祭りの夜の豪華客船

よし ひろし

祭りの夜の豪華客船

「今度の日曜日、港にが来るんだって。見に行かないか?」

 朝登校して教室の席に着いた途端に、友人の田沼たぬまが声を掛けてきた。それに呼応するように伊藤いとうも話に加わってくる。

「クイーン・エリザベスだろ、確か」

「おう、それそれ。――どうだ、みんなで見に行かないか?」

 田沼と伊藤が俺の顔を見る。

「ああ、そうだなぁ――」

 どうすべきか迷う僕。何故迷うのか――僕には豪華客船に対して嫌な思い出があったからだ。

 あれは、今から十二年前、僕が五歳になったばかりの頃だ――



☆     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆



 七月七日の夜――あの日は七夕の祭りの日だった。

 両親と共に祭りに行くはずだったのが、お父さんが急な仕事で行くことができずに、お母さんと二人で祭りに出かけることとなった。

 昼まではしとしとと梅雨の雨が降っていたが、夕方にはすっかり晴れ、空には星が見えていた。だが、まだ五歳だった僕の視界では、そんな星空も人垣にさえぎられてよく見えず、迷子にならないようにお母さんの手をしっかりと握り、その姿――水色の地に白の模様のワンピース――をじっと見つめながら歩いていた。

 いくつかの屋台に寄り、たこ焼きやチョコバナナを食べたり、ゲームで何かのおもちゃをゲットしたのを覚えている。

 そうしてどれくらい時間が経ったのか、そろそろ帰ろうか、お母さんがそう僕に言った時、不意に世界が暗転した。


 何か、何かが僕の視界を覆い、音がすべて消え去った。



 気づくと僕は、薄明りのぼんやりとしたどこともわからない空間に立っていたんだ。

「お母さん!」

 寸前までしっかりと握っていたはずのお母さんの手はどこにもなく、あの水玉のワンピース姿も見当たらなかった。周りにはお祭りの会場と同じく人が溢れ、ある方向に向かって黙々と歩いていた。

「あの、あの、僕……、お母さん、お母さん!」

 まだ小さかった僕はその流れに逆らうことができずに、みなと同じ方向に歩きながら、お母さんの姿を探したんだ。


 そして、気づいた。足元が舗装された道路ではなく、ごつごつとした石が並んでいることに。更に人の隙間から見える風景で、そこが河原らしいということに。

「え、どこ、ここはどこなの――」

 パニックになり立ち止る。すると、歩く人々に弾かれるようにして、人並みの列から出ることができたんだ。

 そこで周囲の様子を観察すると、そこはやはり河原で、人々はに向かって歩いていた。そしてその先には一隻の大きな船が止まっていた。


 大きな船――テレビで見たことのある豪華客船の様な船だった。


「え、なに…、お母さん、どこ、どこなの? ねえ、あの、ここはどこなんですか?」

 歩く大人に声を掛けるが、答えは返ってこない。みんなややうつむき加減で前を向いたまま、船に向かって無言で歩いていく。

「ね、どこなの、ここ……」

 不安で涙かこぼれてきた。霞む視界の中に、ふと、知った顔を見つけた。

「かずやくん、あつしくん!」

 幼稚園の友達だ。二人とも祭りに行くんだという話をしていた。

 人ごみの中に見つけた友達の顔に僕は慌てて駆けだした。

「待って、かずやくん、あつしくん!」

 手を伸ばし、叫ぶ。


 一瞬、目が合った。二人とも微かに微笑んだ後、また前を向き、黙々と歩いていく。


「待って、待ってよ!」

 走るが二人は遠ざかり、人並みの中へと消えていく。

「どうして、どうして……」

 再び涙があふれてきた。


「お母さん、お母さん――」

 立ち止り、空を仰ぐ。


 星が見えない。靄のようなもののすっぽり覆われていた。もう一度辺りを見回す。空と同じく靄のようなものに包まれて、遠くの風景は見えない。見えるのは静かに流れる川と、そこに浮かぶ大きな船だけ。

