10 初瀬詣

 この何年もの間ずっと願掛けをしたいことがあって、なんとか初瀬詣をしたいと願っていた。来月に行こうと思い立ったがなかなか思い通りにはならず、やっとのことで九月に行けることになった。

「来月の大嘗会の御禊に我が家から女御代がお立ちになる予定なのに。それを終わらせてから一緒にどうだい?」

とあの人は言うけれど、女御代に立つのは時姫様の生んだ一の姫。私には全く関係ないことだからとあの人には内緒で初瀬行きを決めた。はっきり言えば、大嘗会の準備に賑やかにしているのを近くで見ているのが耐えられなかったのだ。当日は日が悪かったので仮の門出を法性寺でして、暁に出発して正午ごろにあの人の所有する宇治の別荘に到着した。

 車の御簾の隙間から外を見やると、別荘の木立の隙間から川面の煌めきがこぼれているのが見えて美しさが胸がじんときた。目立たないように供人も少なくしてごくお忍びで来たのでこんなに寂しいのは私の不注意だから仕方ないけれど、もし私が本妻ならどんなにか賑やかだったろうと思うと切なかった。車を停めて後ろに乗っていた道綱を降ろした。幕を引き巡らして車の後ろを川に向けて簾を巻き上げると、川のあちこちに網代が仕掛けられているのが見えた。舟がこれまで見たこともないほどたくさん行き交い、見るものすべてが新鮮だった。後ろの方を見ると、歩き疲れた召使たちが見た目の悪い柚子や梨などをいかにも大切そうに持って食べていて、いじらしかった。そこでお弁当をいただいて、舟に車を担ぎ乗せて宇治川を渡りさらに進むと、物語や絵などによく描かれる贄野の池や泉川といった水鳥の群れで有名な光景が広がっていた。どれもこれも目に映るものすべて美しく涙が溢れた。本邸では女御代が立たれるというので華やかに騒いでいるのに、こんなふうにひっそりと出かけてきた我が身の境遇が悲しく、何かにつけて涙もろくなっていた。

 泉川まで来て、手前の橋寺というところに泊まった。午後六時ごろに車から降りて休んだ。旅人用の炊事場のようなところで、召使が切り大根を柚子の汁で和えたのを最初に出してきた。こんな旅先での食事や住まいなどがすべて目新しく、妙に忘れがたく心に刻まれた。

 夜が明けると川を渡って先に進んだ。柴垣をめぐらしてある山荘が立ち並んでいる集落を通りがかり、古物語に登場する家はこんな感じかしらと思いながら行く旅の風情はどれもこれも面白かった。この日も寺のようなところに泊まって、次の日は椿市に泊まった。翌朝、霜が真っ白に置いているころ、詣でたり帰ったりする人たちだろうか、ふくらはぎに細い白い布を巻いて騒ぎながら歩いているのが見える。潔斎用の風呂の湯を沸かしている間ぼんやり外を眺めていた。蔀戸を開け放った宿だったので、さまざまな人の行き交う様子がよく見えた。私だけでなくそれぞれの人がみんな何か思うところがあって初瀬詣をするのであろう。

 しばらくすると、手紙を提げてやってくる者が見えた。私の泊まっている宿の前に止まって、

「お手紙でございます。」

と言っているようだった。持ってきた手紙を見てみると、

『昨日今日と何か問題はないか?心配でならないよ。ずいぶん少人数で出かけたようだが、大丈夫か?以前言っていたように三日間滞在するつもりか?帰る日を聞いたら、せめて迎えだけでも行くよ。』

とあの人からの手紙だった。返事には、

『椿市というところまで無事に参りました。このついでにさらに山深いところまで入って行こうかとも考えていますので、いつ帰るかは決めかねています。』

と書いた。

「初瀬で三日もお籠もりなさるなんて、いけませんわ。」

などと侍女たちが相談しているのを、手紙の使いは聞いて帰ったようだった。

 椿市で必要なものを調達し準備が整うと宿を出発した。なんということもない道でも山深いところにあるので下界とは何もかもが違って見えて心が洗われるようだった。谷川の水は清らかな音を立てて流れ、木立は天を突くように立ち並び、木の葉は鮮やかに彩っている。川の水は石がたくさんある中を沸きかえるように音を立てて流れていた。夕陽が辺り一面を照らしているのを見て、涙が流れた。道中の景色は大したことはなかった。紅葉にはまだ早いし花もすっかり散ってしまって、枯れた薄ばかり見えた。それなのに今通っている道は格別に胸を打つ光景なので、車の御簾を巻き上げ、下簾も脇に挟んで開け放つと、道中着くたびれた衣装の色まで夕陽に照らされて見違えるほどの美しさだった。薄紫色の薄物の裳を腰につけて、引き腰の紐が交差して朽葉の衣装に垂れているのが真っ赤な夕陽に照らし出されている様は、この世のものとは見えなかった。門前では乞食たちがお椀や鍋を地面に置いて座っているのが悲しかった。下々に近いところにいる自分は、寺に入ることで落ちぶれたような心地がした。初夜の勤行が始まった。何もすることがなかったが眠るわけにもいかず、ただひたすら読経の声を聞いていた。盲目でそれほど高齢でもなさそうな者がいて、心に思っていることを人が聞くのも気にせずひたすら大声でお祈りしているのを見て、哀れで涙がこぼれた。

