恋に恋する女性と落ち続ける男

OkikO

第1話 天の光を地上の愛に、雨風を海への祝福に


30歳になり同窓会に行ったのは人生における最大の過ちであった。


後悔はしていないが、過ちであった。


24〜30歳まで実に5年以上もの期間を捧げた異国の女性への愛と、両者の間で結んでいた婚約を反故にされた「日本に来ない」という元婚約者の義務履行違反は本当に不愉快であった。

そして、それら私の見に起きた不幸を嘲るかのように反比例した仕事の成功は、私に何の喜びも与えなかった。


この居心地の悪い現世で立ち直ることができたのは、あの同窓会での再会とそれ以後の情熱に浮かされた日々、幼馴染の彼女にからしてみれば数多いる遊び相手の一人であっても、私の様な阿呆と過ごしてくれたという一点に対しては心から感謝をしている。


***


この日本国で30代前半は若輩と世の人は言うがして、半世紀も前なら子の1人や2人もいて当然とされる年月を重ねてきたのだと思うと、21世紀は時の流れそのものが停滞しているのか、人の動物としての本能が薄れたのか(あるいは狂っているのか)"まとも"で"常識的"な感覚というものが消えつつある現代の日本という空間で生きることは、広大な宇宙でたった一隻のスペースシップを探すような孤独で陰鬱な気持ちにさせられる。


この見栄えばかりが良い東京地域の片田舎で生まれ育った私は特に意識せず、流されるままに丁寧に舗装された歩道を歩き、車より自転車や電動ボードが危険だというこの不可思議な時代を生きるとは想像していなかった。

全くもって退屈な時代に成り下がっていた。

しかし例え退屈な社会だとしても、犯罪や事故に巻き込まれる可能性は低く、その他の地球上の地域と比較すると、自然災害を除いて、異常なほど穏やかで安定した富める人類たちの社会ということには間違いがなかった。


そんな不可思議な世で凪のような平和な日々が無数にあると平和や幸福とはどこからくるのかを忘れてしまう。当然のものとして、文明人が享受できる権利だと傲慢になってしまう。

現に少年期の終わり以来、私が腹の底から私は幸福であると感じたのは少々物理的に危険な異国での5年と、同窓会後の法的に危うい数日か数ヶ月間だけだった。


リスクを犯す動機が恋、愛、というただの脳内の化学反応に過ぎない下らないものを、少々の危険で味付けする事で魅力的な事へと仕立てている状態はまさしく平和と安定の弊害であろう。


人生における最も重要な期間は生後25年〜30年の間の5年間だと考えている。

いや、全ての人類にとってそうだと言える。


それ以前、自我が芽生える2〜25才も当然大事だが、科学的事実として人類の肉体的成長は25年で止まり、そこからは脳は成長せず肉体も下り坂を歩んで行く事となる。


30歳までに人生が決まると言った理由は25年重ねた個の生命としての能力値が5年で発揮されるか否かという「答え合わせて」が行われるする期間であるからだ。


たったの5年。されど5年


長く険しい人生と比べ、わずか数年で、その後の仕事も伴侶もそれに付随する生活も決定され判明すると考えていたし、その期間を過ぎた今でも「何とかなるのでは?」と、信じてしまうのだから私も含め人とは不思議なものだと思うのだ。


すべきでない事をし、すべき事をせず、その結果が今であると知りながらも無駄に浮世で足掻いてしまう哀れな生命体。


生老病苦の4難からは決して逃げられぬこのは太古の昔からわかりきっているのに生きて苦しむしかない。


こここそが地獄だと言われれば納得してしまう程には不愉快な世界だ。


兎に角、少なくとも、私にとって25歳〜30歳の5年間は人生で最も重要で幸運な異国の婚約者との最良の陽光が差し穏やかな風がカーテンを揺るす美しい夏日であった。結果の知れた今となってはその日々はあらゆる意味において最低に不毛な、無意味に汗だけを流しただけの酷暑の呪われた5年間に成り下がった。


つまり、結果から見ると、美しく幸運に思えただけの苦々しい無為な5年間と同じく、これ以後この不可思議な浮世で自らを愚かな道化と知らぬ愚か者として、気の抜けたオチがつく生を何十年と過ごし、懊悩の中で消えて行くことになるのだろうと思う。


そしてその通りになると確信させる出来事が起きた。


そしてそれこそ、彼女との一連の出来事とその美しい日々が、私の滑稽で過ちだらけだと決定付けられた間抜けの人生にたる「5年ルール」の正しさを確信させたのだ。


さらに言えば、私の一連の行いは唾棄すべき過ちであり、犯すべきではないリスクであり、コメディとしては最低であった。


酷く愚かな行いだった。


※※※


私は都内の私立一貫学校に中学から入学した。


全ての事を覚えてはいないが殆どの記憶は思い起こせる程度には残っている。それほどに充実した日々だった。


当時14才程度の私は、そこから倍以上の年月を重ねて雪だるま式に増えていく精神的な負目もなく、汚れた日本の将来を憂い、時に怒りや憤りを慈しみながら、穏やかで温かい人々の日常の営みを心から悲しみ、楽しんでいた。


