第64話

 深夜。


 「英雄」レックスパーティの活躍により無事魔王軍を退けてから、約10日ほどの月日がたったその日の夜。


「……はい。カリン枢機卿・・・、次の書類です。戦死した兵士家族への慰問関連です」

「……」


 誰もが寝静まる宵の中、二人の文官服を纏った人間が埴輪みたいな顔でせっせと仕事をしていた。


 見れば蝋燭の灯火で微かに照らされた石造のテーブルに、零れたインクもそのままに書類が山積みされている。


「この山が特謝礼、この山が遺弔請求、この札が負傷者基金からの書類です。それぞれ勝手が違うので、よく記入方法を理解してから始めてください。勝手は書類の一番上に資料として置いてありますので」

「……」


 中央に座るのは、目の下に巨大なクマを作った茶髪で幼さの残る少女。自分の背丈より高い書類に囲まれ目の光を失い、静かに書類の記帳を続けている。


「……なあエマちゃん」

「なんですかカリンさん」


 その隣に座るのは、独特の方言を使う教会の紋章を付けた少女。似合わない文官帽子をかぶり、同じく目の光を失い幼女に手渡された書類の処理を続けている。


「……ウチ、この仕事辞める」

「では、現在割り振ってある仕事を仕上げた上で後任を用意してください。その後任への引き継ぎが終わるまでは契約上辞めることはできません」

「……あ、ああぁ」


 カリンの甘えた泣き言を、エマは無慈悲に斬って捨て。修道女は絶望の表情のまま、震える手で書類の一番上の紙をテーブルの上に置いた。


 淡々と齢1桁ほどの少女が仕事を続けているのだ。一応年上であるカリンは、あまりの仕事量に泣き言を言いつつも見捨てることなど出来なかった。


「無駄口を叩く暇があれば書類を一枚でも多く仕上げてください。枢機卿ですよね、カリンさん」

「……せやかて。せやかて、何でウチが」

「ミーノさんを糾弾する時の貴女の手腕は見せて貰いましたから。情報収集、資料纏めに調略隠蔽工作と、あなたは間違いなく文官向きです」


 ふふふ、と壊れた声を上げてエマはカリンを嗤う。


 ペニー陣営の人間は基本的に脳筋だ。小勢力であったがゆえに、ペニー率いる義勇軍はこれまでずっとエマ一人で運営してきた。


 軍の頭脳労働を、エマに任せきりだったツケとも言える。だからいざ政権を取ってみると、新政権の文官は無能かミーノの手先しかいない状況だったのだ。クーデターでペニー側についていた貴族の何割かも、ミーノの差し金だったというから脱帽である。


 そこでエマは、レックスパーティの頭脳担当カリンに目を付けた。彼女を『大罪人ミーノを告発した功績』で祭り上げ、ちやほやと持てはやし枢機卿に就任させたのである。


 これはレックス陣営に権力を持たせることにより、ペニー派と英雄レックスが親密であることのアピールと旧ミーノ派への牽制の狙いを込めての人選だ。


「……なぁ。これ、ホンマに終わるんか? 4日前から不眠不休で働いてんのに、書類は徐々に増えてきとらんか」

「戦後処理なんて、落ち着くまではこんなもんです。……本当は戦時中の方が忙しいんですけど、あの化物は一人で全部こなしてましたね」


 枢機卿に就任した当初は、周囲に祝福され気分が良かったカリンだったが。それが地獄の片道切符だという事に気づいたのは、目に光のないエマに呼び出された4日前のことである。


 早まった。枢機卿と言うのは、今後一生「民の奴隷」として生きる証なのだ。それが今のカリンの心境だった。


「……ああ、そうや。確か王都辺境に、滅茶滅茶仕事のできる元文官がおるらしいで。余命が少ないらしいし、ちょっと拉致って手伝わせようや」

「ダメです。あの女は、全ての権力を剥奪して二度と国政に携わらせない。そう、ペニーさんが決めましたから」

「……」




 魔王マドルフを3人の英雄が倒したあと。


 前の王が殺され、その志を継ぐべく新たに王位に就くことを宣言したペニーによりミーノは罪に問われた。


 その罪とは、すなわち。王を危険に脅かし、結果死なせてしまった軍師としての能力の罪である。


 城下町の1件は、彼女の工作により罪に問えなかった。また罪に問うてしまうと、国民に大混乱が起こり国への不信感が強まるだろうという予測もあり、表沙汰にしないほうがいいとエマは判断した。


