エピローグ

 多目的室から箱を持ってきて、スマートフォンをそれぞれに返した。持ち主を失ってしまった四台が寂しそうに見えた。

 警察に事情を聞かれた五十嵐は自白し、すぐにパトカーへと連れて行かれた。

 遺体の確認があちらこちらで始まると、業荻山荘の中はにわかに騒々しくなった。

 そんな中、居間で待機していた千晴に声をかけたのは亜坂だった。

「あの、千晴さん」

 はっとして顔を向けると、頬を紅潮させながら彼女がたずねた。

「また、会えますか?」

 ドキッとして千晴の顔が熱くなる。どういう意味だろうかと考える間もなく、手にしたスマートフォンに目がいった。

「よければ、その……連絡先、交換しますか?」

「いいんですか!?」

 驚きのあまり亜坂が大きな声を上げ、千晴はにこりと微笑んだ。

「はい。それでまた、会いましょう」

 彼女との縁を今回限りにするのは惜しい。

 彼女もきっと同じような気持ちだったのだろう、すぐにスマートフォンを手に取った。

「それじゃあ、お願いします」

「はい」

 時刻は午後六時を過ぎていた。


 警察の事情聴取が終わって都内へ帰った翌朝、新聞や雑誌の記者たちがひっきりなしにやってきた。父が毅然きぜんとした態度で都度追い払ってくれたが、千晴たちの疲労は何倍にも増した。しばらく仕事は休むことにし、万桜の大学への行き帰りには父が車を出した。結果的に探偵事務所の仕事にも支障が出て、他の従業員たちへ負担をかけてしまった。

 テレビニュースもインターネットのニュースサイトも、この事件を大きく扱った。「劇団ルート66」の名前は全国に知れ渡るところとなり、五十嵐の目論見もくろみ通り世間をにぎわせた。

 不謹慎なミステリー愛好者たちも盛り上がり、好き勝手に推測や考察を披露し合っていた。もっとも、千晴たちがそうした外の情報に触れたのは報道が落ち着きを見せた頃であり、事件の終わった日から四日が過ぎていた。


 神谷の告別式を終え、父の運転する車で帰宅する途中だった。助手席に座っていた万桜がぽつりと言った。

「お父さんにも聞きたいんだけど、今回のことをブログに書くかどうか迷ってるんだ」

 黙って目を閉じていた千雨がまぶたを上げる。

「記録として残すのはありだと思うわ。でも、ブログで公開すべきではないんじゃないかしら」

「そうだな、私も千雨と同意見だ」

 父親が前を見たまま言い、万桜は「お兄ちゃんはどう思う?」と後部座席を振り返った。

 うつむいていた千晴は顔を上げ、曖昧に首をかしげた。

「どっちでもいいんじゃないかな」

「……自分の意見はないの?」

 万桜がじとりとした目を向けてきて、千晴は横目に妹を見やる。

「千雨が言うことも分かるよ。万桜ちゃんは事件の関係者なんだから、公開していい情報とそうでないものがある。だから、慎重になるべきだとは思う」

 興味を失ったように万桜がフロントガラスを見た。

「でも、ある意味では二度とないチャンスだよね。うまく書けば、きっとバズるだろうし」

「バズる、ねぇ」

 千雨が呆れたように繰り返し、千晴は戸惑いつつ続けた。

「巧人先輩が願ったように『劇団ルート66』を歴史に残すなら、書いて公開するべきなんだ。一人でも多くの人に知ってもらうべきなんだよ」

「知ってもらったところで、人々はすぐに忘れるわよ」

 冷めた調子で千雨が言い、窓の外へ視線を向ける。都会の鮮やかなネオンが反射して白い頬を流れていく。

「犯人はとっくに捕まってるから、テレビで続報が流れることもない。ネットニュースになっても、盛り上がってたのは最初だけ。もう新鮮な話題じゃなくなってきてるのよ」

 千雨の言う通りだった。現在、SNSで見かけるのも、動画配信者として有名だった宇原をいたむ声ばかりとなった。

 明日には桁山の告別式が開かれる予定となっており、被害者たちの葬式はそれが最後だった。宇原は後日お別れ会を行うそうだが具体的な日時はまだ発表されておらず、大井は家族葬でひっそりと済まされていた。

