弱り目祟り目落とし前

目々

伽藍堂の中、最後の住人

 俺はね、右足の小指です。なんか足先がじくじくするなって思ったら、爪がべらっとなかった。


 痛くないかどうかったら、そりゃあ痛いですよ。膿んだりはしてないんですけど、このままぶつけないようにしつつ生え変わり待ちぐらいしかできることないですし。あんまりこの手の怪我したことないんで、対処とかよく分かってないですよね。痛いの好きじゃないのは確かですけど。

 あとはそうですね、怪我自体は普通の怪我なんですけど、シチュエーションがちょっとあれではあります。

 過程としてはですね、家でレポート書いてたんですよ。それがこう、『資料』が『死霊』になるとか『根拠として』が『根拠屠して』みたいな誤変換が続くもんで、何だろうな集中切れてんのかなぐらいに思ってたら、爪先が落ち着かないのに気づいたんですよね。で、これひょっとして痛いんじゃないって確認したら爪がなかった、みたいな。机の下、別に足ぶつけるようなもんもないし、今の時期なんで靴下も履いてなかったし。あとはあれですね、剥げた爪が見つけらんなかったのも気になってはいます。状況的にその辺に落ちてそうなもんなのに、全然。


 あー……痛いの俺なのに、なんで先輩がそんな辛気臭い顔するんですか。

 つうかあれですね、この手の話を昼日中のファミレスですんの、よくないことしてる感がありますね。や、呼んだの俺ですけど。ほら、打ち合わせっていうかすり合わせがしたかったし、だったらついでに飯くらい食いたかったし。大皿いっぱいのポテトを前に、高校最後の大会でレギュラー落ちが決まった三年生みたいなツラすんのやめてくださいよ。意外とね、シチュエーションとしてはないよりのありだとは思いますけど。レギュラー落ちはともかく、予選負けで涙のファミレスみたいなの。縁がないですけどね、俺。


 ていうか先輩もなかなかじゃないですか。何ですかその左手。無事な指あります?


 あ、いいです見せなくて。この距離でも十分悲惨なのは分かるんで、いいです。つうかどう見ても薬指はあれですよね、折れてるとかねじってるときの……何だ、包装ですよねそれ。分かってますよ違うのは、でも他にいい感じの語彙が出せないんです。

 親指が一番マシだってのは言いたいことは分かりますけど、痕がエグいことになってるじゃないですか。火傷で結構酷めにやらかさないとそういうことにはなんないでしょ。利き手じゃないから大丈夫ったって……ああ、まあ、煙草吸えてるんですか。普通怪我人ってその辺の不摂生は自重するもんだと思いますけど、別にいいと思いますよ、個人の自由だし。

 他は何ですか、切り傷と、打撲と、爪。爪はやっぱり小指なんですか。嫌だなそういう共通点、何か読み取れちゃうやつじゃないですか。どれもこれも覚えがないっていうのは無茶じゃないですかね、折れてるのは──起きたら折れてたって、そういうの、マジで?


 何かなあ、俺よりひどいことになってる人がいるとこう、微妙な心境になれますね。

 いやあれですよ、お大事にとかかわいそうだなとかそういうのもちゃんと思ってますけど、なんかこう、引くっていうか。片手丸々やられた人が平気で煙草吸ってんのに、足の小指一本でわあわあ言ってる俺何なんだろうみたいな。

 ああ……ありがとうございます。骨折れてる人に爪剥げてるの大丈夫って言われるの、なんか意味分かんなくて面白いですね。あれだな、昔婆ちゃんの見舞いに行ったら虫刺されでぼこぼこになった足を笑われたときみたいな気分だ。余命宣告月単位で食らっといて孫の怪我見て笑えんの、なかなかのもんですよ。当たり前に死にましたけど。


 何でこんな目に遭うのかったら、まあ、あれじゃないですかね。祟り。

 やっぱね、定番にも程がありますけど、俺と先輩と林藤りんどうさんの三人で心霊スポット行ったって心当たりがあるわけですから。妥当じゃないですかね、論理の帰結としては。非科学的ではありますけど、こう、世間一般のあれこれ的に。

 んで、そういう普通に肝試しにバチが当たった的なのに加えてですね。心当たり、馬鹿なのがもう一個あるんですよ。祟りの根拠みたいな話。聞いてくれます?


