後編
その場にただ転がされたまま、朝が来て、夜が来た。
男が、帰ってきた。
男は、手足を縛られた少年を抱き抱えていて、私の目の前に放り投げた。男は、少年の口を塞いでいたテープを剥がした。
「た、助けて……」
男は、少年の髪を鷲掴みして、顔を私に向けた。少年の顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。
「よく見ろ。お前がこんな目に遭うのは、この女のせいなんだ。この女が数字を守らないから。最初からやり直しだ」
男は、少年に馬乗りになって、ナイフをかざした。
「や、やめて……!!」
少年のか細い声など最初からなかったかのように、男は、少年の体に何度もナイフを突き立てた。ナイフは胸やら腹やら首やら、でたらめに突き刺された。
少年は、最初は、げほ、とか、ぐえ、とか言っていたが、すぐに全く動かなくなり、ナイフを突き立てた時の振動をその肉が受けるに過ぎなくなった。男は返り血を浴び、血で手が滑ってナイフを落とした。
「はあはあ……。わかるか、お前のせいで、こいつは死んだんだ。せっかく、書いたのに。また、書き直さなくてはならない……。まずは、血で、清めないと……」
男はふらふらと立ち上がり、となりの部屋に消えて、そしてモップを持ってきて、少年の血を床に伸ばし始めた。白い丸と数字が、血で、塗りたくられていった。
少年の血では、部屋の半分にしかならなかった。当たり前だが、臭い。
「もう一人ぃ!! いるからぁっっ!!」
男は泣き喚くように叫んで、玄関から出て行ったようだった。
そして、次に連れてきたのは、成人男性だった。男は生きているようだったが、意識がなかった。男――数字男とでも呼ぼうか――数字男は、被害者男性を乱暴に床に転がし、腹を2回刺した。血が広がっていく。そうした上で、被害者男性の顔を叩いて起こした。
「起きろ!! おい!! 起きろ!!」
被害者男性が、目を覚ました。
「よく、見ろ!! あの女のせいで、お前は死ぬ!! わかるか!!」
被害者男性が、ゆっくりこちらに顔を向けた。自分の身に何が起こってるか、わからない様子だった。
そうしてる間に、数字男はまた滅多刺しを始めた。被害者男性は口からどぼどぼと血を垂れ流し、ガクリとこちらに顔を向け、白目を剥いて死んだ。
数字男は泣きながらモップを手にして、さながら部活終わりの高校生が体育館を掃除するかのように、隅々にまで血を伸ばし始めた。
血の清めとやらが終わると、数字男は、二人の死体を担いで、椅子の部屋に投げ入れた。そして、数字の部屋のカーテンを全開にした。窓の外は明るくなってきていて、木々が見えた。
「朝じゃ……ダメなんだよ……」
男は、そうつぶやいて、ゆっくりとカーテンを閉めた。
♢♢♢
「よくあんな状況で、これだけ鮮明に覚えていましたね」
女性の警察官が、長々と書いた調書を眺めながら、思わずつぶやいた。
「ミステリーやホラーが好きで。自分でも書いてるんです。だから、もし生きて帰ってこれたら、絶対この体験を書いてやろうと思って、目に焼き付けてきました」
環奈は、微笑んだ。
あの後、昼にはもう警察が来て、数字男は逮捕され、環奈は救出された。環奈は病院で手当を受け、日が沈んでようやく事情聴取が終わったのだ。
病院を出ると、黒いスーツの男が環奈を待っていた。
「もう少し、自然な格好で来てくれませんかね?」
「すみません、仕事中はこの格好でないと調子が出なくて」
黒いスーツの男は、車の助手席のドアを開けて、環奈を乗せた。
「今回は、計画はそちらで、部分的にしかお手伝いできませんでしたけど、これはうまく行ったんでしょうか?」
「はい。おかげさまて、無事に三人とも始末できましたから。環奈さんの髪が短くなって、暴行を受けたのは申し訳なかったですが」
黒スーツの男は車を走らせた。
「髪はいいです。暴行されるのは慣れてないので、次の課題だなと思ってます」
「プロ意識が高くて頼もしい限りです」
「差し支えなければ、全容を聞いてもいいですか?」
「はい。まず、数字の男は、両親と兄弟から”殺処分”の依頼が来ていました。攻撃的な妄想、幻聴などがあり、家庭内暴力はもちろん、病院に入院しても良くならないということで、受け入れ先がなくて。先天的なものでしょうから可哀想なところもありますが、現代には合理的な殺処分が認められていませんから、こんな遠回りなやり方になりました」
車線変更をして、郊外に向かう。
「数字男は捕まったので、むしろ殺処分が難しくなったのではありませんか?」
「まあ、これほどの事件を起こしてくれれば、あとは何とでも、ね……」
黒スーツの男は、少し笑ったように見えた。
他の車がビュンビュン追い越していく中、黒スーツの男の運転は模範的だった。
「彼の家系はお金がありましたので、一軒家を彼にあてがって、軟禁療法をしていた設定にしました。そして、こちらのチームから洗脳の専門家を派遣して、彼の妄想に方向性を与えました。数字が好きなようで、彼は自分であのルールを作り、縛られるようになりました。そして、いよいよ彼の暴力性を解放しました。そこで、環奈さんに第一の被害者役をお願いしたわけです」
