灰色と原色

文字による描写というのは、必要のないところを省くことが容易にできるものです。
朝起きてから歯を磨くところまでの行動、洗面所までの視覚情報をすべて書き記すなんてことはしないし、それがあるからこそ、書き込んだ描写が鮮烈に浮かび上がってくるものだというのは、言わずもがなのことでしょう。
これに対し、作者はあえて(と言い切ってしまっても良いでしょう)執拗なまでの描写をおこないます。省くであろう描写を徹底的にし続けます。
この途切れることのない執拗な描写の結果、交差点の描写、先程までとは打って変わったかのような簡潔な様々なものを省いた描写が鮮烈なものとして、私の眼前に浮かび上がってきます。
どこかくすんだ色調で描かれた交差点までの道のりと、鮮やかな交差点の対比もまたとても鮮烈です。
交差点のところではじめて、人称代名詞があらわれ、ホームから交差点までの描写を交差点からホームまでの描写として繰り返すのですが、この描写が執拗に先の描写と同じようにされているようでありながら、そうでもありません。
ところどころ現れる数字や左右といった言葉につられて、まったく対称的なものとして描いているようにみえるのですが、実はそうでもないのです。
まるで、だまし絵のようで、これができる作者の筆力には舌を巻くしかありません。
また、この小説には何かしらのストーリー的なものがありません。これもおそらく意図的なものなのでしょう。
ストーリー的なものは一切ない(少なくとも私は読み取れていません)、最後は句点で終わってすらいない、それなのに、どこまでも読めてしまうのです。
私が小説として思い描いているものを徹底的にずらしていく、徹底的にずらされているにもかかわらず、私はこれを小説として認識してしまっている。
私は何もつかめないのに、作者にがっちりとつかまれてしまっている。
大変素晴らしい作品でした。