 仕方がないので、僕はみなと同じくその船へと歩いていった。


 しばらく進み、船が近づいてくる。大きい、自分の住んでいるマンションと同じかそれ以上だ。そう感心していると、船へと乗り込む列の中にあるものを見つけた。


 水色の地に白い水玉のワンピース――


「お母さんっ!」

 僕は思いっきり走り出した。石に足がとられ転びそうになったけど、どうにか踏ん張って、あらん限りの力を振り絞って駆ける。

 水玉のワンピースが船へと吸い込まれていく。


「待って、お母さん! 僕も連れて行って!」

 叫んだその時、視界をその水色と白の模様が覆い隠した。


 そして、耳元で、

「あなたは帰りなさい、たーくん」

 お母さんの優しい囁き。


「お母さーんっっ!」


 再び世界が暗転した。



 次に気づいた時、僕は病院のベッドにいた。

 ある事故があり、祭りに来ていた多くの人が死んだと聞かされたが、僕は理解できなかった。ただお母さんも、友達のかずやくんもあつしくんももういない、それだけは確かなことだった――



☆     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆



「なあ、見に行こうぜ豪華客船。いいだろう、高志たかし!」

 田沼の呼びかけにハッとなる。


 十二年前のあの悪夢のような思い出から現実へと意識が戻る。


 あれはいったい何だったのだろう。

 あの川は、三途の川? 

 あの船は黄泉への渡し船?

 ただの夢? それとも現実?


 わからない、僕にはわからない。

 でも、もうあれから十二年だ――


「そうだな、見に行こうか、豪華客船……」


「そう来なくちゃ。あつしも行くだろう」

 田沼が当然とばかりに伊藤に訊く。


「ああ、いくとも和也かずや。俺たち幼稚園の頃からの幼馴染、いつも一緒だ」

 伊藤も当然とばかりに返し、僕の顔を見た。


 幼稚園の頃からの幼馴染――


 その言葉が引っかかる。

 二人の友人の顔をじっと見る。その顔立ちに幼い友人達の姿が重なる。


「田沼――かずや…くん、伊藤――あつしくん……」


 あれ、かずやくんとあつしくんは、あの時――


「あれ、二人は、あの事故で…、お母さんと……、あれ、死んだんじゃ………、あれ…………、なにが……………、どうして………………、お母さん――――――――」


 視界が水色と白の水玉に覆われた。


 そして、意識がなくなった……



☆     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆



「鎮静剤、投入します」


「また例のあれか?」


「はい、夢を見ていたようです。――バイタル、安定しました」


「ふぅ…、いいか、何があっても彼を死なせてはならない。彼はシンボルなのだ。我が国の復興の――」


「わかっています、わかっていますが……」


「十二年前の七夕の日――厚木近辺に落ちた巨大隕石。七夕の夜に星のプレゼントとは神様もなんと皮肉な……。長い日本の歴史の中でも未曽有の災害だった。神奈川県はほぼクレーターとなり地図上から消えた。首都東京も大きな被害を受け、日本中が絶望のどん底へと沈み込んだ。その中で唯一の生き残り。奇跡の五歳児――彼がいたからこそ、我が国はここまで復興できたのだ。だが、まだその途上だ。彼には生きていてもらわねばならない。どんな状態でも……」


「彼は発見された時、母親の腕の中にしっかりと抱かれていたそうですね」


「ああ、そしてその手には祭りで買ったのだろう、豪華客船のおもちゃが握られていたんだ。母親からの最後の贈り物かな」


「あれから十二年、眠り続ける彼は、いつもどんな夢を見ているのでしょうね?」


「わからない、わからないが、幸せな夢であってほしい。無理やり生かし続けている我々には、せめて夢の中では幸福な人生を――そう強く願うしか……」


「そうですね……」


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