 そして正当な手続きに則った裁判が開かれ、ミーノは王が殺された罪を償わされた。彼女は軍師兼大将軍という立場を追われ、何の権力もない一般人として王都郊外の一軒家に隠居する形になった。


「ボクは自分が間違っていた、等と思っていない」


 それは、戦後の裁判でミーノ元大将軍がペニーを見据え告げた言葉。


「新たなる王ペニー、君がその立場についた以上はいつか決断する時が来るだろう。少しの犠牲を許容して大を守るか、少しの犠牲をも許容せず大を危険にさらすか」


 戦後ペニーにより拘束され、多くの貴族や政務官が見守る中。稀代の軍師と評されたミーノは微笑みながら、次の『自分』の立場となったエマへ目線をやり。


「その答えを、ボクは土の中で見守っている。どちらを選んだとしても願わくば────」


 ゆっくりと目を閉じて。腕を拘束され、槍でその身を脅かされた少女は。


「────1人でも多くの国民に、幸多からんことを」


 そう祈り、法廷から立ち去った。







「逃がすんじゃなかったやん。あの女に死ぬまで政務やらせとけばよかったやん」

「もう余命も少ないですし。最期くらい休ませてやれ、とのペニーさんのお達しです」

「やかましいわ、あの女も散々に無茶やりおったんやから。今すぐ挙兵して拘束したろ」

「ミーノと同居しているメロ元将軍を突破して拉致できる人材となると、それこそ剣聖様クラスを動かす必要がありますが」

「……あーっ!!」


 カリンとしては、不満の残る判決だった。


 あれだけ胸糞の悪い事件を起こして、ミーノは実質お咎めなしである。だが、ペニーの出した結論を覆せるだけの権力を彼女は持っていなかった。


「あの女は目的のために平気で人を殺しよる」

「はい」

「そういう人間は、死ぬまで使い潰したってもええと思う。むしろ、本人もそう望むやろ」

「望んでましたね。ボクなんか死ぬまで使い潰せ、生きている限り仕事を手伝うと」


 ミーノは『謹慎』判決を受けて不満そうだった。どうせ死にゆく命だが、生きている間くらい有効活用するべきだと怒っていたという。


 軍師たる彼女にとって、自分という人間すら使い潰すコマに過ぎないらしい。


「その冷徹な考えを、否定したかったのが私達ですから。それに今は、かつてと違い王都は発展して財政にも余裕があります。ならば、今まで見捨ててきた『少数』の犠牲をも取りこぼさず救うべきです」


 エマは、そう言うと。カリンに向かって諭すように続けた。


「癪ですが、あの化け物により国政は間違いなく発展しました。たった数年で、ペディアの国力は数倍に跳ね上がってます」

「……」

「そのおかげで、今後はうまくやれば我々は選ばずに済むんですよ。少数の犠牲を許容せずとも、全員を救える選択が取れるのです」


 ……エマは、ミーノが嫌いだった。


 どこにでもいる商人の末娘から、ペニーの義勇軍に参加してのしあがった彼女はミーノの考えに虫唾が走った。


 民の立場は弱い。いつ、見捨てられるかわからない。だからそんな冷酷な考えを否定したかった、国は民を守ってくれると信じたかった。だけど、同時に────


「……結論から言えば。ペディアが弱国だったかつての情勢では、些末な民全員を守り切るなんてリソース的に不可能で。だからミーノこそ必要な人材であり、彼女のおかげでたくさんの死んでいた命が死なずに済んでいました」

「まぁ。以前のこの国は、確かにひどかったからなぁ」

「だけど、もうそんな冷徹な軍略は必要ない。少数の犠牲を許容するミーノの施策によって、この国は少数の犠牲すら救える国になったのです。だから彼女が失脚した以上、私たちはミーノを使い潰すようなことはしません」


