」



目を丸くする。

てっきり性的な要求をされることを危惧しているのだとばかり思っていた。



「このまま頼りっぱなしでは善意につけ込むだけつけ込んで一方的に搾取するだけのようになってしまうのが嫌なんです。もちろん足の不自由な自分なんかにできることなんて大してないんでしょうが……。私にできることなら何でもします。なので私にも何かできることはありませんか?」



そういうことか。

失敗だ。

配慮が足らなかった。

彼女が優しさの檻に閉じ込められるのを恐れているのは知っていただろうに。



「……俺は武道の身として今、強さに繋がる欲というものについて学んでいる。春野くんに言われたことだが俺には欲がほとんどないらしい。実は君の今の状態は皮肉にも俺の目指している境地なんだ」


「欲がないとはどういうことですか? 感情がない的な……?」



やめてくれ。

そんな痛い人を見るような目は。



「こ、コホン。正確には俺も抑圧された環境で人並みにあるはずだったワガママだとかそういう忌避すべき欲望が消えてしまっているんだ」


「抑圧された環境……」


「そうだ、だから君が気を病むこともない。そもそも俺の家に来ない方が良かったと思うことになるかもしれないから」


「そういうことですか。でもそれだけでは──そうだ。私が貴方の欲望を引き出す手助けをするというのはどうですか?」


「いいの?」


「はい、もちろんです。それでもまだ足りないくらいの恩ですので」


「そっか。まあ恩といってもまだ何もしてないし手伝う云々も全てが上手くいったらの話だけどね。けどまあ、そうだな。そうなったらよろしく頼むよ」


「はい!」



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