第10話

「……アリア?」

 目を覚ましたレナトが、アリアの頬に優しく触れる。

 いつの間にか涙を流していたことに、そこでようやく気が付いた。

「どうした? 死ぬのが怖くなったのか?」

「いいえ」

 アリアは首を強く振る。

「怖くはありません。むしろ、待ち遠しいくらいです」

「それなら、なぜ」

「……レナト様が死んでしまうかもしれないと思うと、恐ろしくて」

 今まで、アリアはすべてを隠すことなく伝えてきた。

 だから今回も、素直に感じたままを口にする。

「レナト様のいない世界で生きるのが怖くて、私は死を望んでいたのかもしれません」

 そう告白すると、レナトは目を見開いて、アリアを凝視する。

「そんなことが……。あるはずがない」

「はい。許されないことです。でも私は」

「許されないのは、きっと私の方だ」

 レナトはアリアの言葉を遮って、ゆっくりと体を起こした。アリアの手を握る。

「私の周囲には、本音を隠して建前だけの言葉を言う者ばかりだった。回復する見込みなどないのに、きっと良くなると言う。私が死ぬのを待っているのに、早く元気になれと言う。でも君は、すべてを正直に話してくれた」

 父の借金のことも、婚約を解消されてしまったことも、アリアはレナトに打ち明けている。

「だから、アリアが私を気遣ってくれたときは、本当だと信じることができた。愛しいと思うまでに、そう時間は掛からなかった」

「!」

 愛しいと言われて、アリアの頬が染まる。

 そんな正直な反応さえ愛しいというように、レナトは優しく微笑んだ。

「君を残して死にたくない。いっそ、連れて行きたい。そう思って私は、君に嘘を言ってしまった。正直にすべてを話してくれたのに、私は君を騙していた」

「嘘、ですか?」

「そうだ。君の父親の借金は、この古城に来た時点で帳消しになっている。支払う必要はなかった」

「え……」

 父親の言っていたことは、どうやら本当だったようだ。

「それに、君の家族も帰りを心待ちにしている。君の父親も妹と弟も、いつか帰ってくれると信じて、今度は君に楽をさせてあげようと、必死に頑張っていた」

「……そんな」

 もう自分は必要ない。そう思っていた家族が、アリアの帰りを待っていてくれた。

 そう思うと、また新たな涙がこぼれ落ちる。

「それなのに私は、君を離したくなくて、嘘を言って道連れにしようとしていた。許されないのは、私の方だ」

 

 レナトはそう言うと、アリアの手を離して立ち上がる。

「家族が待つ家に、帰ったらいい。君を束縛するものは、もう何もない。ただ古城に棲む魔物に騙されただけだ」

 まだ信じられないことだが、レナトはアリアを愛してくれていた。

 でも体の弱い彼は、先に死んでしまうとわかっていたからこそ、愛していると告げることはなかった。

 そうしてこの古城に来たばかりのアリアは、とても疲れていて、無気力だった。

 だからこそレナトは、アリアを一緒に連れて行こうとしたのだろう。

 レナトは、アリアを手放さずにすむように、独占するために、薔薇の柩に収めようとしていた。

 純白の、ウエディングドレスを着せて。

 歪んでいるけれど、それはたしかに愛だった。

 そんな事情をすべて打ち明けたレナトは、何も言えずに呆然とするアリアのウエディングドレスを眺めて、目を細める。

「いつかきっと、君にふさわしい男が現れるだろう。でも君に、初めてウエディングドレスを着せたのは私だ。……もう、それで充分だ」

 目に焼き付けるように、いつまでもドレス姿を見つめているレナトを、アリアは思い切り抱きしめた。

「違います。私が惹かれたのは、古城の魔物ではありません」

 最初はたしかに、すべてに疲れ果てていたアリアは、彼の甘美な死の誘惑に心を動かされた。

 けれど、レナトの本当の姿を知るにつれ、少しずつその感情は薄まっていった。

 彼が病身の体で励んでいた仕事は、領地の引き継ぎのためのものが多かった。

 自分の死後、次の当主が誰になっても、領民たちが困らないようにと考えて、そうしていた。

 それに、貴族学園に通っていないアリアのために、仕事で必要なことだと言いながら、丁寧に勉強を教えてくれたこともあった。

 それは図書室などで独学で学ぶよりもわかりやすく、アリアはいつしか、本を読むよりも彼に教われる日を心待ちにしていた。

「私も愛していました。だから、一緒に死んでしまいたかった。でも……」

 アリアは、けっして言葉にしてはいけないことを言ってしまう。

「本当は、あなたと一緒に生きたい……」

 残酷な言葉だ。

 でもそれは、アリアの一番の願いだった。

「そうか」

 レナトは静かに頷くと、自分を抱きしめるアリアの背に腕を回した。

「それでアリアが私を許してくれるのなら、傍にいてくれるのなら、アリアの望みを叶えてあげたいと思うよ」

「レナト様……」

「普通の人間と同じくらい生きることは、無理かもしれない。でもアリアが傍にいてくれるのなら、一日でも長く生きられるように、努力する。だから、結婚してくれないか」

 彼は出会ったときから、近いうちに死ぬだろうという、自分の運命を受け入れていた。

 ただ淡々と、自分が死んだあとの準備をする人だった。

 でも、アリアのために。

 アリアと一緒に生きるために、努力すると言ってくれた。

「はい。私でよかったら、喜んで」

 アリアがそう答えると、レナトは嬉しそうに笑った。

「ウエディングドレスを作っておいてよかった。時間を掛けても良いと言ったばかりだが、急いで完成させるように言わなくては」

 貴族の結婚ならば、一年くらい掛けて準備をするのが普通だ。

 けれど、レナトに残された時間を考えれば、早い方がいい。

 それに、王太子も第二王子もこのキャステニラ公爵家を狙っていたことを考えると、簡単にはいかないかもしれない。

 しかもアリアは、貴族学園にも通えず、浪費癖のある父親のことも、周囲に知れ渡っている。

 さらに、その父が原因で長年の婚約さえ解消された女である。

 評判は、きっと最悪だろう。

 公爵家に嫁ぐとなれば、社交界に出る必要もある。もしかしたら元婚約者や、例の伯爵令嬢とも顔を合わせるかもしれない。

 でもレナトは、アリアのために生きる努力をしてくれると言ってくれた。

 それを思えば、どんな困難だろうと苦にせず、乗り越えてみせると強く決意する。

 弱った彼の体は、そう簡単に回復することはないだろう。

 ただ今のレナトは、強く生きたいと願っている。

 アリアも、彼に生きてほしいと願っている。

 だからきっと、奇跡は起きる。

 アリアはそう信じていた。

 古城に咲く薔薇は、きっと来年も美しく咲き誇っているだろう。

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薔薇の柩~婚約破棄され、実の父親に売られた令嬢は、魔性の公爵に執着される~ 櫻井みこと @sakuraimicoto

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