隠れている暗殺者は、標的≪ターゲット≫から陰口を言われている

渡貫とゐち

女騎士と一緒に寝台列車に乗ってみた


 長距離移動の寝台列車の中だった。

 帽子を深く被ったスーツ姿の男……身なりだけは大人っぽいが、顔は童顔で、実は未成年の青年だと言われても違和感がない。

 彼は大きな荷物を隣の座席に置き、自分で用意した紅茶を嗜んでいた。言い忘れていたが、彼は命を狙われている。暗殺者に。


 にもかかわらず、彼は悠々自適に列車移動を楽しんでいた。

 命を狙われている恐怖を誤魔化すために強がりで事実から顔を背けている可能性もあるが、今の彼を見れば杞憂としか思えなかった――。


 彼から依頼を受けた女騎士は、緊張感の欠片もない彼を見て呆れていたが。向かい合って座る女騎士は、頬をひくつかせ――しかし怒ってはいない。

 命を狙われていると知り錯乱されたら、そっちの方が厄介であることを経験で分かっている。


 この落ち着きようは、女騎士からすれば手間がひとつ減ったようなものだ。

 まあ、気味が悪いというのは誤魔化せないが。



 食事をするために移動していた座席で、ふたりは軽食を頼む。


「……あの、命を狙われているんですよ? のん気なものですね……」

「そりゃあのん気にもなるさ。だって君が守ってくれるのだろう?」


 評判のいいボディガードを雇ったつもりなのだ。

 男は態度で確認している――プロならば失敗はしないだろう? と。


「もちろん守りますけど……けど、守られる側も最低限は身構えていてほしいものです」


 ちらり、視線を窓の外へ。外はすっかりと夜だ。

 寝台列車である。みなが寝静まる頃に、暗殺者が動き出すのではないか?

 警戒するべきところを絞らないと疲れてしまうとは言え、……とは言えなのだ。

 狙われている男の態度ではない。優雅に紅茶を嗜むなど、隙だらけ過ぎる。


「身構えていなくとも、心構えはしているよ。いつ襲ってくるか分からないのだろう? みなが寝静まった頃、と推測を立てることができるが、あくまで推測だしね。そうやって警戒しているところを絞って、生まれた気を抜いたところを狙って襲ってくる可能性もある。今だって暗殺のチャンスでもあるわけだ」


「今、気を抜いているのですか?」

「心構えはしている。警戒はしていないけどね」


 女騎士が、じとーっと、批判的な目を男に向けている。

 守られる側の態度に「こうするべきだ」とこだわりがあるわけではないが、言葉ではぐらかされるのは女騎士が最も嫌うことだった。


「別に、君を言い負かそうとか思ってるわけじゃないんだけどね……。簡単に言えばさ、いつ襲ってくるか分からない暗殺者のために、四六時中、気を張っているのはバカみたいだろう? なんであんな奴らのために僕が警戒をしていないといけないんだ。したくないから、君を雇っているのにさあ」


「言いたいことは分かりました。ただ、暗殺者だけでなく、列車が急停止した場合、気を抜いていると踏ん張ることもできませんよね? わたしに突っ込んでこないでくださいよ? そういう意味でも身構えていてくださいと言ったまでです。仕方がなかった、を理由にわたしの胸に顔を埋めてきやがったら、あんたの命を真っ二つにしてやりますからね」


 男は肩をすくめた。


「おーこわい。実は君が暗殺者だったりしないのかね?」

「だったらどうします?」


 いじわるな笑みで、女騎士が聞いた。


「やっぱり嫌いだね。こうして対面に座っていながらも無害を盾にして近づいてきている……暗殺者というのは心臓が小さいのかね。堂々と『あなたを殺します』と言って斬りかかってくればいいものを……わざわざ背後を狙ったり、気を失わせたり、僕と目さえ合わせたくないみたいに逃げ回っている。そのくせ、僕を殺したいと言っているんだよね。

 ……正面から喧嘩を売れない奴を、脅威に感じるわけがない。これは気持ち的な問題だけどね。殺されることに脅威は感じているよ……だから君を雇ったのだから」


 紅茶の湯気が揺れている。


「好きな子に告白するわけじゃないんだ、勇気が必要かな? なにを照れることがある、こんな僕になにを恐れることがある。僕の前に立てばいいものを――それさえできない暗殺者のことを、僕は見下している。嫌いだね。だからたとえ目の前に暗殺者がいたところで、負ける気はしないんだ」


「……痕跡を残さず、正体も明かさない……その上で標的ターゲットを殺すのが暗殺者ですからね……。堂々と目の前に立って斬りかかっていれば、暗殺者じゃありませんよ。それではただの殺人鬼です」


「暗殺者よりも殺人鬼の方がまだマシだ……僕からすれば好印象だね。殺人鬼には殺す理由がない? かもしれない。だけど殺したい欲求はあるのだろう? なら、それが理由なんじゃないかな。無意識に殺してしまうのであれば生存本能に近いものだろうし――なら、悪意がなく僕も受け入れることができるよ。

 だけど暗殺者――てめえだけは納得ができないね。隠れるな、目の前にこい。僕も素直に殺される気はないけど、というか絶対に抵抗するけど。これ以上、暗殺者きみたちのことを嫌いにさせないでくれ」