 エマは、ミーノの成果だけは認めていた。商人一家に生まれ商業金融に詳しいエマが、ミーノの施策に感嘆して口を出さなかったほどにミーノの能力は高かった。


 こうしてくれればもっと商業が発展するのにな、と商人の立場から常々考えてきたことをミーノは全てやってのけていたのだから。


「わかった。それじゃ、ウチちょっとだけ寝てきたらあかん?」


 エマの説得で渋々納得したカリンは、話を変えた。4徹は流石にしんどい、今まで書類仕事などしてこなかったカリンは流石にもう限界だった。


「やめてください、貴方が寝たら追いつけなくなります。この書類が明日までに終わっていないと、部下たちの全ての仕事が滞ります。席を外し体を柔軟するだけにしておくのが無難です」

「……あかん?」

「政務が滞ると、剣聖様に迷惑がかかるかもしれませんね」

「……」


 人間は限界だと感じてからが本番。エマは、それをよく知っている。


 因みにこの後、カリンが床に入ることが出来るのは更に3日経ってからのことだった。
























「フラッチェ!! 準備は?」

「終わってる。では、城に行こうか」


 マドルフとの決戦から、1月ほど。は礼服に着替え、時間通りにレックスやメイちゃんと合流した。


 なんと今日、私達パーティは冒険者家業を辞めペディア帝国の国軍に所属する事となっているのだ。


「俺様、きままな冒険者暮らしが結構好きだったんだがな」

「エマちゃんに頼み込まれちゃいましたしね。私達が居ないと国が成り立たないって」

「まぁ今は、国の頭がすげ変わって大変な時期だ。手を貸してやるのも悪くはねーだろ」


 数日前、私達はペニーとエマに呼び出され王様が死んだことと、次の王はペニーであることが告げられた。


 そう、あの糞ロリコンが王様になってしまったのだ。きっともうすぐこの国に幼女が溢れてしまう。


 そうなったらロリコニアに国の名前を変えるべきかもしれん。


「本当にアイツが王様で良いのかね?」

「良いんじゃないか? あの演説を聞いたろ?」


 そして、ペニーは城の上から民に向け演説をした。その演説が評判となり、今のところペニー王就任に大きな反対運動は起きていない。


 前王の息子が、ペニーの王就任に反対しなかったのも大きい。彼は何やら過去にペニーと一悶着あったそうで、今は熱心なペニー信者だそうだ。


 あのロリコン、何やったんだろう。





『……俺に人間の上に立つ資格が有るかどうか分からん。それはお前らが判断する事だ、俺が決める事じゃない。周りに流されず、俺が付いていくに足る人物かどうか、俺の話聞いて諸君それぞれが自分で考えて判断しろ』


 ペニーは、民たちにそう演説した。問答無用で付いてくるのではなく、ついてくるかどうか選べと。


『だから。お前らの中で俺が王にふさわしくないと、そう感じる者があれば俺に直談判しに来い。取る自信があるならば、俺の命を狙うと良いさ』


 その大男は自信満々にそう言い放ち。


『尤も─────』


 自分を取り囲む膨大な人の群れを前に、ペニーは瞳を光らせて高々に宣言した。


『俺の正義を破れん限り、そこらの賊に殺されるつもりはない。俺を殺したくば、俺を殺せるだけの正義をもってかかってこい』


 それは、威圧。自分を暗殺する事を許容し、その暗殺者に向けての言葉であった。


『100人いれば、100の正義があるだろう。己が正義を貫いた、その先に俺がいるならば容赦なくかかってこい。俺と、俺を信じてくれる者共が正面から相手になろう』


 それは決して冗談や軽口ではなく、ペニーは本気でそう告げていた。自分に不満があるなら正々堂々かかってこいと。


『だが、願わくば俺と共に来て欲しい。諸君らが俺の正義に乗ってくれるのならば、俺は全力でお前らを守って進む。お前ら全員を抱えて、どれだけ傷だらけになろうと決して見捨てない』