彼女と出会ったのはそんな日々の中だった。


私が7年生か8年生の頃だったろうか。彼女は教室内でも外でも静かで、いつも読書をして少数の友人と過ごすような、全くもって流行と縁のない大人しくダサい女子だったが、誰の目から見ても明らかなほど異質で近寄りがたいほどに輝いていた。


俯きがちで、眼鏡をかけていて、口数の少ない彼女は人気者とはほど遠く、それでもクラスメイトの誰からも一目置かれてしまう、綺麗な花を咲かす高原の雑草のような不思議な人だった。


私と彼女の初対面がいつなのかは、残念ながら覚えていない。間違いなくクラスの道化師たる私とは正反対に位置する存在だった。


彼女が地味でボソボソと低音で話す芋臭い女の子で、私はそれなりの服装をしたお喋りが得意なニキビ面の不細工だった。


私は完璧な人気者とは言えない道化師としてそれなりに笑われる質の人種を演じる役で、彼女とは本当に真逆と言っても過言ではない学内社会階層に属していた。


共通点を無理矢理あげると、ジャンルは違うが読書が好きで、メガネをかけていて、恐竜が好きで、お互いの事を少し気にしていたという部分だけだろう。


彼女はなぜなのか、やかましい私の事を好いてくれていたようで、私も当然ながら思春期の男子として彼女を好ましといと思っていた。


タイミングが合えば可能な限りおどけて見せたし、彼女の笑顔を見るためだけに話を延々と続けようとし、それでもお互い緊張しすぎて上手く会話はできない。そしてたびたび沈黙が生じる、その程度の関係だった。


ただ、その無言の時間ですら少し愛おしいと感じる程度には彼女のことを意識していた。


そんな関係だからこそ、当然だが付き合うなんてことはなく、授業以外では適当な本の話やジュラシックパークの好きな恐竜を話したりするのが関の山だった。


私は当然ティラノサウルス・レックス。

彼女は真っ赤な顔で「ヴェロキラプトル」と恥ずかしそうに、俯いて答えた。


この女は只者じゃない。

私は初めてただ美しいだけの「女の子」ではない「女性」という存在を認識し、同時に少し恐怖した事を覚えている。


※※※


高校に入り再び彼女と同じクラスになった。

この頃になると彼女の美貌は最高潮に達していて、野暮ったい眼鏡は消えていた。

完璧な天に咲く高嶺の花に昇華していた。

私なんかは路肩のアスファルトから浮き出た木の根みたいな存在だった。


当時の私を擁護するために言うとそれなりの努力は重ねた。ファッション、スキンケア、トーク、得られるものは全て吸収し可能な限りの力に変えた。


例えば、彼女の誕生日にデートに誘い、手袋をあげたりもした。真冬だというのに酷く汗をかいていたことはハッキリと覚えている。そして映画の好みが全く合わないと判明した。リサーチ不足だった。

それでも、彼女はその冬の間、嬉しそうにその手袋を身につけてくれていた。


そんな良い状況であったのに私は緊張で意思を伝えることができないまま、意識し過ぎてどうしようもない状態から抜け出せず時だけが無慈悲に過ぎていった。


そのうちに、彼女はいつの間にか彼女の属する部活内での彼氏ができて、さらにファッションや化粧も垢抜けて、100/100が振り向く絶世の美女とメタモルフォーゼしていた。


私は正直ほっとした。


男友達と遊ぶのが楽しくて仕方がない時だったこともある。

色々な人と話す事が面白かった。

それなのに彼女だけとは緊張から上手く喋る事のできないもどかしさに少し、いや、かなり嫌気がさしていたのだ。


別の人間とうまく行ってくれたことで自然に話せる様になり、救われた気がした。


何よりもあの輝きの隣に立つ資格があるのか、私には自信がなかった。


そしてそのまま卒業を迎えた。


※※※


次に再会したのは私が大学で文学を学んでいた辺りだったろうか。

高校卒業から2〜3年経ちお互い大人になっていた。


きっかけはSNSだった。

友人かも知れない人の中に彼女の名を見つけて思わず連絡していた。


そして連絡をとりあううちに、自然な流れで久しぶりに会おうとなった。


私だって年をとり多少の男女の経験というものを経てそれなりの成長を遂げたつもりだった。


完璧なデートを必死で考えた。

吉祥寺の地形と食事と休憩すべき場所の動線を導き出し、全てが完璧にハマった。

半個室の庭園のような居酒屋で酒を飲み、酔い覚ましに少し歩こうかと井の頭公園を散歩し、池の傍にある暗がりのベンチで休憩をはさみ、少し寒いねと手を重ね、お互い探る様に唇を重ねた。


