描いた祈り


 生まれて初めて見た外は、人類のいない世界だった。 


 物心ついた頃から、私――人見ひとみうたにとっての世界とは白い部屋と、そこを訪れる人間の話で形作られていた。


 私にとってそれは当たり前であったのだが、訪れる人達にとってはそうではなかったらしい。

 ここに来る人は、細い手足、色の薄い髪の私を見ると、大抵申し訳なさそうな顔をしている。

 今、世界は汚染されていて、外にいるだけでだんだんと衰弱していくという。マスク、防護服などの対策無しで外に出る人はほぼいない。

 私は特に体が弱く、外に出ると一時間ももたないのだとか。だから厳重に管理された地下シェルターで暮らしている。

 

 そんな私のもとによく訪れる青年がいた。


 そう、過去形だ。


「いつか綺麗な景色を君に見せてあげる」


 そう言った彼が出ていったきり、帰ってこないのだ。

 絵を描くのが好きな青年だった。部屋の外にすら出られない私を何かと気遣い、マリーゴールドの絵を描いては持ってきて見せてくる。自分も図鑑でしか見たことがないくせに、外にはかつてこんな綺麗な花があったのだ、と嬉しそうに語るのだ。

 多い時は三日に一度は来ていたのに、もう二年以上やってこない。時々近況を知らせるメールが来るが、イマイチ詳しくないぼんやりとした説明だ。そのメールも先月から途絶えた。


 痺れを切らした頃に、私の体調管理をしていた医療用アンドロイドが一通の手紙を持ってきた。

 そこには彼が汚染された世界を戻すために戦っていたことが書かれていた。同封されていたのは一枚の絵。紫色の小さな花がボール状に咲いている。


「PS:初めてアリウムの絵を描きました。いつかこの花に相応しい未来を君に」


 私は医療用アンドロイドに訊ねる。


「どうして今?」

「あなたが外に出ても問題なくなった場合渡すように言われていましたので」


 確かに私が外に出るのを止める理由はなくなった。

 平和を願う人類同士が争った結果、この星を汚染していた人類が滅んだのだから。

 地下のシェルターに隔離されていた私は、そのことを全てが終わった後で知った。知ってしまった。

 今は窓のついた普通の部屋にいる。


「バカバカしい……確かに綺麗だけど」


 人類のいなくなった世界は、美しい自然に覆われていた。僅かに残った半永久稼働の施設たちがエネルギーを生み、私の生活に必要なものを作り出している。花もあちこちに咲いているが、私の見たい花はその中にはない。

 窓を閉めて、絵を貼り付ける。アリウム――今の私にとって実に皮肉な花言葉だった。


「よろしかったのですか?」


 無機質な声でアンドロイドが確認した。


「いいの……一番見ていたい花はここにずっと咲いてるから」

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短編集 えくぼ @ekubo

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