 実はこの演説は、義勇兵時代からの彼の十八番だった。


 敵の正義を否定せず、自分の正義とどちらが正しいかを競い合わせる。相手が自分より正しいと納得したなら、ペニー自身も主張を変える。それこそが、彼が今まで生きてきた道筋。


 だから、ペニーに敗れた敵もまた、彼を恨まず付き従う事もあった。こうして、ペニー率いる義勇軍はどんどん勢力を拡大していったのだ。


『俺で良ければ。ここにいる全員を背負わせてくれ』


 そう言って、ペニーは演説を終えた。














「ロリコンの癖に結構言うよな」

「あれでロリコンじゃなければな」

「エ、エマちゃんが好きなだけですし。クラリスも口説いてたけど、多分……」


 そして新政府から私とレックスは大将軍、メイちゃんは宮廷魔術師としてのオファーが来た。


 ミーノは引退、メロはミーノに付き従う形で辞職。二人は王都郊外で一軒家を買い、ミーノが死ぬまで静かに暮らすらしい。これで、大将軍2人が国から去った。


 残ったペニーも王様になり、旧3大将軍が全員いなくなってしまったのである。


「クラリスくらいだもんな、前政権から残ってる戦力って」

「フラッチェさんが降伏し砦が落ちたと聞いて、今度こそ死んじゃったと思いましたね。何なんでしょうね」

「あの幼女モドキはどうやったら死ぬんだろーな」


 ちなみに、私と一緒に魔王軍に捕まったクラリスは普通に生きていた。マドルフを倒したあたりでひょっこりと歩いて帰って来た。


 何でも、魔王軍の洗脳技術により彼女も洗脳されかけたそうなのだが……



『ぐはははは!! 我こそは魔王軍一の魔法使いクラリス様だぁ!!』

『おお!! 洗脳に成功したか!!』

『人間どもを皆殺しにしてやるぞ……、ん、なんだか頭が痛い……。アガ、ガガガガガ、ピー』

『な、なんだ? この人族、壊れた歯車の様な声を出して』

『人格修復中─────人格修復中─────。はっ!? 我は一体!!』

『嘘だろ、正気に戻りやがった!?』

『落ち着け! 急いで再度洗脳だ!』



 と言う感じで、自分に洗脳対策を施していた幼女は、延々と洗脳に抵抗を続けたらしい。


 何なんだろう。そんな技術があるなら私にも教えてほしかったんだが。


『無理だ、今の我々の技術でこいつを洗脳するのは』

『仕方ない、殺すとしよう』


 半日ほど頑張って、とうとう魔族は洗脳を諦めたらしい。そして彼らは、クラリスの処刑を決定した。


『ひゃっはぁぁぁ!!!!』


 魔族達は寄ってたかって殺された仲間の仇と、残虐な戦闘本能の赴くまま彼女の四肢をもいで首を切り落としたらしい。だが……、


『ガガガ、ピー。肉体修復中─────、肉体修復中─────。はっ!? 我は一体!?』


 改良したクラリスの謎魔法により、どれだけ殺してもすぐにクラリスは復活したそうな。


『うわぁぁ!! なんか再生したぁぁ!!?』

『ひぃぃ! 急いでもう一回ぶっ殺せ!!』

『ば、化け物ぉぉ!?』


 クラリスは前回首を落され死にかけたので、今度は爆発四散しても死なない様に魔法を改良したらしい。頭おかしい。


 これには、流石の魔族も大混乱。人族とはなんと恐ろしい存在なのか、どれだけ殺しても殺せないなら勝ち目がないじゃないか。


 こうしてクラリスの監視・洗脳を任されていた魔族達は恐慌状態になり逃げだしてしまい、彼女は自力で拘束を解いた。そして、戦争が終わった後にひょっこりと彼女は王都城に顔を出したのだ。