 こないだ行った廃屋心スポのこと、ちゃんと覚えてますか。ヨシダハウス。あの廃墟アパート、そういう名前なんですよ。先輩車ん中でもビビりまくって話とか聞いてなかったっぽいから、きっと知らないだろうなとは思ってましたけど。林藤さん、運転しながら楽しそうに話してたじゃないですか。

 つうか先輩もそんなに怖いの駄目なら、ちゃんと断れば良かったんですよ。たかがサークルのOBの言うこと、しかも悪ふざけみたいな提案なんだから。『夏の学生らしく心霊スポット探検とかしようぜ』って、そもそも発案者の林藤さんが学生じゃないっていうね……あの人普段何してんですかね、俺知らないっていうか、誰も知らないんじゃないですか。OBだってのは知ってますし、話のネタとか見た目あたりから大体三十前後だろうなって期も何となく見当つけてはいますけど、その程度で。

 偏見ですけど、毎回顔出すたびに柄シャツと馬鹿みたいなネタT合わせて着てるような人が真っ当な社会生活を送ってるとは思えないんですよね。でも車持ってるし、飲み会に顔出すたびに多めに払ってくれるし、他のOBさんとも仲良くやってるっぽいし、話面白いし二次会で潰れそうになってるやつの面倒とかみてくれるし。──たまにスーツ着てるって、そっちの方がよりヤバい感が出るやつじゃないですか。


 まあ、あれですよね、俺は嫌いじゃないですよ。悪い人じゃないかどうかはともかく、面白い人ではあります。趣味は悪いですけど。


 喫煙所で行き会うと煙草奢ってくれるってのは、まあ……俺も経験ありますけど。なんかあれですよね、軽いんだか重いんだかよく分かんない味のやつ吸ってますよね、林藤さん。俺としては長持ちするから嫌いじゃないですけど。ただあれ吸ってる間は林藤さんの話に付き合わないといけないから、その辺一長一短ですね。つうか今回の心霊スポット探検だって喫煙所で決まったじゃないですか。飲み会で、先輩と俺が酔っ払いの相手が面倒になって休憩がてら吸ってたところに顔真っ赤にしたあの人が来て、そんでそのまま煙草もらってなし崩しに予定決められて──本当にろくなことしないな。


 そんでいよいよスポット行くって日に、車で迎えに来てくれましたね。待ち合わせの駅前の送迎スペースに横づけてくれて、俺が助手席で、先輩が車酔いするからって後ろに乗って。遠足行くみたいだなって思いましたよ。時間、夜の十一時でしたけど。馬鹿の大人の遠足。

 その道中、先輩が後部座席で頭抱えてる間に、ヨシダハウスの由来も説明してもらいました。ご丁寧にバージョン別で。ほらあそこ、そこそこ有名なスポットですから。そういうところって、噂も結構種類があるんですよ。

 俺が覚えてんのは、三つですね。何かいっぱい喋ってたけど、飽きちゃって。

 入居者の一人がとち狂って全然交流なんてなかった隣にベランダの仕切り板蹴り破って部屋侵入して無理心中したとか、同棲してたカップルが金貸してた友人を連れ込んで何日かかけて嬲り殺したとか、普通に学生が死んでから全然発見されなくて傷みまくってから見つかったとか、そういう感じの陰惨よりどりみどりみたいなやつ。そういうことがあってから、建物で変なことも起きるようになったし近寄ると訳分かんない目に遭ったりもするようになったって理屈です。


 要するに、何かひどいことがあっておばけが出たりするようになって、住む人がいないけどどうしてか取り壊されもしなくって朽ちて寂れてボロくなって、立派な心霊スポットになったよってことです。経路が違っても、結論だけは一緒なんですよね。馬鹿らしい。


 そんでですね、噂の部屋に入ったときのことを思い出してほしいんですよ。

 真っ暗い共用廊下を抜けて、端の部屋行って、ドア開けたじゃないですか。俺はですね、ドアがもう傷だらけで錆びて汚れてどうにもならないのに、ドアノブだけやたらぴかぴかしてたのが気持ち悪かったのをよく覚えてます。