ほんのりと寒さを感じると気温すら我々の関係を後押ししている様に思えた。


そして公園から駅に向かう坂の途中にある旅荘に立ち寄り思いをぶつけ合った。


愛していた。

愛していた事に気がついてしまった。

そこまで本気で誰かの為に、という事を考えたことなんてなかったのだから。


残念なことにその後、私のスマホの破損や彼女がSNSをやめていたことが重なり、連絡を取り合う手段を失ってしまった。

ただ、何も問題はなかった。


私の中で一区切りついた過去の恋愛。

愛しているから、愛していたからこそ幸せになって欲しいと強がれる程度には区切りがついていた。

そしてさらに、愛という感情に対する私の認知の甘さの衝撃と向き合う必要があった。


※※※


大学は中退し、ふらふらとニートをして24歳になっていた私は東南アジアの国の南端の島に流された。

日本からは直行便もない島で、紛れもなく島流しだったが、私にとっては楽しかった。


現地の大学に半年ほど逗留し、アメリカで学び日本で錆びついた英語を学び直していたところだった。


そして大学で私に英語を教えてくれていた生徒と恋に落ち付き合い始めた。


東南アジアで適当な言葉を並べて女と遊び、また帰ってくると言い残して去るような日本人と私は違う。

そう意気込み現地で仕事を探した。

うまくいった。婚約もした。3年以上も同棲した。

愛していたし、おそらく未だに愛しているような気さえする。


ただ5年以上付き合った婚約者は、私が全てを放り出して異国に残ったのとは違い、日本に来ることはなかった。


残してきた荷物は後日郵送にて届けられた。


原因はこの場に書き切れぬほど無数にあるが、国を出るというのは怖いことだという単純な、それでいて多くの人が抱く単純な悩みに私は気がつけず、フォローもせず、相手の意思を軽んじていた事にやっと気がついた。


私には全てが遅すぎて、彼女には早すぎたのだ。


※※※


ここで冒頭へと戻る。婚約破棄から半年以上が経ち中高の同級生たちによる同窓会が開かれた。数年ぶりに帰ってきた日本で、途切れた友好関係や新たな恋人を探すきっかけにでもなればと思い迷いなく参加した。


同級生の多くが結婚やなんやらをして子供までいる者もいて自分の年を自覚させられた。


当然のことだが、彼女の左手の薬指には独特で感性の鋭い指輪が鈍く輝いていた。


結婚相手は一度もあったことはないが、聞く限りではそれなりのサラリーマンとして成功していると言える私でも一切勝てる要素のない完璧な男だった。


それは本心から嬉しいことだった。

やはり彼女は良いやつを選ぶと、私の愛した人間は私を超える伴侶を掴める完璧な淑女であったのだ、と自画自賛していた。


ただ、その日、何故か、何かが、2人の間で弾けたのを感じた。そんなのあるわけがないのに、タガが外れた音が聞こえた。

朝まで飲み、彼女を送り、気がつけばまた唇を重ねてしまった。


その日から狂ったように毎日連絡を取り続け何度も酒を飲み地元の街で熱狂の中で語らった。


あの頃の旅荘は既に廃業していて、時の流れを感じた。


ただ楽しかった。楽しくて仕方がない。

当たり前だ。


昔はお互いドギマギして話せなかった事をひたすら話し続けた。

連絡が取れなかった時が功を奏したとも言えるだろう。


あの中学生、高校生の時に早戻った感覚に陥り今までのすべてを取り戻すように連絡を取り続ける毎日を過ごした。


楽しすぎて、思ってしまった。


彼女と共に人生を歩みたい。

未だに愛している、まだ終わりじゃない。


彼女は既婚者でこの関係は長く続かない。


いつか致命的な結果を生み出す。


そんな事はわかり切っていた。


でも、もしかしたら、全てが上手くいくかも知れない。


それで良い。関係が破綻するか上手く乗るか爆破コードを失った時限爆弾的な、致命的で熱狂的な恋に落ちて行こうと思った。


※※※


あの白昼夢の様な日々から1年経った。


結局のところ、「致命的な破滅」は訪れなかった。


そして上手く乗ることもまた無かった。


風の噂に聞く所によると彼女は夫と別れ、私ではない高校時代の例の彼氏と元の鞘に戻ったらしい。


彼女は昔の彼と一緒になる為に、一度も離れなかったこの街を離れたと知った。


何か変わるかと思ったが、彼女がいない街は普通に動いていた。


あの旅荘がなくなっていても代わりがあったように。


それでもたぶん、またどこかで、おそらく数年か数十年後、再び人生が交差する気がする。何となく確信しているのだ。


そんな確信に少し寂しさを感じた気がしたが、その感情も風と雨と騒音とともにすぐに何処かに流されていった。


彼女は彼女で私は私で、運命は気まぐれだ。

何故か必要とする時に、必要とされる形で私たちは再び出会うのだろうという根拠のない予感があるのだ。


不思議な事に嫉妬や残念な気持ちは一切抱かない。ただただ純粋に彼女の心の平穏と幸福を光る天と恋人の歩く地で、何故か降り始めた雨風に祈っていた。


そしてやはりと言うか、私の人生は滑稽で愚かしい道化だと再び思い知るのだろう。


ー了ー

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