 ……。なんなんだろーね、あの子。


「クラリスなんてあんなもんですよ、真面目に考えたら損するだけの非常識です、私は奴が火炎魔法で蒸発しても心配しないと決めました」

「メイちゃん達観してるなぁ」

「でもさ。宮廷魔術師に任ぜられたメイって魔導師も、兵士の間では『歩く対魔族最終決戦兵器』って呼ばれてクラリスと並ぶ非常識な存在と扱われているらしいぞ」

「……え。それ、初耳なんですけど。え?」


 私は洗脳されていたから見ていないのだけど。


 聞くとどうやら、メイちゃんは馬鹿みたいな威力の魔法をぶっぱなしたらしい。かなり不安定だったらしく、本人も振り返ると「たまたま制御できてた」状態だったそうだ。


 一歩間違えれば、メイちゃんは王都を丸ごと吹っ飛ばしていた可能性があるのだとか。よくそんな魔法使う気になったな。


「物凄く姉さんに怒られましたよ。魔力に酔うのは未熟者の証って。正直、私なんかが宮廷魔導師でいいのでしょうか」

「エマちゃん曰く『とりあえず剣聖様のパーティ全員を政府の重役にします、今は少しでも私達の陣営の有力者が欲しいので』だとさ。多分断っても無理やり就任させられるぜ。お飾りで良いから、名前貸してほしいんだとよ」

「……プロパガンダって奴? ミーノとやり口がそっくりだなエマちゃん」

「そう悪く言ってやるな。ま、俺様と言う国の看板が欲しいんだろ」


 そういえばエマちゃんもそんな感じの事を言っていたような。元々レックスって在野最強冒険者って名前売れまくってたしな。


『魔族を叩きのめした今、次の脅威となるのは周辺諸国。魔族に攻め入られた混乱を突こうとするハイエナが居てもおかしくありません、我々ペディアは絶対に喧嘩を売ってはいけない国だと周知する必要があります。幸いにも剣聖様やそのパーティ一行の名前は周辺諸国に轟いていますので、貴方達の大将軍就任は国を守るために必須なんです』