 もうしばらくここでゆっくりしたいと思っていたのに、翌朝になると荷物を整理し大急ぎで出発した。帰りは同じようにお忍びだったのになぜかどこへ行っても我が一行を見つけ出してはもてなしを受けて、賑やかに過ぎていった。三日目には京に到着できそうだったが、だいぶ暗くなってしまったので山城国の久世の三宅というところに一泊した。ひどくむさ苦しい宿だったが、夜になってしまったので仕方なくそこで朝になるのをじっと待った。まだ暗いうちから出発すると、黒々とした者が武具を背負って馬を走らせて来るのが見える。少し手前で馬を下り、膝をつきかしこまっていた。よくみるとあの人の随身だった。

「何事でございましょう?」

と供の者が尋ねると、

「昨日の夕方六時ごろ殿が宇治の別荘にご到着なさいまして、奥様がお帰りなさったかどうか確認しお迎えに参上せよとご命令がございまして参りました。」

と言った。先払いをする男たちが、

「早くしろ。」

と牛を引く召使に指図していた。

 宇治川に近づいたころ、これまで通ってきた道が見えないくらいあたり一面霧が立ち込めていた。車から牛を外して掛け声をかけながら男たちが騒いでいる。

「御車を川べりに下ろして。」

などと大声が聞こえる。霧の下の方に行きに見た網代が見えた。いかにも旅の光景で風情があった。あの人は川向こうで待っているようだ。とりあえずこう書いて送った。


『人の心はうじの網代による氷魚を たまたま見ようとやって来たのね』


車を乗せる舟が岸に寄ってこようとするころ、あの人から返事が来た。


『帰るひを心うちに数えながら 誰のためにか網代を見よう』


あの人からの手紙を読んでいたら私を乗せた車が担ぎ上げられて、勇ましい掛け声のなか舟に乗せられて渡っていった。御簾の隙間から、とりわけ高貴な身分ではないけれど卑しからぬ家の子息たちが私の車を担いでいるのが見えて、そのうちの一人は何某の丞だわと思った。朝日がわずかに漏れてきて、霧がところどころ晴れ渡っていく。あちらの岸にあの人の子供たち、長男の衛府佐などがみんな連れ立ってこちらを見ていた。その中に混じって立っているあの人も、旅支度の狩衣を着ていた。岸のとても高いところに舟を寄せて、大勢の男たちが必死になって牛車を担ぎ上げて岸に上げた。牛をかける轅を別荘の縁先にかけて車を並べた。

 別荘では精進落としの食事が準備してあって車の中であれこれ食べていると、川の向こう側に按察大納言様の別荘があると話題にする者がいた。

「近頃網代をご覧になるといって、こちらに滞在しておいでのようです。」

と誰かが言った。

「我々が来ていることはご存知だろうから、こちらからご挨拶申し上げるべきかな。」

とみんなで相談していると、雉や氷魚に添えて、

『皆様お揃いでお出ましと伺って、ご一緒したいものと思いましたが、あいにく今日に限って目ぼしいものがございませんで。』

と按察大納言様からお手紙が来た。あの人は、

「こちらにいらっしゃいましたのに、ご挨拶が遅れて失礼しました。すぐに参上いたしましてご挨拶を申し上げます。」

と使いの者に言って、着ていた単の衣を脱いで与えた。使いの者は褒美の衣を肩に担いでそのまま舟に乗って帰って行った。それから鯉や鱸などが次々と大納言様から送られてきたようだった。

 私の乗っていた車の近くに風流人たちが酔って集まっていて、

「素晴らしいことこのうえないものでしたよ。お車の月のような車輪に日光が当たって輝いて見えたのは。」

と言っていた。あの人の車の後ろの方に花や紅葉などを差して飾られていたことを言うのだろうか、一門の子弟と思われる人が、

「近々花が咲き、実まで実りそうな勢いのあるこの頃でございますよ。」

それに対して私の後ろに座っていた道綱が適当に返事をしていると、対岸の按察大納言様の別荘に皆を連れて渡るということになった。

「大いに飲もうぞ。」

などと、供人の中から酒豪の者を選んで一緒に連れて行った。川の方に車を向けて二舟に乗せて渡った。すっかり酔いしれて歌いながら帰って来るとすぐに、

「お車に牛をかけよ、かけよ。」

と大騒ぎするので、私は疲れてとても苦しいのにと思いながら、ひどく辛い思いをしてやっとのことで家に帰ってきた。

 夜が明けると、御禊の準備が差し迫っていた。

「こちらでお願いしたいことはこれこれ。」

と言うので、

「もちろんですわ。」

と言って大騒ぎしながら準備を急いだ。御禊当日は、あの人の長女超子様の女御代の煌びやかに飾られたお車の列に連なって出かけた。下使えのものや御供の者を大勢引き連れていくので、晴れがましい儀式に私自身も華やかに際立つようで、心が躍った。翌月には大嘗会の準備に怠りがないか検分や何やかやで騒ぎ、私も見物の準備をしているうちに年末になり、はたまた新年の準備で忙しく過ごした。


 こうして年月は積もっていくけれど、思うようにならない我が身を嘆いて、年が改まったとはいえ少しも喜ばしくなく、相変わらず頼りない身の上を綴ったこの日記を、いるのかないのかわからないような儚い心地のする蜻蛉の日記と呼ぶことにしよう。

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蜻蛉日記 ある女の一生 @masayo-i

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