お札の人
太刀川るい
第1話
どうしてこんな災難に巻き込まれたのか、さっぱり解らないが、すべての原因はあの日の記者会見だった。
いつもと同じ昼休みのオフィス。コンビニで買ったサンドイッチをあけ、コーヒーの上蓋にストローを差し込んでいると、テレビから総理大臣のけたたましい声が流れてきた。
元ユーチューバーだかなんだか知らないが、正直、イラッとする声だ。大げさな身振りにわざとらしい表情。
ここが職場でなかったら、無言でチャンネルを変えるところだけれども、チャンネルの決定権は上司にある。
政治もずいぶん変わっちまったなと思うけれど、選挙で選ばれたんだから仕方がない。政治と言えば、俺が子供の頃はスーツなんか着て真面目くさってたものだけれど、今はこういう候補の受けが良いらしい。
総理はド派手な衣装をきらめかせながら、馬鹿みたいなテンションで政策を発表する。
今回はどうやら、新しい紙幣のデザインを発表するらしい。
正直言ってどうでもいい。ぼんやりとサンドイッチを咀嚼した時のことだった。
ふと、上司の目線に気がついた。
俺の顔をじっとみつめては、テレビの画面に視線を移す動きを繰り返している。
その視線の先に目をやった俺は、思わず固まった。
そこにあったのは、俺の顔だった。
💴💴💴💴💴💴
紙幣の肖像に誰を選べば良いのか。君主制なら当然のごとく君主の顔だが、民主制ではそうはいかない。だから偉人の顔をつけるのだけれど、そうなると、どの偉人を選べばよいのかでまた一悶着だ。
人間叩けば埃が出るもので、誰からも納得できる清廉潔白な候補を探すのは難しい。
「と、ゆーことでぇ。総理、思いついちゃったァ〜ノ!」
と、大げさな身振りでテレビの中の総理は叫ぶ。
総理のアイディアは単純だ。日本全国の人間の顔を取得して平均顔を作成する。その顔を紙幣の顔にしようというのだ。
国民主権であるならば、主権者の顔、つまり平均的な日本人の顔が紙幣に印刷されるべきなのだと、まあ、そういうロジックだった。
「平均顔は今まで何度か話題になったけどォ〜〜どれもこれも、ンーこれじゃない! ただ画像を重ねただけ。もと骨格とか、筋肉とかそういうもの平均を取ってしっかりとしたフォルムを持った顔を作るべき。そう思ったのネェ〜〜!」
総理はスカスカのスライドを何度も表示する。
次第に俺にも何が起こったのか、分かってきた。信じがたいが、そう考えるしか無い。
どうやら俺はその、平均的な顔とやらによく似ていたらしい。
💴💴💴💴💴💴
「しかし、これは今まで出てきた平均顔の結果とは異なりますねぇ。平均顔というと、魅力的な……なんていうかイケメン顔になるんじゃないんですか?
この顔はいまいちパッとしなくて、それとは違うみたいですけど……」
大きなお世話だこの野郎。と俺はテレビの中のキャスターに悪態をついた。
「その仮説がどうやら間違っていたようなのです。というのも、今までのそういう研究って例えば画像を透過して重ねただけみたいなのが多かったでしょう。
そういう時、人間の目は自然とそれらしい形を見つけてしまう。でも、こんな人間は実在しないわけです。
今回のお札では骨格レベル筋肉レベルでモデルを作って重ね合わせているからより正確ですよ。
さらに、元となるデータは国民番号カードの顔写真ですから、過去の研究に比べて遥かに大規模です。その結果がこの顔というわけですね」
なんの専門家だかわからないコメンテーターがしたり顔で解説してくれる。
「で、それなんですけど、今ネットで話題になっているのが……この人! なんと、このお札にそっくりな人がいたんです!」
キャスターが満面の笑顔でそう言うと、デカデカと俺の写真がアップされる。ご丁寧に(ネットより)という注釈がついている。
くそ、SNSのアイコンの画像を持ってきやがったな。実名登録SNSに数年前に登録していてさっぱり忘れていた。
俺は思わず顔を歪めた。
あの会見から数日。新しいお札に似た人がいるという話は、色んなところで少しずつ話題になっていった。
最初はSNSから。俺の元同級生が、一緒に写っている写真をタグ付きでアップしたらしい。
で、そこからだんだんと話題が広がり、ついに昨日はテレビ局の関係者から連絡が来た。
最初は面倒くさいので断ろうと思っていたが、世話になった先輩から直接連絡がきては断れない。思わず許可を出したらこのありさまだ。
テレビ局の人間はネットに落ちている画像は自由に使って良いという社員教育でも受けてるのか?