 なのだとか。ペディアを喧嘩を売ってはいけない国と思わせるのがエマちゃんの方針なのだそうだ。


「ま、俺様達はお飾りさ。実務とかはエマちゃんと……なんかカリンも国の中枢として働かされるらしく、その二人が主にやってくれるらしい」

「今やカリンさんが枢機卿ですもんね。気付けば国の超お偉いさんになっちゃいました」

「エマ曰く、悪人の考えが分かるカリンは政府側にいるとすこぶる有能だとさ。ま、アイツなら難なくこなすだろ」


 へー。何で私に頭脳労働の仕事が無いのか不思議だったが、カリンがやってくれることになってんだな。私やレックスは考えるより斬る方が得意だし適材適所と言う奴か。


「じゃ、行こうぜ。もうすぐ就任式だ」

「そうですねレックス様」

「また、あの堅苦しい式に出ないといけないのか」

「フラッチェさん、相手はあのペニー元将軍なので緊張する事はありませんよ」

「そういや、王様はロリコンだったな」


 なんか一気に緊張する気が失せた。



























「へぇ。面白いね、フラッチェさん」


 かつての国軍最悪、この国最高峰の回復術師ミーノは俺の話を聞いてそう言った。


「そっか。君があの『風薙ぎ』、レックス君に黒星をつけたという在野冒険者。あの活躍も納得したよ」

「女の身体だけどな」

「ふ、元々君の剣は非力でも扱えるモノなんだろ?」


 ミーノが解雇され、郊外に家を構えたと聞いて。俺は、こっそりと彼女を訪ねることにした。


 多くの犠牲のもとで、今のペディアの発展に貢献した怪物。それと同時に、俺の「望み」をかなえる方法があるとすれば彼女に頼る他になかったからだ。


「で。俺の身体を元に戻すことは可能か?」

「……うーん。ごめんね、難しいかな」

「分かった」


 そう。ジャリバが死んだ今俺を男に戻せるのは、この国の医療の頂点に立つこの女しかいない。


 だからダメもとで、頼みに行ったのだが……。やはり、難しい様だ。


「にしても脳移植、ねぇ。それは興味があったなぁ、もっとフラッチェさんと仲良くなっとくべきだった」

「どういう意味だ?」

「ボクの身体は、骨の中の造血組織の腫瘍化だから。健康な体作って脳を移植できれば、それでボクは完治さ」

「え、マジで」


 そうか。脳を移植できるなら、ミーノも健康なクローン作れば完治なのか。


「……ふふ。ま、君に使われた技術が本当に脳移植ならね」

「え?」

「移植できっこないんだよ。脳なんてさ」


 ミーノはニコニコと、俺の頭に手をやって。少し悲し気に、俺の瞳を覗き込んだ。


「うん、やっぱりそういう事。ジャリバさんってゾンビは頑張ったんだね」

「……何だよ、何が言いたいんだお前」

「人間には免疫ってものがある。他の人の臓器を移植なんてしたら、物凄い拒絶反応が起きる。有名な話だと、死んだ他の冒険者の腕を治癒魔法で無理やりくっ付けたら全身腫れ上がって死んだりとかね。完全に遺伝子が一致しているクローンでもない限り、基本的に臓器は他の人に移せない」

「……?」

「で、ジャリバさんは脳全体を移植する必要がないと考えた。重要なのは人格と記憶であって、例えば掌を動かす機構や運動の円滑さを司る部分なんかは元々の素体の脳に任せて、人として必要な部分だけ移植する事にしたんだ。拒絶反応を小さくしたかったんだろうね」

「難しい話をするな」

「……。ジャリバさんは脳の人格を司るところだけ移植しようとしたみたい」

「成程」


 要するに脳を丸ごとぽろっと取り換えたわけじゃないんだな。輪切りにして一部分だけ取り換えたのか。


 ……想像すると怖えな。


「で、結論から言うけど。……君に移植された脳組織はもう死んでる」

「……ん?」

「うん。ハッキリ言うね、君がかつて風薙ぎの死体から移植されてきた組織は死んで、今は活動していない。ジャリバさんの実験は、失敗だったみたいだね」

「んんん!?」


 え。何それ。


 ジャリバの手術が失敗って、何それ!?


「フラッチェさんは知能を司る部分を移植されたみたいなんだけど、丸ごと死んで活動してないの。最近、少し頭の回転が鈍くなったりしていないかい?」

「いいや全然」

「……なら、元々……いや何でもない。で、記憶に関しては『記憶移植魔法』で付与されたんだろうね。君の大脳辺縁系に手を加えられた様子はなかったから、記憶の移植にはもともと存在する魔法を使ったんだ」

「……な、なぁ。つまりミーノは何を言いたいんだ」

「ごめん、ショックかもしれないけどはっきり言うね。君は冒険者『風薙ぎ』ではなく、彼の記憶を持って知能の下がった少女時代のジャリバさんって事だね。まぁ、人格をどう定義するかにもよるんだけど」




 ……はあああぁ!!?




「きっと、ジャリバは人間の脳丸ごとを移植して、拒絶反応でほとんどの実験は失敗した。それで一部を移植する方法に切り替えたけど、記憶を司っている部位は何処かを知らなかった。だから総当たりで試したんだと思う」

「……」

「で。殆どの他の実験体は移植された『生命の維持に必要な』部分が腐って死亡したけど、フラッチェさんはたまたま知能の部分だけが移植され死んだから生き残ったんだよ。ジャリバはそれを成功と捉えたんだろうね」

「……は?」

「つまり、やっぱりボクが完治する方法も無いしフラッチェさんが元の身体に戻るのも不可能。いや、むしろ今の身体こそ『元の身体』と呼ぶべきなのかもね」



 そ、そんな。じゃあ、俺って何なんだ。


 結局俺はジャリバなのか? いや……ジャリバじゃないのか? いや……やっぱりジャリバなのか!?



