天井の低い部屋

鍍金 紫陽花(めっき あじさい)

第1話

 あっ、私は思わず声を上げた。

 お菓子コーナーの商品棚に志水清高(しみず きよたか)が居る。彼は手のひらに隠れるほどの駄菓子をポケットに入れた。

 志水が私の視線を察したので、コンビニを出ることにした。先程まで持っていた冷凍食品のせいで、手の内側が濡れている。

 清水清隆は、なるべく私は関わらないようにしていた。理由は、彼の親が経営する会社に、私の父が勤めているからだ。

 志水家は、私の住む町に大きな工場を建てていた。他県にも支部があり、規模の大きな会社を経営している。

 経営が上手くいってないのかと考えようとして、私は頭を横に振った。余計な詮索は身を滅ぼすだけだ。私は普段通り自分だけに集中して、帰り道を急ぐ。

 だが、この盗難を機に彼と仲良くしてしまう。



 次の日、彼は休み時間に現れた。私と一緒に昼ご飯を取るつもりだ。断りたくても、彼は私の意思を尊重していない様子だった。

 この仕草はよく見たことがある。心のなかで私を下に見ている人だ。


「そういえば、木村は冷凍食品を買わなかったよな」


 彼は、携帯を弄りながら質問した。私がコンビニにいたことを覚えている。冷凍食品を手にしていたことも。


「もともと買うつもりなかった」

「だったら、なんで手に取ったの?」


 彼の目が再び交差した。黒い瞳のなかに、わたしの戸惑った顔つきが見える。


「えっと、コンビニで漫画雑誌を読むのが好きなんだ」

「アプリで読めば良くない?」

「海上自衛隊は金曜にカレーを食べる話って知ってる?」


 彼はかぶりを振る。続きを促すように手を前に出した。スマホの表示画面をオフにしているのが、伏せていくさなかに確認する。


「長い海上勤務は曜日の感覚をなくしてしまうわけ。だって、同じ景色と休みが均等にないからね。だから、それを防ぐためにカレーを出してる」

「それが、どうして冷凍食品につながるんだ?」

「漫画雑誌をコンビニで読むことが好きなんだ。その後に新発売のスイーツを購入する。別に甘い食べ物は好きじゃないが、居させてくれたお代を払ってるつもりなんだよ」

「ずいぶん勝手な言い分だ。それで?」

「だけど、あのコンビニは漫画雑誌を紐で括るようになったんだ」

「まあ、そりゃそうだ。ただ雑誌が汚れるし」

「その腹いせ」

「は?」

「コンビニを一周して、冷凍食品を手にして戻す。そういうこと」


 彼は話を聞き終えて1秒固まった。その後、破顔する。スマホが指にあたって、机から落としそうになり、私は慌てて支えた。

 彼は気にせずに肩を揺する。周りが怪訝な顔しても、配慮するつもりがない。クラスにまで、志水の栄光が行き届いている。


「くだらねーな。それっ」


 私のささやかな復讐のひとつ。人に聞かせることのない話題。それを明かすのは、心の鍵を開けるようなものかもしれない。笑える話だって、他人の反応を通さなきゃ理解できなかった。わかっていても、小さな人間だって思い出させてくれる。


「はいはい。くだらない人間だよ」

「そんな卑屈になるな。人に聞かせるものじゃないが、俺はそんな人の小さな部分は好きだ」

「ははっ、そうかよ」

「おいおい。別に笑うことは否定されることじゃないだろ。逆に、俺はコンビニの立場になって怒ればよかったか?」

「志水に、そんな偽善は持ってないと思ってたけど」

「当たってるよ」


 満足したように頷く。そうして、彼は話を膨らませていた。


「俺の生活は誰かの犠牲で成り立っている。なのに、誰も意識せず正しい人間だと思っている。偽善なんて馬鹿らしい。君だって、駄菓子の盗難を見逃しただろう」


 驚いて声を潜ませた。


「それ言っていいのか」

「別に。お前もわかってるだろう。俺が傲慢でも許されている理由があるからな」

「うん」


 彼はスマホをポケットに入れ、背もたれに体を預け、足を机に乗せる。その態度は、誰も自身を咎めることがないというプライドの表れだった。


「俺は自分がクズだとわかっていたい」


 その言葉に何を返したらいいのかわからなかった。その態度から、嫌な人間だと見ればわかるのに、言葉がとても寂しそうだ。もしかしたら、彼は初見よりも嫌な人間じゃなく、自分の弱さを守ろうとしているのかもしれないと感じた。そう詮索すると、身近な人間に思える。