「細かな段取りも、そちらがやったんですか?」
「ええ。特に連れ去りですね。そこでうっかり、善良な市民に通報されたらまずいですから。ただ、想定外だったのは、彼は、環奈さんの連れ去りの時、まだ目覚めたばかりだったので、殴れなかったんです。もたもたしてたんで、助手席にいた私が代わりに殴りました」
「……本当に、私、気を失ったのですが……」
「はい。プロとして、後遺症が残らないようにちゃんとやりました。あ、お互い、仕事中のことなので、謝りませんよ」
黒スーツの男も大概だ。
「彼には、殺人動画を撮るように洗脳しました。彼にとっては、”最小の単位にする”という言葉に置き換わってましたが」
「あのう……あのまま私が何もしないで過ごしてたら、私、殺されてたんですか?」
「まず、環奈さんの性格なら、彼に挑発行為をすると思ってました。まあ、本当に殺されかけたら助けに行き、正当防衛の殺処分を考えてましたが」
「うん……」
本当に助けに来てくれる気あったのかは疑わしいな、と環奈は思った。
「環奈さんの一手で、彼が発狂したので、あとは彼が生贄を拉致しやすいように、目の前に子羊を置きました」
「あの二人は何だったんです?」
「少年はいじめの主犯格。男は児童への性的虐待を」
「なるほど。法律で裁くには、調べるのに時間がかかりますね」
「人生は有限ですから。手っ取り早く、殺処分で。ちなみに今回の弊社ご利用特典は、彼らの殺人動画です。あ……表現が正しくないですね。”彼らが殺される場面の動画”です」
「数字男がカメラを仕掛けてたていにして……ですね。警察が来るのも早かったですね」
「男の方は酔わせて、あとは数字男が車に詰めるだけでしたが、少年の方は習い事の帰りを狙わせました。子どもがいなくなれば、すぐに通報がありますよね」
「なるほどね……」
環奈は車のシートを思い切り倒して、背伸びをした。
「今回の正義の味方ごっこはいかがでしたか?」
「そうですね。数字男がなかなか怖かったです。あと、私の最終目標は、ストーカーやリベンジポルノをやるような女々しい男の皆殺しなんですが、いい方法はないですかね?」
「やりようはありますが、なんせ人手不足で」
「求人、出しましょう?」
「職安で?」
「平気で殺人ができる人募集! 初心者歓迎! アットホームな職場です! 採用試験殺人あり! 研修制度充実!」
「ウソではないですね」
黒スーツの男は笑った。
歩美は、高校の時に自死した。歩美が付き合っていた大学生の彼氏が、歩美に振られた腹いせにストーカーとリベンジポルノをしたからだ。ネットに流出した歩美の美しい顔は、匿名の悪意の手でたくさんの裸の写真と合成され、AV女優と勘違いされるくらいになっていた。SNSやメールに見知らぬ人間からいかがわしいコメントがひっきりなしに届き、登校中に「金を払えばヤれるのか」と言われたり、「散々ヤってるんだから触られるくらい何でもないだろう」と襲われかけたこともあった。
自分と歩美を比べたら、歩美の方が人類にとってよき人間だったはずだ。なぜ、こんな目に遭わなくてはならないのか。
歩美が身を投げた橋に立ち、花を手向けながらそんなことを考えていると、この黒スーツの男に声をかけられた。殺人ができる人間を募集している、と。
「殺したい人間はいるし、絶対にそいつなら殺せるが、その瞬間に至るまでの方法がわからない」と言うと、計画は黒スーツの男が立てるので、実行をしてほしいと言われた。
彼を、駅のホームで盗撮犯に仕立て上げた。
「スマホの中に何が入っているか見せなさいよ!」そう私が怒鳴ると、彼は線路に降りて逃げ始めた。そちらにしか逃げられないように、黒スーツ男のチームのメンバーが配置されていた。
私は、彼を追いかけた。
知ってるんだ、そのスマホに、歩美の画像が入っていることを。なんで、歩美は、こんなクズを好きになったんだ。こんな奴の、どこが良かったんだ。私の歩美を返してよ……!!
私は、迫ってきた列車に向かって彼を押した。
警察には、現場を撮影していたスマホの動画……のように見えるニセ動画が提出され、盗撮画像……黒スーツの男が用意した画像が彼のスマホから出てきて、「盗撮犯が勝手に事故って死んだ」ことになった。
私は、黒スーツの男の組織の採用試験に合格した。
「……お腹空いた……」
「そうですね、焼肉でもしましょうか」
「組織が提供してくれるお肉って、まさか人間じゃないよね? 死体処理に困ってとか……」
「ああ……報酬に、殺処分体の死体がほしいという人はいますね」
「……上には上がいるにゃあ……」
環奈は車の窓を全開にした。
私は、歩美のような神の手は持てなかった。今は、蝶の羽をむしり、蜘蛛を潰し、巣を取り払える強い手がほしい。せっかくここまで汚れたんだ。極めてやろうじゃん。
こうなったのは、歩美のせいじゃない。私には、この世界の才能があって、自分で選んだ道なのだ。
歩美のような美しい子たちが、幸せになれる世界になれますように。
[了]
数字男 千織@山羊座文学 @katokaikou
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