「そんな。じゃあ私は一体」

「フラッチェさんでしょ?」

「え?」


 アイデンティティが崩壊して思考がぐるぐると回り始めたその時。ミーノは、単純明快に俺の疑問を解消した。


「自分なんてものは、人から見てどうかとか関係ない。要は自分が誰かなんて、自分で決める事さ」

「は、はぁ」

「君は風薙ぎさんともジャリバさんとも別人なら、それはフラッチェさんという一つの人格なんでしょ? 難しく考えることはない、我思うゆえに我ありってね」

「……」

「今のフラッチェさんが受け入れないといけないのは、自分が風薙ぎという男じゃなかったって事。それだけで、ジャリバなんちゃらって魔族の事は忘れて良いよ。関係ないし」

「そ、そっか。そっか?」

「そうだよ」


 そ、そうか。俺が風薙ぎじゃなかったって話だけか、要するに。


「と言うか。フラッチェさんが名乗った弟子って表現、凄くしっくりくるよね。風薙ぎさんの剣の技術を継承した別存在な訳だし」

「……おお」

「というか、実際に弟子みたいなもんでしょ。今後も、そのスタンスで良いんじゃないかな」


 な、なんと。俺は風薙ぎの弟子だったのか。


 言われてみればそんな気がしてきたぞ。


「……あ、ありがとなミーノ。なんか、色々分かって頭の整理がついてないけど」

「ゆっくり悩めばいいさ。君の人生は長いんだ、ボクと違って」

「……」

「そんな顔するなよ。病人ジョークと言う奴さ」


 それ、あんまりジョークになってない。


「ああ、一つアドバイス。フラッチェさん、今まで自分が男だと思ってたから色々と気づいてないことがあったかもしれないけど……、自分の感情に嘘をつかない、それが一番大切かな」