 そうすると、彼はスマホを起動し、何か確認し、私に問いかけた。


「俺は漫画を雑誌で読むんだ。家に今週分をおいている。木村も読みにこいよ」



 放課後、私は彼の家に招かれた。庭付きの2階建て木造住宅で、車が二台止まっている。今のご時世では高い買い物だが、想像と違う。会社を経営していたら、豪邸を建てるものだと思っていた。


「本当に来てよかったのか」

「今さら言うな。俺は誰でも家に呼ばない」


 人に褒められたことなかったから、認められた気がして頬が緩んだ。

 玄関を進み、靴を脱ぐ。隣に階段があり、2階が彼の家らしい。私は靴下で廊下を歩くとき、奇妙な扉を発見する。それは階段下に設置され、扉が2つに切断されていた。ドアノブから上がなく、中身は暗闇で玄関からは把握できない。

 その扉から声がした。


「わん!」

「え、犬?」

「また入ってるのかよ。待ってて」


 彼はその扉に接近し、扉を開封する。すると、彼の足をすり抜ける黒い毛玉がいた。目を凝らすと、黒い柴犬だ。


「父親がもらってきたんだ。ほんと、世話の焼けるペットだよ」


 あの部屋はペットの部屋だろうか。私は思考を切り上げ2階に上がる。階段を過ぎていくと、小さな子供が扉からでてきた


「こんにちは。弟?」

「えっと、ごめんなさい」


 弟は、私を見かけるとおどおどして、自室にこもる。どうして怯えているのか見当がつかない。そうしているうちに、背後から清高が飲み物を片手に来た。

 彼が先導して、部屋に案内される。彼は漫画雑誌と飲み物を手渡し、部屋から出ていく。扉を閉める彼の顔はやけに強ばっていた。

 扉近くの壁に背をつけ漫画を開く。すると、落下音がして、飛び上がった。ボウリングの球を床に落としたような鈍い音が床からつたわる。私は、漫画と飲み物をおいて、部屋から出ようとした。


「大丈夫だから〜!」


 私の動きを察知したように、扉越しから叫び声がした。清高だった。

 触れるのが怖くて、私は元の位置に戻ろうとする。すると、耳にすすり泣く声がした。よく凝らして聴くと、どうやら2階の廊下から聞こえている。


「志水?」


 返事がない。私は鈍い音が、頭に張り付いてとれなかった。

 トイレを借りる言い訳を使って外に出よう。そう思いドアノブに手をかけた。


「ごめん!」


 志水清高が部屋に戻ってきた。肩で息をしていて、髪が乱れている。


「わっ」

「あ、どうした?」

「い、いや」


 2人で部屋に戻り、漫画雑誌を手にした。

 私が追っかけている週刊連載が頭に入ってこない。どうしても奇妙な違和感が居心地の悪さに繋がっていた。そんな挙動不審さに、清高から見抜かれる。


「何か駄目だったか」


 彼も手に漫画を持っていた。それを床に置き、接近する。


「さっき、何か音したけど」

「弟が犬を落としたんだよ」

「え? それ大丈夫なの」

「いいのいいの」


 よく見ると、彼の右手の甲が赤くなっていた。皮膚がめくれて、赤い新皮が出ている。視線に気がついて、そっと手を隠す。


「いま、叱ってきたから」

「まさか殴ったのか?」

「なわけねえだろ。アッハッハ」


 学校の時より、表情が変動しやすい。彼は自分の家だから気が抜けている。


「わかったわかった。犬を落としたのは嘘だ。ちゃんと言うのだるくてごまかした」

「変な嘘つくなよ」

「えっと、弟が面倒を見るから犬を飼いたいって父親に言ってきたんだよ」

「うん」

「だけど、さっきに犬を入れちゃいけない部屋に放置していた。あそこはクーラーがないから、熱中症になっていたかもしれない。危険だろ? それなのに、放置したから怒った」

