第2話 貌無
日が落ち、人の目では先を見通すことが出来ないない闇が支配する夜霧山
その中腹に建つある古びた社にて、二つの勢力が対峙していた
片方は夜霧山に住み着くと噂された怨霊『貌無』と朱鷺姫であり、もう一方は井川久松の部下である侍衆であった
そしてその二勢力の内、朱鷺姫を追いこの社に辿り着いた侍衆とその先頭に立つ弓を背負った黒鎧の侍は、目前に突如現れた存在に対して警戒を露わにしていた
(もしやあれが夜霧山で噂される怨霊か。町民の語る単なる小話の一つだと思っておったが……実在したのか!)
その突拍子のない冗談のような内容から噂でしかなかった人斬り、それが実在していた事、そしてその実在していた人斬りが噂に違わぬ濃い血の匂いを漂わせている事に対峙する侍衆は皆恐怖を覚える
(まだ一太刀すら打ち合ってすらいないが、それでも分かる。分かってしまう。この男は本物の怪物だと)
「ならば良し、ここに契約は結ばれた。この
打って変わって侍衆に恐怖を抱かせる貌無はというと、朱鷺姫との契りを交わした後、床板から大太刀を引き抜くと朱鷺姫を庇うように侍衆らの前に躍り出る
そして肉剥き出しの顔面から覗く充血した瞳を動かし、侍衆の人数を数え始めた
「一、二、三……、僅か五人か。他には居らぬのか? 外に居るなら呼んでも良いぞ」
一対五、訓練を受けた者と素人であっても武器の質が同じであれば一方的な勝負になってしまう数的差
だが貌無の口振りは五人では勝負にならないと語っていた
その挑発とも取れる発言に対し侍衆は、言葉では無く刀を抜き放ち己らの意思を表した
「カ、カカカカ。良い、では見せてみよ」
貌無は己に向けられる殺意を楽しむように刀を構える
緊張感が支配する社、対峙する一対五
間もなく始まる殺し合いにて、貌無の発言が事実であったか虚言であったが分かるだろう
そして高まり合う殺意
お前たちが挑戦者である、だから初手は譲ってやろうと宣言するようにその場で構えを取る貌無に向け、徐々に距離を狭めていく侍衆
このまま睨み合いが続くのではと思うような長い沈黙の中、最初にその沈黙を破って動き出したのは睨み合い開始と共に後方に下がっていた弓を背負った黒鎧の侍であった
弓を背負った黒鎧の侍は貌無の視線が僅かに自身から離れた瞬間に弓を構え矢を三本番え、そして合間無く番えた三本の矢を放った
「ふっ――――――!」
更に矢が放たれるのに合わせて前方に居た二名の侍も刀を構えながら駆けだした
矢と二名の侍の同時攻撃、血の滲む訓練の果てに身に付けられたその合わせ技に対して貌無が取ったのは……
回避などでは無く真正面からの強引な突破であった
「カカカカカカ!」
笑みと共に貌無は構えていた大太刀の刃を上段から振り下ろし床板に叩きつける
その衝撃は凄まじく爆発の様な轟音と共に床板が舞い上がった
そしてまるで散弾のように拡散した床板の破片が、飛来した矢全てを撃ち落とし、更に床板の破片は矢と合わせるように貌無の下に近寄っていた二人の侍に突き刺さりその脚を止める
「ぐぅ……」 「何が……」
二人の侍には何が起きたか分からなかったであろう
訓練された手筈通り完璧な連携を見せたにも関わらず、ただ一振り貌無が大太刀を振るったかと思ったら、自分たちの身体に信じられない程の激痛が奔り膝を着いているのだから
ただその疑問も痛みも覚えていたのは僅かな時間であった
脚を止めてしまった彼ら二人の侍に待つのは死だけである
貌無の初撃から僅か一秒、先程まで床にあった筈の大太刀の刃はもう平行に振り抜かれていた
「へ?」 「は?」
気の抜けた声と共に前衛に出ていた二人の侍の胸から上が床へと落ちる
続いて残った下半分の胴体の綺麗に斬られた断面から、血が噴き出るように溢れ出し床板を赤く染めた
「嘘だろ?」 「何で」
そしてそれを目撃した侍からは悲鳴のような声が上がる
彼らも死体には何度も目撃しているし、血が流れる場面にも立ち会った事が有る
だが今は徳川家により平定された平穏な時代である
未だ過去の亡霊のように人を殺す者あれど、彼ら侍が昔のように殺し合う事は無くなった
その証拠にこの場に居るもので人殺しを経験しているのは、野盗討伐に参加した事のある弓を持った黒鎧の侍だけである
