この付き合いは終わらないだろう

シンカー・ワン

ストレスと二人三脚で

 あまり健康的な子供ではなかった。

 常に何かにかかっているような、そんな子供でした。


 風邪をひきやすい。よく熱を出す。

 夏場になれば、両足に謎のぶつぶつが湧き、皮膚科のお世話になる。

 いつもいつも、何かの医者にかかる、弱い弱い子供、それが私。


 小学校に入った頃から、ひっきりなしに腹痛が起きるように。

 二年生の時に盲腸を取り、これでよくなると思っていたが、そんなことはなかった。

 むしろ、キリキリと痛むことが多くなっていった。

 当然、学校も休みがちになる。週の半分休むなんてだ。

 あちこちの医者に行く、けれど原因らしいものは解らない。

 医者に行けば一時的に腹痛は収まった。けどすぐまた痛みだす。

 医者がダメならと、拝んでもらったこともあった。もちろん、無駄だったけど。


 小学校六年生の時、近場の一番大きな総合病院で胃部X線バリウム検査を受ける。

 初めて口にしたバリウムは不味くてなかなか飲み干せず、発泡剤のげっぷを堪えるのも大変だった。

 現在のバリウムはいいよねぇ、まろやかで飲みやすいし、なにより味が付いている(苦笑)


 検査の結果、十二指腸潰瘍だと判明する。

 『十二指腸潰瘍』初めて聞いた病名。

 そもそも『十二指腸』というのがどこにある臓器かも知りませんでした。

 医師センセイがレントゲン写真にボールペンで印をつけながら、わかり易く説明してくれた。

「ここが胃でね、ここの出口のところ、これが十二指腸。で、ここのところに傷が出来ててね……」

 写っていたのは小さな白い点。そんなものがあれだけの痛みを生むのかと。

「この病気はね、考え込み過ぎたり心配し過ぎたりとか、気を使い過ぎたりすると罹るんだよ」

 そういう病気だから、なかなか治りにくいとも言われた。

 

 要するに、ストレスが原因。

 現代社会、ストレスを感じずに生活していくのは難しい。

 よわい十一にして不治の病と言われたようなもんだ(笑)

 緑色をした苦い苦い粉薬と、いくつもの錠剤を毎食後に飲まなければいけなくてめんどくさかったけど、薬を飲むと痛みがなくなるのはありがたかった。


 翌日、ただでさえ頻繁に休むことを快く思わず、検査のためだけに休むのをあからさまに嫌がった担任に検査結果を報告した際、返された言葉は今も忘れられん。

「――、十二指腸潰瘍になるなんて……」

 苦々しい顔をして吐き捨てるように言われた。

 胸のうちで言い返してた。

「アンタらがそういう態度とるから、こういう病気になったんだろうが」と。

 小学生の子供に、大人がネチネチと言うなや。

 そうやってストレス与えるから、良くならんのだろうが。

 学校に通うこと、それ自体が過大なストレスになっていた。


 一時的に良くなることもあったが、すぐまた悪くなるの繰り返し。

 中学になり、ひどく傷みだすようになってから新たに通いだした消化器系専門医院のセンセイに言われた言葉。

「生きてる限りストレス失くすのは難しいから、だましだましで一生付き合っていくことを考えておいて」

 あのセンセイは本当に良い医師だった。

「ま、考えすぎないようにして、気楽にやっていこうか」

 こう言われたことに、どれくらい救われたか。

 高校を出るまで通ったけど、その間はかなり楽だったなぁ。


 就職後、結局また痛むようになり、近所の内科に。

 ここの医者もよい先生で、助かりました。

 その後、また通う医院は変わりましたが、ありがたいことに良い医師せんせいに恵まれてます。


 小学生のころと違って、薬の量は減ってますが、今も服用してます。

 飲むのを止めると、やっぱり痛み出すんですよね。

 プラシーボな面もあるのでしょうが、薬飲んでると安心できるんですよね。

 どっちかってーと依存症?(爆)