「いや、嫌っていいのでは? 暗殺者は褒められた仕事ではないですし」


 犯罪だし。

 殺人は言い訳のしようもなく絶対の悪だ。


「…………そうか、それは……意外と盲点だったな……」


「言っておきますけど、わたしは暗殺者じゃないですからね。わたしだって暗殺者は嫌いですよ。姿を隠し、見えないところから――安全地帯から攻撃をして標的を殺す。それが暗殺者だ、と言われたら納得ですけど……あいつら絶対に友達いないですよね」


「どうだろうねえ」

「絶対にいませんよ、いるわけないでしょう」


 ぴりついていた女騎士の雰囲気が少し柔らかくなったと思えば、学生時代を思い出したような世間話に口が回り出したようだ。

 内容が険悪なので、ぴりついた雰囲気ではないが、彼女はさっきよりも不機嫌である。


「やり口も汚いですし。きっと今回だって煙幕や毒物を使うつもりですよ……そうでなければ、事前に予告しておいて放置し、油断したところで殺す――なんて手段も使うかもしれません。あいつらの思いつきそうなことですよ」


「へえ……。詳しいね」


「ええ、嫌いな人種のことは調べ尽くしていますから。それに……わたしは暗殺者を殺し慣れているので」


「事前に調べて分かっていたことだけど、あらためて。……頼もしいよ」


 どうも、と女騎士が少しだけ顔を赤くした。

 いまさら照れられても……彼女の『裏で色々と言ってしまう性格』が隠れるわけではなかった。暗殺者も陰口も、標的からは見えないところで攻撃するのは変わらないはずだが……。


「殺しても殺しても、気づけば増えているんですよね……なんですかあれ。やっぱり害虫って繁殖率だけが異常に高いのですか? 一網打尽にしてもすぐに増えます。ほんと、気持ちの悪い劣等人種ですよ」


「言い過ぎじゃない?」

「え、そうですか? 相手は暗殺者なのに」


 その後、寝台列車なのに寝ることもなく、徹夜で続いた暗殺者談義……まあ、愚痴と陰口だ。

 終わることのない雑談。談義と言ったがほとんど彼女が喋っていた。


「まだあるの?」

「ええ。まだまだありますけど」



 女騎士の後ろの席。

 座っていたのは暗殺者だった。

 彼も寝ることなく徹夜で座席に座り、男の暗殺を狙っていたが……まったく隙がなく、チャンスを窺っている内に気づけば窓の外は朝になっていた。

 それでも疲れがないのは暗殺者として体を鍛えていたからだ……ただし、


 心は別だったようだ。

 表情が変わらないマスクをはめていた暗殺者は、見た目では分からないものの、マスクの下は水分でいっぱいだった。

 まさか自分の涙で溺れかけるとは、誰が予想しただろう……マスクを作った者も、こんなことは想定しなかったはずだ。


 こうも心が削られるとは。

 暗殺者の心だって、徹夜で自分(たち)の陰口をずっと聞かされていれば摩耗する。


 無関心を装っても脳は聞いてしまっているからじわじわと追い詰められていく。

 出るはずのなかった涙が出ているのが証拠だった。


「やっぱり言い過ぎだよ」

「そんなわけないでしょ」


 喋りっぱなしだった女騎士は疲れていなかった。

 喋ろうと思えばいつまでも喋っていられそうなバイタリティの高さである。

 男の方は、さすがに眠気に堪えられず背もたれに体を預けてしまっていたが。


 そしてそれは、暗殺者も同じだった。彼は油断した――背後の女騎士が立ち上がり、周りの乗客に気づかれぬよう、一瞬で、暗殺者の心臓を射抜いた。


 彼女は座席に置いていた剣を使わなかった。指先に仕込んだ小さな刃で――――

 一突き、だ。


 音はなく、悲鳴もなく。

 こてん、と、暗殺者は頭を倒して眠ったように死んでいた。



 数分の熟睡の後、男が目を覚ますと女騎士が目の前で微笑んでいた。


「おはようございます。暗殺者の処理が済みましたので、これで依頼達成ですね」

「え? ……いつの間に」


「朝方に。相手も油断していましたので、ぱぱっとやっておきました」

「ふーん……まあ、信じよう」


 目的地に辿り着いた男と女騎士が列車を降りる。

 男が抱えていた大きな荷物を「わたしが持ちますよ、力には自信があるので」と女騎士が受け取ったところで、背後の列車が騒がしくなっていた。


 事件でも起きたのか?

 いや、起きていた。

 女騎士がぱぱっと殺した暗殺者の、死体が――――


 列車内で発見されたらしい。



「……表沙汰にするとは思わなかったけど」

「隠蔽、ですか? しませんよ、わたしは暗殺者ではないので」


 死体の処理は常識な気もしたが、女騎士が言うなら問題はないのだろう。

 彼女の今後のことまで、彼が考える必要はない。


「どうかしたのかな?」


 女騎士がきょろきょろと周りを見ていた。


「いえ、なんでもありません……ただその、少し羽音が気になったもので」

「虫かな? 多い……?」

「はい、害虫が、あちらこちらに……」


 女騎士の視線は、的確に、隠れている暗殺者を発見している。

 おかげで隠れていた暗殺者は身動きが取れなくなり――

 その後も、所定の場所からしばらくは動くことができないでいた。



 動けば殺される。

 いや、処理される。

 まるで光の下に出てきた害虫を叩くように。


 隠れ続けていることが、最も幸せな余生の過ごし方だ。




 …了

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隠れている暗殺者は、標的≪ターゲット≫から陰口を言われている 渡貫とゐち @josho

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