だからこそ人殺しを経験していない中衛の侍二人は、仲間の死だけではなく人の胴体が真っ二つに切断されるという人知を超えた殺され方を目撃し恐怖から歯を鳴らす
しかし彼らも侍である、即座に恐怖を脱し戦線に復帰しようとしたが、それよりも早く血煙を抜けて突き出された大太刀の切っ先が一人の胴体を貫く
「コフッ」
吹き零れる血潮、その大太刀の切っ先は確実に侍の心の臓を貫き、その命を閉ざしていた
そして続きざまに貌無は、突き刺したままの大太刀の刃を平衡に向け、刃を横にスライドさせながら引き抜き真横に居たもう一人の中衛の侍の首を切り飛ばした
この間、僅かに一秒
あまりにも見事で鮮やかな一連の動作を見せた貌無は、聞いてるだけで不快になる嗤いと共に最後尾に立つ弓を持った黒鎧の侍に向けて地面を蹴った
「カカカ!」
速度は神速、貌無は瞬きの間に弓を持った黒鎧の侍との距離を縮める
そして刃だけで五尺はあるだろうその大太刀を弓を持った黒鎧の侍目掛けて振り下ろす
(つ!? 速すぎる、せめて一撃だけでも)
弓を投げ捨て刀を抜き放った黒鎧の侍は貌無の討伐や生存の選択肢を捨て、この先戦うであろう仲間たちの為に手傷を負わせることだけを考える
だがその為には、先ずこれから振り下ろされる貌無の一撃に耐え抜く必要がある
黒鎧の侍は刀の柄を両手で強く握り、刃を盾のように眼前で構え、足裏で床を踏みつけ防御の姿勢を取った
(まずこの一撃を耐え抜く!)
黒鎧の侍の覚悟が乗った刃、その上から貌無の大太刀が振り下ろされ、そして刃同士が衝突した次の瞬間――――――黒鎧の侍の左半身が構えていた刀ごと斬り飛ばされた
「――――――!?」
勝負は一瞬であり、一方的であった
防御など意味なく、刀も鎧も肉も骨もただ力任せに切断される
「――――――ゴ、――――――」
崩れ落ち吐血と共に床に両膝を着く黒鎧の侍
彼の胴体の断面からは凄まじい量の血潮が吹き上がり、床に体内から零れ落ちた臓物付きの血溜まりを作っていく
即死はしていない、だが黒鎧の侍の命の灯は間もなく掻き消えようとしていた
大太刀の刃が項垂れる黒鎧の侍の首に添えられる
そして躊躇いなく刃が引かれ、黒鎧の侍の首が切断される
切り離された頭は支えを失いゴトリと音をたてて床板に落下し、血溜まりの中に沈んだのだった
「終わったかしら?」
一連の殺し合いを見学していた朱鷺姫から声が掛かる
「ああ」
その言葉に貌無は大太刀の刃に付いた血を着物の裾で拭いながら返答する
それから手本になるようなきれいな動作で大太刀を鞘に納めた貌無は、自身の契約者である朱鷺姫の下に参上した
「してお前は」
「お前ではなく朱鷺よ、様付けかもしくは姫と呼びなさい」
「では姫よ、我に戦いを齎すと言ったお前の望みは何だ? 約束通り我は姫の刀として振舞おう」
「そんなの決まっているでしょ。私に歯向かう者の皆殺しよ」
「合い分かった。ではまず初めに誰を斬る?」
貌無の問いに対し朱鷺姫は、床に転がる肉塊に視線を落とす
それからもう一度、視線を貌無に戻して呟いた
「そうね、最初はこの肉塊の主人かしら。美しき私に刃を向けた事、後悔させやるわ」
先達の脅威を排除した朱鷺姫一行は次の標的、井川久松の首目指して動き始めるのだった
――――――――――――――――――――――――――――
そして同時刻、井川久松が居城『長沼城』御殿にて
先程まで多くの人々が往来し騒がしかったこの長沼城は、それまでの喧騒が嘘のように静まり帰っていた
その理由は簡単、この城の城主である井川久松が帰還したからだった
正妻である糸姫とまだ1歳の嫡男である落に起きた不幸を出先で聞いた久松は、予定を白紙にして急ぎ帰還しそして今、亡き妻と子の遺体と対面していた
「これは……、何なのだこれは!」
冷え切った妻子の亡骸を抱きながら叫ぶ久松
その絶叫とも言える声を咎める者はいない
久松はひとしきり叫び終えると、ガラガラとした怨嗟の籠った声で言葉を吐く
「本当に朱鷺がやったのか……?」
臓腑が冷えるような主の声に怯えながらも供回り者が返答する
「は、はい。乳母である頼殿が近くで目撃しておりました」
そう言って供回りの侍が、近くに控えていた落の乳母である頼に向けて確認の視線を送る
乳母である頼は怯えた今にも死にそうな青白い顔で一歩出ると、声を震わせながら自身が見た出来事を事細かに説明し始めた