「あの部屋は、何?」

「折檻部屋」

「へ?」

「アハははは」


 私も同じように冗談に笑った。彼もそんなこと言うのかと驚きがある。


「くる?」

「え、来るって?」

「折檻してるところ」


 彼は私の同意を取らなかった。すでに立ち上がって、扉を開ける。私が立ち上がるまで動こうとしなかった。その圧に、腰を浮かせてしまう。2人で階段を下りていく。一歩ずつ降りるたび、ミシッと鳴る。


「階段下の部屋は、天井を低く作っている。成長期前の子供が、首を曲げて入れる程度の大きさ。扉は半分空いていて、いつも監視できるようにしている。反省するまで入れていくんだ。あ、そうそう。その時の顔が受けるんだよ」


 彼は折りながらスマホを操作した。カメラロールを起動し、私に見せた。そこには、首を曲げて体操座りする男の子がいる。彼が指をスワイプするたびに、顔が徐々に泣いていく。

 階段を降りたち、部屋の前に立つ。


 その子は天井の低い壁に押し込められていた。言うなら、無理やりタンスの中へ布団を押し込んだような。手足が甲虫の幼虫みたいに家へ折りたたまれている。先ほどの写真と違って、諦めたような顔をしていた。もうすでに涙が枯れたようだった。

 隣でシャッターを切る音がした。


「反省してんのかァー?」


 彼の横顔は悪意に満ちていた。歯をむき出しにして、目を細めている。何かを差別している顔だ。


「はい。ごめんなさい」

「わかってねえだろお前!! 反省してるなら泣けよ!!」


 壁を蹴って、弟が萎縮する。私はあわてて彼の手首をつかむ。


「ちょっと、これはだめだろ」

「は? なんで」

「虐待だろ」

「だったら、犬が死んでよかったのか?」

「何騒いているの?」


 玄関から反対の扉から、女性が顔を出した。彼女の手には、犬が捕まっている。彼女は、私の顔を見て友だちだと認識し、母親と名乗る。そのまま歩いてきて、私の隣に来た。


「これ、いつもしてるんですか?」


 私はつい質問してしまった。なぜか、他人事と思えなくて怒りが先行している。


「……」


 彼女は私の顔をしばし見たあと、犬を扉の上から投げ入れた。放り出された犬は、弟をクッションにして叫んだ。とても興奮していて、弟の細い腕に噛みつく。


「おい!」

「木村。やめろよそれ」

「は?」


 犬の噛みつく音に人の声がかき消されて、囁きが入ってこない。


「偽善ぶるなよ」


 彼はスマホを手渡してきた。画面にはカメラアプリが起動している。


「撮れよ」

「い、いや」

「お前、俺をチクらなかったのは保身だろ。ここで従わなくていいのか? 父親はどうなる?」

「……」


 私の父親に影響がない。とてもそう思えなかった。父親は工場で傷を作ってくることがある。何を作っているのかを教えてくれないが、背中に土埃つけてくることもあった。実際、父親と話す機会も少ない。

 手を伸ばし、カメラを構え、扉に向ける。

 弟の冷めた目を切るように、カメラのシャッターを焚く。

 写真を確認せず、彼に押し付け、家に帰ろうとした。廊下に髪の毛が落ちている。



 家につき、リビングに入った。母親が、私の帰宅に挨拶する。


「志水さん家。どうだった? ちゃんといい子にした?」


 私は家で見たことを洗いざらい話した。母親は私に対して真剣な顔つきを向ける。話し終えると、母親はため息を吐く。


「見間違いじゃないの」

「……」

「あなた前から嘘つくもんね」


 私は母親に謝り、自室にこもった。あれから志水と交流していない。親とも話す機会が減った。

 大学合格を機に上京し、卒業後も同じ地域に住み続け、働いた。噂では、志水清高は子供にまつわる国の仕事に就いたらしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

天井の低い部屋 鍍金 紫陽花(めっき あじさい) @kirokuyou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