「あん?」

「今の言葉が必要になるのは、ボクが死んだ後かもしれないけどね。ま、遺言だと思って聞いておくれよ」


 そう言った彼女は。初めて見たかもしれない、心からの悪戯な笑みを浮かべて。


「恋って案外いいもんだね、フラッチェさん」

「はい?」


 そう言った。




























 そう。


 俺は勘違いしていただけなのだ。自分の事を高名な剣士だと思い違いしていた、ただの小娘。


 その剣士の記憶を持っていたから、物凄い速度で剣の腕を磨き上げることが出来ただけの一般人。


「……あー。誰にも言えないよな、こんなこと」


 ナタルが聞いたら、きっと悲しむ。レックスだって、俺と微妙な感じになるかもしれない。


 これは、自分で悩むしかない。悩んで、そして受け入れていこう。


 身体を取り戻す手段のない俺には、受け入れるという選択肢しかないのだから。




 いや。『私には』だな。
























「いやぁ、堅苦しい式だと思ったら案外フランクだったな」


 ペニーからの大将軍位授与は、実にあっさりしていた。


 前みたいな形式ばったものではなく、ロリコンと表彰台で握手して、「これからの世代を担う英雄たちに乾杯!!」と城中の兵士に杯を掲げさせたのだ。


「しっかりした式は国民の前でやればいい。レックス達には、まず我らを身内だと認識してほしいからな。それでこういう式にしてみたぞ」

「気が利くなオッサ……王さん」

「誤魔化すにしろ、せめて様をつけてください剣聖様」


 相変わらず礼儀知らずな親友は、大勢の兵士の前でペニーにタメ口である。エマにギロリと睨まれ、慌てて取り繕っていたが。


「フラッチェもよろしくな。俺に力を貸してくれ」

「わかったロリコ……王リコン様」

「その繕い方はどうなんだ」


 だが、レックスの気持ちもわかる。なんかペニーを王様と呼ぶと違和感が凄い。ついロリコン糞野郎と呼びそうになってしまった、危ない危ない。


「フラッチェ様。『ロリコン』は常々兵士の方々もペニーさんの愛称として使っているので取り繕いは不要です」

「あ、そうなんだ。よろしくロリコン」

「それでええんか!?」


 だが、ペニーとエマ的にはロリコンは許容範囲らしい。よかった、私は礼儀知らずじゃなくて済みそうだ。


「まぁ何でも好きに呼んでくれ、俺には威厳なんぞ要らん。俺に必要なのは、共に歩んでくれる仲間だからな。威厳なんてあった日には一歩後ろを歩かれてしまう」

「……ま、その方がオッサンらしいや」

「剣聖様!! 公式の場でオッサンはご遠慮ください」

「そうだぞ、ロリコン糞野郎と呼んでやれ」

「フラッチェさん!!! 貴女もそこまで言うのは違いますからね!!」

「がっはははは!! 欠片も敬う気のないその態度、まさに俺の仲間って感じがして良い。大将軍を受けてくれてありがとな、レックスフラッチェよ」

「おう気にすんな」


 私達の横柄な態度を受けてペニーは随分と楽しそうに笑っていた。さすがロリコン、子供好きなだけあって器が広い。


「じゃあ、飲めや兵ども!! 我らが新しい大将軍、その二人の門出に乾杯だ!!」


 その号令と共に、私は注がれたワインを喉に流し込んだ。


















「次はメイちゃんの就任式だな」

「そっちは、魔術院でやるらしい。流石に酒は持ち込めないそうだ」

「そりゃそーだ」


 そんな感じの案外楽しかった式は終わり、次はメイちゃんの門出。


 宮廷魔術師筆頭の非常識なお姉様クラリス自ら、メイちゃんに位を授けるのだとか。


「メイちゃん、カチコチだったけど大丈夫かな」

「姉がなんとかするだろう。ほっとけ、アイツは心配いらない」


 見るからに緊張していた彼女だったが、レックス的には心配が要らないらしい。コイツの方が付き合いも長いから、レックスが言うならそうなんだろうな。


「じゃ行こうぜフラッチェ」

「あ、ちょっと待てレックス」

「どうした?」


 そして今こそが千載一遇のチャンス。


 ここ最近はメイがいつもレックスの傍にいて、二人きりで話が出来なかった。彼女なりの乙女の勘で、妨害をしていたのだろうか。


 だからこの表彰式のタイミングになるまで、なかなか言い出せなかった。


「いや、けじめをつけとこうと思ってな。決戦の日、お前から気持ちを告げられたの放置してたし」

「うぐっ……。今、今かそれ」

「いや、振るなら早い方が良かったのにメイちゃんベッタリだったし。このタイミングしかなさそうでな」

「……振るのかぁ」

「悪いなレックス。お前をそういう風に見たこと無かったわ」

「おう……」


 バッサリ。これで済む話なんだからもっと早く言えばよかったのだが……。


 理想としては私の心の準備が出来た後、『俺が風薙ぎだ』と名乗ってそのまま話を流す方向が良かった。でもそれは出来なくなったわけで、しっかり振るしかなくなった。


 でも。


「で、さ。今度二人だけで食事に行こうレックス」

「あん?」

「お前をそういう目で見たこと無かったからさ。そういう目で見たらどうなのか、ちょっと試したくなって」


 私は風薙ぎじゃない。私は何者なのか。


 性は男で良いのか、女なのか。性格はどうなのか、レックスや仲間の事をどう思っているのか。


 改めて、私は私を知らねばならない。


「あ、え?」

「嫌かレックス」

「そ、そんな事は。え、振ったんじゃないのか?」

「ああ、今の時点では私自身、気持ちが分からない。こんな状態で『はい付き合いましょう』なんて不義理は出来ないだろう」

「……あー。そういやお前って糞真面目だったな。そりゃそーなるか」


 なんだか、納得したような表情を浮かべるレックス。実際、レックスと付き合うなんぞ凄い抵抗はあるんだけど。


 フラッチェわたしの性自認が女性だったとしたら。きっと私はレックス以外の相手を選ぶことは無いだろうから。


「構わないから、その日に思う存分アピールしてくれ。やっぱりそういう風に見れなかったらバッサリ振るし、少しヨロリと来たら考えてやる。お前に出来るならな」

「……く。くくく、言ったなフラッチェ。つまり俺様にフラッチェを落とせるかどうか試してやると、そう言ってるんだな」

「言ったとも。楽しみにしているぞ童貞粗●」

「喧嘩売ってんのかコラ!!」


 私の心無き暴言に、顔を赤く激怒した様子のレックス。私はそんな親友の問いかけに、返す答えは決まっている。


「ああ、喧嘩を売っている」


 それは、今までと何も変わらない言葉。


「さあ勝負だ、レックス」


 そして、きっといつまでも変わらない言葉。





 ────その時、私は間違いなく笑っていた。

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【TS】異世界 現地主人公モノ まさきたま(サンキューカッス) @thank_you_kas

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