第9話

「そうか」

 アリアの言葉に、レナトはゆっくりと頷いた。

「今でも、それを望んでいる?」

 彼の問いに、アリアはしばらく考えたあと、ゆっくりと頷いた。

 たしかに、この古城での生活はそれなりに楽しかった。

 たくさんの知識を学べたし、この古城にも馴染んで、むしろ静かで過ごしやすいと思ってしまう。

 庭に咲く花も、それぞれとても美しい。

 けれど、自分の将来のことを考えると、心が塞ぎ込む。

 もしレナトが亡くなってしまったら、もうここには居られないだろう。あの家に戻り、また父に振り回されながら、家族の世話をして過ごすのか。

「君の父親の借金について、少し調べた」

 そんなアリアに、レナトはそう言った。

「おそらくこの公爵家で一年くらい働けば、返せるだろう」

「え……」

 あれほどの金額を僅か一年で返済できるのかと、アリアは思わず驚きの声を上げていた。

 キャステニラ公爵家は資産家だと、レナトは話していた。きっと金銭感覚が、アリアと全く違うのだろう。むしろ自分は平民に近いと、アリア自身も思っていた。

「一年……」

「そう。私の余命も、もう一年ほどだと言われている。もしまだ君が望むのであれば、私が死ぬ前に、君をあの薔薇の下に埋めてあげよう」

 レナトが、アリアの耳元でそう囁いた。

 それは最初のときと同じように、あまりにも甘美な誘惑であった。

 アリアに心残りがあるとしたら、それは父親の借金のことだった。さすがにそれを放り出して死ぬわけにはいかないと思っている。それさえなければ、残った家族でそれなりに暮らしていけるのではないか。

 そう思ったアリアを誘惑するように、レナトは残された家族の状況を語ってくれた。

「君の父親は、今回のことをそれなりに反省したようだ。酒を断ち、知人の事業の手伝いをし始めたようだ」

「あの、お父様が?」

 思わず聞き返してしまうくらい、その話は衝撃的だった。

 父親が酒を止める日が来るなんて、まして働くような日が来るとしまったく思わなかった。

「君の母親、妹と弟も、自分たちにできることをし始めていた。在宅でできる仕事を探し、家事を分担している」

 レナトの言葉を聞いて、アリアは自分が背負いすぎていたことに気が付いた。

 何もかもひとりでやってしまうから、父はアリアに甘えて浪費を繰り返し、母や妹、弟たちも、自分からは何もやろうとしなかった。

 それが、アリアがいなくなったことで、自分たちで何とかしようと動き始めている。

 むしろいない方が、家族のためなのかもしれない。

 この一年間で、父親の借金を返済できる。

 さらに、その間、レナトのもとで色々な知識を身につけて、働くことができる。

 そう考えると、最高の職場かもしれない。

 そして最後には、レナトの手ですべてを終わらせてくれるのだ。

 最高の締めくくりだった。

 アリアが承知すると、レナトは嬉しそうに頷いた。

「来年。君を、あの薔薇の下に埋めてあげよう。薔薇の花を満たした柩に入れて、そのまま埋葬する。目印に、別の花を植えてもいいね」

 ひまわりがいいと答えると、彼の機嫌はさらによくなった。

「ああ、いいね。きっとそうするよ」

 それから彼の話題はすべて、アリアを埋葬する柩や、その中を埋め尽くす薔薇の話になった。

 あの明るい花をレナトは嫌っていたはずなのに、庭にひまわりが咲くと、わざわざそれを見に行ったりもした。

 来年のために、ひまわりの種を取っておくようにと指示も出していた。

 アリアは彼の傍で仕事を手伝いながら、アリアの最期のために動くレナトを見守っていた。

 初めて会った日から比べると、ほんの僅かな期間で、レナトは随分痩せてしまった。余命が一年というのは、本当のことらしい。

 その美貌は変わらず、むしろ増しているほどなのに、生気だけが失われていく。

 まるで、陶器の人形のようだ。

 遠くない未来、彼は死んでしまうのだろう。

 そのあとに遺されてしまうくらいなら、彼の手で葬られた方がいい。

 アリアはいつしか、そんなことを思っていた。

 仕事の手伝いは相変わらず続けていたが、レナトはもう指示を出すだけだ。

 それも、自分が死んだあと、キャステニラ公爵家を継ぐ者が困らないように、引き継ぎの準備をしているようなものだ。

「死に装束は何にしようか。白いドレスがいいね。ああ、そうだ」

 何かを思いついたのか、レナトが楽しそうに声を上げる。

「ウエディングドレスがいい。きっと血のように赤い薔薇に、よく映えるよ」

 それから彼はすぐに仕立屋を手配させると、アリアのウエディングドレスを縫うように命じた。

 仕立屋は、アリアを公爵の婚約者だと勘違いをして、丁重に接してくれた。

 まさか彼女も、死に装束を作らされているとは思わないだろう。

 ケイトもハードナーは、何度もレナトがアリアのドレスを作らせている意味を聞いてきた。

 けれどアリアも、わからないと答えるだけにしておいた。

 本当の理由を知っているのは、アリアとレナトだけでいい。

 ただ、アリアがレナトと結婚するようなことは、絶対にないと強調しておく。

 ケイトは恋人のような関係を期待している様子だったが、そんな間柄ではない。

 ただアリアにとってレナトは、誰よりも特別な存在である。

 彼は、八方塞がりのアリアの人生に、道筋を作ってくれた人だ。

 公爵家で正式に雇ってくれて、父の借金の返済ができるようにしてくれた。

 残してきた家族が、アリアがいなくとも暮らせそうな様子を知って、未練を断ち切ってくれた。

 そして何も残せなかったアリアの空しい人生を、あの美しい薔薇で彩ってくれる。

 贅沢に絹とレースをたっぷりと使ったドレスはとても美しく、これが死に装束だと知っているアリアでさえ、心が弾んだ。

 レナトはたまに長椅子に身体を預けて、アリアがドレスを試着する姿を黙って見つめていた。

「時間はまだある。素晴らしいものを作ってくれ」

 これが必要となるのは、来年、中庭の薔薇が咲いた頃だ。

「レナト様」

 アリアがドレスを試着している姿を見つめていたレナトは、いつの間にか眠ってしまっていた。そっと、その手に触れて、アリアは彼の名前を呼ぶ。

 触れた彼の手は、氷のように冷たかった。

 それを感じた瞬間、アリアが恐ろしくなった。

 自分の死は、あまり怖くはない。

 むしろ来年が待ち遠しいくらいだ。

 でも、レナトが死んでしまうかもしれないと思うと、たまらなく恐ろしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る