「分かってるよ。でも、何もしないよりはマシなんだ」

 五十嵐に同調したわけではない。むしろ神谷のことを思っていた。

「ただ消費されていくなんて嫌だ、そんな悲しいことはないよ」

「そうは言ってもね、千晴。大多数の人間には関係のないことなのよ。あなただってそうでしょう? 自分に関係のない事件を、会ったこともない見知らぬ被害者たちのことを、どれだけ覚えていられるの?」

 あいかわらず現実的な千雨に、千晴はぎゅっと唇を噛む。

「残酷なことを言ってるのは分かってる。でも、今はそういう社会なのよ。どれだけ大きな事件を起こしても、日が経てば別の事件に上書きされる。スワイプして流される。心を痛めるのはほんの一時だけ」

「だから、風化させないために書いて、公開することに意味があるんじゃないか」

 千晴が震える声で言い返すと、千雨はため息をついた。

「あなたが何を考えてるか、よく分かるわ。神谷さんのことでしょう?」

 万桜は黙って二人の話を聞いていた。

「彼の記憶を残したいんでしょう? 自分が忘れたくないんでしょう?」

 先ほどの告別式で流したはずの涙が再び視界をにじませる。

「でもね、受け入れなくちゃならないこともあるのよ、千晴……」

「……それでも、僕は」

 どうにかして彼のために何かをしたい。具体的な方法がまだ分からないから、せめて記録を残したい。

 赤信号で停止し、父が穏やかな声で言った。

「千晴が誰かにこだわるなんてめずらしいな」

 はっとして顔を上げると、父は助手席の方を気にしながら続ける。

「万桜から聞いたよ。その神谷という彼は、千晴より先に真犯人を見つけたんだろう?」

「うん……僕より頭のいい人だった」

 あの日、彼を死なせてしまったことを深く悔やんだからこそ、千晴はあくまでも神谷の代理として推理を披露した。

「彼に追いつきたいか?」

「……」

「彼のようになりたいと思うのか?」

 信号が青へと変わり、車がゆっくりと走り出す。

「今は何でも消費してしまう無情な社会だ。あらがってみたところで、いい結果が得られるとも限らない。世間に出ているコンテンツの数が膨大すぎて、何も成せずに埋もれて消えていくものも多いからな」

 父の言葉に双子は口を閉じて聞き入った。「劇団ルート66」が悲惨な結末を迎えたのも、そうして淘汰とうたされた結果だった。

「現実は現実として受け止めて、千晴は彼のことを胸に刻みつけておきなさい。そして彼がどれだけ素晴らしい人だったか、人々に伝えていけばいい。小さくて地味だが、それでいいんだ。彼への執着が消えるまで、ずっとお前の胸の中に彼を存在させ続けなさい」

 いましめであると同時に救いだと思った。千晴はそっと伊達眼鏡を外して膝の上に置いた。

「そうします。僕はずっと、神谷さんのことを忘れない」

 スワイプされて人々の記憶から劇団の名前が消えても、千晴は神谷翔吾を追い続けようと決めた。たとえ一生かけて追いつけなかったとしても、ずっとずっと目標にしていこう。

 万桜が車内の沈黙を破るように強く言った。

「やっぱりわたし、書く。今回のこと忘れたくないから、書いて公開する」

 父は「そうか」と短く返し、千雨は「いいんじゃない」と半ば呆れつつも微笑んだ。

 あの日、神谷と千晴を誰よりも近くで見ていた万桜だからこそ、書くことを決意したのだろう。

「ありがとう、万桜ちゃん」

 千晴の言葉は上手く声にならなかったが、万桜の耳には届いたようだ。こくりとうなずき、まっすぐに前を見据えた。

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来し方行く末 劇団ルート66 晴坂しずか @a-noiz

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