 

 そんな感じで薬飲んでりゃ大丈夫だったはずなんですけど、数年前に就いていた仕事場で、久しくなかったきつい痛みが続くようになりました。

 休みの日でも何か怠くて、疲れが一向に取れない。

 勤めだして二ヶ月ほどたってからの休みの日、家でくつろいでいてトイレに行こうとして立つと急なめまいが。

 壁にもたれて落ち着いてから部屋を出て、数歩歩いたらまためまいに襲われて、気を失いました。

 目が覚めたら床に突っ伏していることに気が付き、何とか起き上がる。

 力は入らない、フラフラです。

 悪いことに木曜日の午後で、通いの医者も休診。

 「疲れてるから倒れた」で済ませ、その日は早めに就寝。が、翌日になっても体調は戻らず。

 会社に連絡入れて休ませてもらい、さっさと医者に。

 状態を説明したら即採血されて結果を待つことに。

 翌日、朝起きてとりあえず仕事行く用意してたら医者から電話。

「すぐ来てください」

 慌てて行くとセンセイが仰った。

「二週間の療養が必要。安静にしてなきゃダメ。入院する? それとも通う?」

 血液検査の結果、極度の貧血状態と判明。

 来るのがもう少し遅かったら死んでいたそうだ。

 顔なじみの看護師さん曰く「昨日来た時びっくりしたよー。顔に色がなかったから」

 貧血の原因、それまで何十年と落ち着いていた十二指腸からの出血でした。

 勤め始めてからの二ヶ月の間に溜まっていたストレスが炸裂した結果。

 あの仕事場、そりが合わない人もいてすごく嫌だったんですよ。行くこと自体が嫌で嫌でしようがなかった。

 いやぁ、今までヤな仕事場幾つかあったけど、胃にまで来ることはなかったから、本気で嫌ってたんですなぁ(笑)

 少しもめましたが、なんとか辞められることに。

 療養となった時点でクビになると思っていたんですが、派遣会社が休めばまた出るようなこと言って引き延ばしてたみたい。

 結局、私の方から直接仕事場に連絡して退職を認めてもらうことに。

 いやホント、何のための派遣会社だよって、そのときは本気で思いましたわ。間に立つのがあなたらの仕事じゃないんかよってね。

 当の仕事場、そこで働いてて倒れるようなことになったのに

「良くなったのなら戻ってきてもらえるかな?」

 なんて平気で訊いてきましたからね。

「アンタんとこで働いてて死にかけたんだぞ。アンタら俺を殺す気か?」

 って電話口で怒鳴ってやろうかと思ったわ(怒)

 もちろん言いませんでしたよ、大人ですから。 


 二週間のはずの療養は結構長引き、無理せず日常生活に戻れるまで、結局二か月かかりました。

 ヤなとこへ勤めていたのと、同じだけの時間ですよ(苦笑)

 療養中は午前医者行って治療受けるだけで、あとの時間は暇を持て余してましてました。

 日課になってたネットしているときにとあるサイトで紹介されていた本が気になり、その本から小説投稿サイトを知り、読み手から書き手になり現在に至ってます。


 死にかけてからは過度なストレスと向かい合うこともせず、のらりくらりとやっています。

 たま~に痛むこともあったりしますが、まぁ許容範囲。

 コロナ過で仕事失っている間なんか、本当はストレスマッハになりそうなものなのに気にしないように生きてました。

 さすがに貯金が底ついて明日の生活費もやばくなったときは、かなり焦りはしましたけど。


 あと何年生きていれるかはわかりませんが、中学のとき出会った医師せんせいの言葉に従って、この病気と付き合っていこうと思います。

 いつになったら、ストレスとオサラバして楽になれることやら。

 ま、生きてる限りは無理なんだろうけどね(苦笑)


 皆様も、過度なストレスは溜められないように。適度に発散させましょ。


 お読みいただき、感謝です。

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