「あ、あの日、糸様に抱かれた落様と共に私はお部屋に変える為に屋敷の廊下を歩いておりました。普段通り庭先から部屋へ向かい、そして曲がり角を曲がをぅとした時でした、糸様は反対側から歩いて来られた朱鷺様と曲がり角で触れてしまったのです。
ですがただ触れたといっても決して衝突したわけではなく、着物同士が擦れた程度だったのです。それなのに突如、朱鷺様は激高して着物から小刀を取り出し、糸様を何度も刺したのです。更に彼女はそれだけなく糸様の手から離れて床に落ちてしまった糸様の顔何度も踏みつけに」
頼の証言を黙って聞いていた久松は、もう聞いてられないと鬼形相で立ち上がり腰に差していた刀を抜き放つ
そしてその切っ先を頼の眼前へ向けて叫んだ
「その時、お前は何をしていたんだ! 何の為にお前が居ると! 何故お前が糸と落の盾にならなかったんだ!」
「も、申し訳ございません。あ、あの時は突然の事で……、それに目の前で起きていた光景が恐ろしくて、何も出来なかったのです」
頼は久松の剣幕に気圧され、泣きじゃくりながら頭を床に着け許しを請う
「殿! 今、頼殿に責任を取らせて斬っても何も変わりませぬ。まずは朱鷺様を追っている部隊の報告を待つべきかと……彼らは手練れです、間もなく朱鷺様を捕縛して戻って来るかと思います。処分はそれからでも遅くはありません」
頼を援護するように初老の家来が久松に対してそう進言する
怒り狂いこのまま頼を斬り殺さん勢いであった久松はその進言を聞くと、怒りを抑え込むように歯を食いしばりながら何度か唸った後に顔を上げる
その顔は未だ眉間に皺が寄り瞳孔が開いていたが、それでも先程よりかは冷静さを残しているようだった
久松は抜いていた刀を鞘に納めると、胸の内にある感情を抑えるように震えた声で言葉を初老の家来へと返す
「そうだな、お前の言う通りだな。まずは朱鷺の捕縛を待って多々決めるべきであった。すまなかったな、頼」
「い、いえ」
「では、一度自室に戻っておる。朱鷺捕縛の為に出た隊が戻ってきたら呼べ」
「は!」
そして1時間後、久松は長沼城御殿の自室内で捕縛部隊の帰還を待っていた
だが件の部隊が中々戻らないことに機嫌を悪くし、部屋を飛び出そうと自室の襖に手をかけたその時であった
廊下から慌てるようなとにかく落ち着きない足音が響く
久松はその足音を聞くと襖を力一杯に開けると、廊下に飛び出し自室の前に駆けてきた侍に声を掛ける
「捕らえたか!」
「ご報告いたします。朱鷺姫様の捕縛に向かった部隊ですが、壊滅との事です」
「!? 何だと!」
報告を聞いた久松は動揺から目を見開く
「ど、どういうことだ! 朱鷺に付いていたのは門兵一人だけなのだろう? そのたった一人の門兵に出した追手がやられたとでも言うのか!」
「い、いえ、その門兵は殺害しました」
「だったら何故、壊滅するのだ!」
「それが、その門兵の他に朱鷺姫様に味方する者が居たそうで、その者に朱鷺姫様を追っていった五名が殺されたと」
報告に来た侍は朱鷺姫の捕縛に向かったものの唯一社の外での警戒を命じられて生存し、先程この長沼城に帰還した侍から聞き取った内容を話しており、久松はその侍から一通りの報告を聞き終わると、怒りと共に壁を殴りつけた
「――――――!」
凄まじい音が鳴り響き、久松の拳から血が滴り畳を汚していく
久松はその血滴る傷や痛みを気にする素振りを見せず、自身の周囲で首を垂れる家臣たちに向けて命令を飛ばす
「朱鷺を罪人として手配する、すぐに町に触れを出せ! そして戦の準備を始ろ!」
「戦準備ですか!? それは……」
「決まっておるであろう、朱鷺の居場所が判明し次第、俺自ら捕縛しに行く! 分かったな!」
「「「「は!」」」」
久松から戦準備を開始せよとの命令が出される
その命令に家臣たちはそれぞれ異なった感情を見せはしたが、主人である久松の指示に従い即座に戦準備に向かって行く
一人自室に残った久松は狂気を瞳に宿し、自身の妻と子を奪った悪鬼への復讐を胸に誓うのだった
そしてこの日から僅か三日後、戦場にて
怨霊貌無と井川久松両名、
黄金姫と貌無し男の殺戮劇 【序幕】 完
黄金姫と貌無し男の殺戮劇 山吹晴朝 @yamabukiharutomo
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