 部屋ん中、意外と荒れてなかったですよね。暗くて床がぺとぺとしてはいましたけど、間取りとかは普通よりかちょっと家賃高めのアパートって感じで、玄関から短い廊下、その左右に水場と台所があって、突き当りに居間がある。


 色々起きた、それはそうなんですけど──あのとき、結構おばけ側も凝った真似してくれてたじゃないですか。

 いや言い方がアレってのは分かってますけど、こう……最初はノック程度だったラップ音がどんどん派手になって最終的にドラマの借金取りみたいになってたり、よく聞き取れなかった呻き声がちゃんと恨み言だと分かるぐらいに明瞭になったり、ちらちら派手なアロハの袖とかぼろぼろの足首とかを視界の端に入れ込むみたいな。そう、ちゃんと視線を向けるとまたいい感じのタイミングで視界の外に消えるんですよね。あれ不思議でしたね、俺たち廊下で団子になってたから、そんなちらちら歩き回る余裕なんかどこにもなかったのに。

 そういうね、丁寧な脅かし方をしてくれてたおばけ相手に、林藤さんすげえ雑な対応したじゃないですか。


 そう、一瞬全部静かになりましたよね。ラップ音も呻き声もがさがさ何かが這い回ったりぼたぼた滴ったりするような環境音も、全部。

 そんで一気に居間から異様な気配がして、みんな何も言わずに居間の方を見て。

 いたじゃないですか、顔が食べ散らかしたピザみたいで、足がねじりドーナツみたいになってて、でもまっすぐ立って俺たちに向かって挨拶でもするみたいに手上げてたやつが。


 そうなんですよ、俺らは固まりましたよね。だって怖いから。

 あんなん生きてる人じゃないだろうし、じゃあそんなもんが目の前にいるって非常事態ですから。どうしていいか分かんない。子熊連れた手負いの母熊が目の前に出てきたときより分からない。自分がどうすればいいのか、どうすれば助かるのかってのが分からないのはめちゃくちゃ怖いわけですよ。


 なのに林藤さん、あの人「あっすごいのいる」って言ってから、俺たちの方見て「でもさあこのキッチンすごくない、シンクも広いし作業スペースもあるし、何よりコンロ三口だよ」って喋って、そんでおばけの方に一礼してからお邪魔しましたっつって俺たちの手引いて出てったじゃないですか。先輩はほら、腰抜かしそうになってたから酔っ払いみたく肩貸されて。俺は手握ってました。……最悪ね、道連れにしようと思ってたんで。先輩も、林藤さんも、みんな。


 その後もずっと車で愚痴言ってたんですよ、あの人。

 先輩はもう呆然としてたから覚えてないでしょうけど、俺は助手席だったんで。窓開けて煙草吸いながら、俺んち七万くらいするのに電気容量がタコでそのくせ無理してオール電化にしたからエアコンつけながらIH使うとブレーカー落ちるんだよとかIHなのにコンロ数二口だぞとかそもそも狭いから作業スペース用に小さめの机置いてるんだけどとか、そういうことを。ずっと自分のボロマンションの話してたんですよ、咥え煙草で、すげえ不満そうな顔で。

 そういうのがね、こう……努力を無駄にされたって思われたんじゃないかなって。

誰にって、おばけに。


 だって散々凝った脅かし方して、しかも俺ら三人で行ったのを基本的には全員満遍なく怖がらせて、満を持して登場したのに、三口コンロに負けたわけですよ。

 悔しい、と思いますよ。

 自分はめちゃくちゃ頑張ったのに、ただ据え付けてあるだけのガスコンロにインパクトで負けたってのは、こう……真面目なやつほど腹立つんじゃないですかね。俺はそう思いますよ。経験ありません? 弟だからって何でも後回しにされるし構ってもらえないから、じゃあ価値を示せばいいのかなって頑張って言うこと聞いてご機嫌損ねないようにして気ぃ遣って頑張って頑張って頑張ったのに、出来の悪い兄の方ばっかり親どころか親戚一同大事にするとか、そういうの。俺はありますよ。何であいつなんだよって思いますね。ずるいじゃないですか、そういうの。