俺は不愉快になって思わずテレビを消した。くそくそくそ、面白くもない。どうか、世間の連中はこのことを忘れて、静かになりますように。
結論から言えば、その願いは無惨にも打ち砕かれた。
数ヶ月も立たないうちに、街中の人間が俺を見るようになった。
電車の中でもパシャパシャ耳障りな音がする。勝手に撮りやがって。そのたびに俺はじろりと睨むが、暴れてネットに投稿されても損なので寝たふりをしてごまかすことにした。
お札が実際に発行されてからはさらにひどくなった。
自分の顔が印刷された紙幣がATMから出てきたときは、えらく不気味だった。
財布の中にも入れておきたくなくて、キャッシュレスに切り替えた。だが、どこに行っても、みんな財布から紙幣を出して俺と見比べる。
コンビニのレジに並んでいるだけでも、後ろに並んでいた中年女性が俺と一緒の自撮りを求めてくきた。
愛想笑いを浮かべる俺の前で、俺の顔が印刷された紙幣がレジに吸い込まれていくのが見えた。
報道は加熱して、バラエティ番組にオンラインでの出席も求められた。俺が喋って何になるんだ。
仕事を理由に断ったが、そんな依頼はどんどん舞い込むようになった。
今や、街を歩くだけで人だかりができた。サングラスを買うことを覚えて、ようやく頻度が減ったが減ったが、どうして俺が自腹を切ってこんなものを買わなければならないんだと腹が立った。
そんな生活を続けていたら、ついには総理から直接連絡が来た。
是非一度、政策パーティに来てほしいとのことだった。政策パーティってなんだ?と思ったが、少なくとも招待状にはそう書いてあった。総理の造語かもしれない。
流石にこれは断りにくかった。社長からも特別休暇を認めるとの直々の通達があった。こいつ、この機会に政治家に顔を売ろうと思ってやがるな。
利用されることには腹が立ったが、雇われ人である以上、事を荒立てたくもない。
ということで、スーツをクリーニング店から引き取ってきて、家に帰ろうとした時のことだった。
「あなた、お札の人ね」
メガネをかけた、俺より少し年上に見える女が、家の前に立っていた。
「サインはしないことにしてるんだ。ネットで売られるから」
「いいえ、サインじゃない」
「じゃあなんなんだ? あの札が出てから、いつもこんな感じだ。いつになったらまともな生活が送れるんだ。頼むから放っておいてくれよ」
「そのことについてなんだけど、あなたを開放してあげられるかもしれない」
その女は俺をじっと見ると、続けた「あの平均顔を作ったのは私なの。少し話を聞いてくれない?」
💴💴💴💴💴💴
「インチキだって?」
「ええ、その通り。総理がお札の顔を作るのに使ったのは私の研究。でも研究そのものじゃない。あのアホが見栄えを良くするように結果を弄ったの」
自宅に上がり込んだその女は、湯呑みからお茶を飲んで憎々しげにそう語った。
「じゃあ、俺は本当は平均的な顔じゃないってことか?」
「そう、データを弄った結果が、たまたま似てたのね」
「データをいじるってどうやるんだ?」
「簡単に言えば入力データを選別したの。元々それに対する憤りがこの研究だったんだけれどね。
……昔、平均顔の研究があってね、それに参加したことがあるの。
ほら、被験者を集めてその顔を撮影して平均顔を作るってやつね。でも参加してみて気がついた。ああいう研究って結局研究に参加できるごくごく狭い範囲のサンプルデータしか取っていない。例えば、私の妹は知的な障害があるのだけれど。あの子がそういう研究に呼ばれることってのはないわけ。でもそれっておかしくない? 知的障害の割合って大体1%ぐらいはあるわけ。小学校一つあれば、必ず二、三人は存在する計算になる。でも無視されている。本当ならば、平均顔にも1%ぐらいは入っていないとおかしいのに」
「あー、その、いないことにされているのに、腹が立つってことを言いたい?」
「そう、いないことにされている。無意識なうちにね。だから、徹底して平均顔を作ってやろうと思ったの。性別、年齢、出身地、全部に関係なくデータを集めて作った真の平均顔をね。それを発表したら、官邸が興味を持ってね。こんどの事業にピッタリだってことで、仕事を任されたの。でも甘かった。私が作った真の平均顔は総理に却下された。それでもっと見栄えの良い顔をと言われて作ったのが、つまらない無個性なお札の顔ってわけ」