 これは人間の理屈なんで、おばけにその辺が適用できるかどうかは分かんないですけど。予想ですよ、個人の体験とか感情を根拠にした……だから、まあ、思い付きです。


 つまりですね、あー、おばけが機嫌損ねたんじゃないかなって思うわけです。俺たちがこんなんなってる理由。


 シンプルに言えば祟られた、ってことなのは変わんないんですよ。何で手足の指ばっかりなのかはよく分かんないですけど、怪談としてはよくあるパターンじゃないですか。不審な、っていうかあり得ない状況での負傷が相次ぐとか、原因不明の高熱とか、そういうやつ。


 ただ、祟り方が臍曲げてるんですよ。だって『心霊スポットに行って祟られた』ってなら、俺と先輩と林藤さん、三人揃って同じ目に遭ってないといけないわけです。

 林藤さんだけ全然無傷なの、おかしいじゃないですか。


 こないだサークル室に来たんで、話聞いたんですよ。あれからなんかありましたか俺こんな感じですみたいなのを。

 そしたら、林藤さん全然元気なんですよ。

 普通の風邪すら引いてない。あんな馬鹿みたいなシャツでその辺歩いてんのに刺されもしない。会ったときの柄、ドクロでしたからね。黒地に、メキシコのあの派手なガイコツがぺとぺと描いてあるやつ──何ですかカラベラって言うんですか、妙なこと詳しいですね先輩──とにかく、そういう服を着て平日の昼間にサークル室に出入りしてるようなOBなんてろくなもんじゃないでしょう。なのに無傷。俺なんか小指いかれて先輩なんかもうすごいことになってるのに。おかしいじゃないですか。何かの……なんかこう、釣り合いみたいなやつが、きっと。


 これもね、予想で物言うんですけど──良心の呵責みたいなのに訴えて、苦しめたい的なあれなんだと思うんですよ。おばけとしては。

 よく聞くじゃないですか、自分のせいでやらかしたときに、自分より他の人間に迷惑がかかる方が辛いし悲しいし申し訳ないみたいなやつ。そういうのをね、林藤さんに実感させようみたいな意図。自分がおばけに失礼を働いたせいで、ちゃんと怖がってた他の連中に被害が及んでいるみたいな状況にすることで、罪悪感を与えるみたいな。……だから言ってるじゃないですか、想像だって。あくまで一般的な人間ベースの考えだと、こういう感じで理屈が通せるよねみたいな話です。

 俺だったらそう思うってことで、全ての人間に適用されるとは思ってませんよ。勿論おばけにも。


 だから、まあ、こういう推論に推測を重ねた状態で考えられる解決策としてはですね。張本人に始末をつけさせればいいと思うんですよ。

 何で怒らせたかの理由を、努力に応えなかったから怖がらなかったからだと仮定すれば、じゃあ今度は怖がってやればおばけの不満も収まるんじゃないかなって、俺としてはそういう主張があるわけです。


 ──そうなんですよ。

 多分ね、無理なんですよ。こう説明して、ちゃんと怖がりに行ってれるような人なら、そもそもあの状況で三口コンロに意識を取られたりしない。言えばもう一回ヨシダハウスに行くくらいはやってくれるとは思いますけど、あの人って芝居が下手じゃないですか。芝居っていうか、取り繕うのが。思ったことそのまま口から出るし、飲み会で嫌いな知り合いが来ると露骨に黙って下向くし、OB交流会で大先輩のOBさんがつまんない発表してると飽きて居眠り始めるし。交流会に関しては最前列でやりましたからね、林藤さん。OBさん怒るの通り越して落ち込んでました。つまんないのは確かですけどおかしいのはあの人でしょう、社会的なあれこれだと。寝るにしても普通はもうちょっと申し訳なさそうにやるんですよ。それをあの人、レジュメ見てから即座に机に伏せましたからね。会長が具合悪いんですかって聞いてましたもん。


 だから、まあ、今んところはどうしようもないっていうか、俺たちがとばっちりを食い続けるってわけですね。残念ながら。

 おばけに公平さを期待する方があれなんでしょうし、三口コンロに気を取られることが何らかの罪に問えるかったら無理ですし。それはそれで成立したら何らかへの冒涜とか挑戦みたいなものですよ、多分。


 心霊スポットで肝試しなんて馬鹿な真似をやった報いだったらそうですけど、なんかこう──嫌っていうか、腑に落ちないっていうか、釈然としない話ですよね、うん。爪一枚の俺が言うのもあれですけど、なんか。

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