「おい、ずいぶんと失礼なことを言ってくれるな」
「あら、ごめんなさい。あくまでも個人の感想だと思ってよ。まあ、私はそれでも真の顔で行こうって主張したんだけど、それでプロジェクトを降ろされちゃって。こんな馬鹿な話ある? 鏡に写った顔が気に入らないからって、鏡の方をいじろうってんだから」
そういうと、その女は怒りを込めて湯呑みをどんと置いた。
「事情はなんとなくわかった。つまり俺は偽物ってことだな。じゃあ話は単純だ。あんたが持っているその真の平均顔とやらを公開する。で、今までの顔は間違ってましたと発表すれば、俺はめでたくお札の人から開放ってわけだ」
「理解が早くて助かります。で、これが顔なんだけど……」
そういうと、その女は、自分のスマホにその画像を表示した。
「……まじ?」その画像を見た時、俺は思わずそう呟いた。
「本当よ。でもみんな、これを見なかったことにしたがるの」
その女は俺の目を見ながらしっかりとそう言った。
💴💴💴💴💴💴
「ヘーイ!今日のゲストは話題沸騰中のこの人〜〜〜っ! お札の彼だ〜〜〜!」
総理がアホみたいな衣装でそう叫ぶと、プシューと音を立てて、煙があがり、軽快な音楽とともに俺は政策パーティの会場に現れた。
(ご丁寧に入場曲は「Because We Can」だ)
興味がなかったので知らなかったが、このパーティ、ネットで生中継、平均同接100万人は固いらしい。
愛国者であった覚えはないが、こういうのを見せられると、どうしても憂国の気持ちが湧いてきてしまう。
まじで大丈夫なのか?冗談抜きで。
総理と短い会話をしたあと、しばらく会場で写真撮影に応じたりしていると、スピーチの時間がきた。
俺は、あの女と事前に打ち合わせしていた通り、演題に上がると、スマホの画面を後ろのディスプレイと同期させた。いや、正確には同期させるふりをした。
そして、会場をゆっくりと眺めると、話し始めた。
最初は当たり障りのない挨拶からだ。少しして、会場が油断してきたところで……仕掛ける。
「……ところで、私の顔ですが、最近少々気になることを聞きました。総理、実はこの顔は真の平均顔ではないという話です」
総理が怪訝な顔になるのを視界の端におさめて、俺は話し続ける。
「どういうことかなそれは?」
「どうも、真の平均顔は別にあった。それを総理が横槍をいれて、違う顔にした。それがたまたま私の顔に似ていたそんな話を聞いたんですよ」
「おいおい、デタラメをいうのはやめたまえ」
総理は、余裕を見せながら側近に何かを指示した。俺を止めようと言うのだろう。だが、遅い。
「皆さん、せっかくですから、ご覧いただきましょう。これが本当のこの国の平均顔です」
俺がそう言ってカメラの方を見ると同時に、ディスプレイが切り替わった。
その瞬間、会場から悲鳴に似た声が上がった。俺はネットの向こうで配信を見ている視聴者の顔を思い浮かべた。きっとこの会場の面々と同じような顔をしているに違いない。
「この野郎っ! おい、やめろ!」
総理が顔色を変えて詰め寄る。俺はマイクを持って壇を駆け下りる。
「総理! 目をそらしちゃいけませんぜ! これが主権者の顔ですよ! 来週からお札はこれにしてくださいや!」
ざわめく参加者の間をかいくぐって、俺は会場の外に飛び出した。
最後に、ちらりと、後ろを振り返る。カメラに向かって取り繕うように弁明する総理の後ろには、まだデカデカとあの顔が出ている。
あの映像は、俺のスマホと同期していると見せかけて、会場の中にあの女が持ち込んだスマホと同期されている。だから、会場の中からスマホを探し出すか、ディスプレイの電源を落とすまでは表示され続けているだろう。
ディスプレイの電源はあの女が細工して切れないようになっているはずだ。
天井まで届く大画面に、写っていたのは、老人といってもいい顔だった。額には深くシワが刻まれ、土気色の肌はたるみ、疲れ切った顔をしている。
日本の平均年齢は50歳、俺たちの社会は老いたのだ。
その顔に別れを告げて、俺は浮かれ気分で夜の街に飛び出した。
国の将来なんて、また別の時に考えよう。それよりも今は気分が良い。
もう、街中からの視線は感じない。今の俺は自由だった。
お札の人 太刀川るい @R_tachigawa
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