第3話 突然の迎え
次いでポラリスは、神殿に行けば逃れられない『婚約者』のことを考える。
聖女・聖者に付く守護騎士は、その婚約者も
基本神殿内部で一日のほとんどを過ごす聖女・聖者に、
かといって引退するまで未婚を強いるというわけにもいかないようで、
すごぶる治安の良いエテルノ王国だ。
必然的に距離の近い主従関係となるため、なら結婚させてしまえば良いということなのかもしれない。
合理的というか、実にシステマチックなのだなとポラリスは思う。良くも悪くも。そのほうがやっていきやすいのだろうけど。
「私に結婚なんて、できるのでしょうか」
神殿に行ってすぐ結婚というわけでは無いだろうけど、どのみち守護騎士とは親密なコミュニケーションが欲求される関係になる。家で学校でまともに人間扱いされないポラリスが、上手くやれると思えない。
他者を見れば自分は嫌われてると思うし、話す声がすればそうでなくても悪口を言われているのでは、と身構える。
人間不信と言い切ってしまって良いだろう。
ポラリスは常時真っ黒に焦げた不味い焼き菓子を、口の中一杯に押し込まれ続けているような
――甘いものなんて何年も食べていませんけどね。
学校では友人同士でお菓子を持ち寄り分けっこする場をよく見かけた。
ポラリスの口にできるものはほとんどまともには残らない家族の食べ残しと、朝食用の小さく固いパンのみ。学校では何も食べない。あ、水は飲めるか。
少ない人口からAI技術の取り入れがいち早いエテルノ王国。
クライノート家ではセキュリティ関連のほとんどをAIで自動化しているが、家事に関しては例外だ。
どういうわけか『使用人』であるポラリスがすることになっていた。
できる限り『伝統的』な方法でやれと命じられて、掃除は
洗濯はさすがに洗濯機を使用するが、乾燥させて丁寧に畳むのはすべてポラリスの手でやるべきこととなっていた。
食事に関してはイヴォンが注文したお高そうなオーガニック食材を、イヴォン好みの味にポラリスが調理している。
もっとも
それでも今日もしばらくしたら、母のために料理を作る。
物置部屋だった場所に簡素なベッドとお古の学習机、
こんなよく考えなくても人として
だってリヒトでない相手となら、正直どうなっても良い気はする。
そんな心でいたら、神殿をたたき出されてしまうかもしれないけど。
本当に。
本当に。
でも、それでも。聖女になるからには精一杯頑張ると決めている。聖女は民を癒やす、人のためになる立場だ。
――こんな私でも、力になれるのなら。
今までだってこんなだったのだ。この手で誰かに役立てるなら、そのほうがずっと良いだろう。
と。部屋の戸がノックも無しにがらりと開く。一目で名の知れたブランドものと分かるドレス、バッチリ決めた濃いメイク。
母であることを捨てたイヴォン・クライノートが、妙に上機嫌に笑っていた。いつも
「ポラリス、今日からもう夕食作らないで良いわよ。その代わり、良いと言うまで部屋から出ないでね。学校にも行っちゃ駄目よ。それと音は立てないことね」
砂糖を入れすぎた
こんなことを言われるのは初めてだったこともあり、ポラリスは絶句した。
「……はい」
しかし自分に反論する権利など無い。下手なことをしてまた殴られたら大変だ。
もしかしたら骨が折れてしまうかもしれないし、そうなっても病院に行くことはできないだろう。
三月の終わり頃に神殿から迎えが来ると聞いている。その時にはおそらく出してもらえるだろうから、しばらく家事を休めるとでも思えば良い。
そうしてすぐにポラリスは部屋に閉じ込められた。
外側から
明日の朝のパンがどうなるのかだけ気になったが、すぐにまたどうでもよくなった。
――どうだっていい。
もう充分すぎるほど耐えきった。
――いっそ死ねれば、解放される。
きっと最初から最後まで不幸で在り続ける運命の命だったのだ。
――どうだって、どうだって、どうだって、
ふと脳裏にリヒトの優しい微笑みが浮かんで、ポラリスは床に倒れ込んでそのまま眠った。
どのくらい時間が経過したのだろう。ポラリスが目を覚ましたのは。
「彼女はどこですか、クライノートご夫妻?」
キレのある、知らない女性のハスキーボイスが凜と響く。
かつかつとヒールの音をわざと鳴らして、声の主含めた数人分の足音が聞こえた。
どこか焦った様子の両親の声が
「クレアシオン神殿の皆様……。今日でなくともよろしいのでは?」
「そうです。ポラリスは緊張しすぎて出られないでいるのですわ。また後日改めて……」
「いえ、お迎えに上がった以上は本日神殿のほうにお連れします」
神殿からの迎えだった。
「神殿長、おそらく彼女はここです」
今度は若々しくも落ち着きある青年の声がする。
「分かるのか?」女性がどこか面白そうに問う。
「守護騎士になる俺には分かります」
きっぱり言い切る青年の声を聞いて、ポラリスは息を呑んだ。
守護騎士が、婚約者となる人物がすぐそこまで来ている。
「ちょっと待ってくださいな。そこは物置き部屋ですよ」
あくまで平静を装うイヴォンを綺麗に無視して、ポラリスのいる部屋の扉が数回ノックされた。
「ポラリス様」
青年の呼ぶ声に、ポラリスはどうしようか迷う。
どうやらこの青年たちはポラリスを助けようとしているように、思えた。
なら応じたほうが良いのではないか。だがここには両親もいる。
言いつけを破って声を出せば、他人がいても
――
――
「リ、リヒトさんっ! リヒトさあんっ!」
感情が洪水を起こして、ポラリスは悲鳴のように愛しい人の名を叫んでしまった。
守護騎士のとなる青年には悪かったが、せめて呼ぶなら彼が良かった。彼で良かった。
途端、青年の声が裏返った。
「どうして鍵のかかった部屋の中に彼女がいるんだっ! すぐに開けろ!」
「し、しかしっ……」
「――開けられないとおっしゃるのなら、俺が扉をたたき壊しますが」
「そ、それは止めていただけるかっ?」
「そうよ、何よあんた! 神殿の騎士だからって
「人を閉じ込めておいて、今更何をのたまうつもりですか?」
扉を開くかどうかの攻防の末、女性の一言で全員が鎮まった。
「大丈夫ですよクライノートご夫妻。ご長男から
「神殿長、なら早く言ってくださいよ」
言葉を失ったらしいイヴォンとベネデッドを差し置いて、かちゃかちゃと控えめな音を立てて鍵が開いた。
がら、と引き戸が開かれて、暗闇に慣れたポラリスは突然の外の
一人の青年が立っていた。
鍛えられた体を濃紺に
海とも空とも異なる色彩の青い瞳がポラリスを見つける。
ベリーショートに整えた黒髪をくしゃりと掻きむしると、彼は真っ直ぐに横たわるポラリスの傍らに
その顔は
――あれ、この方……。
ぽろぽろぽろ。
ポラリスの両目から涙の粒がいくつもいくつも零れた。痛みや悲しみでない。安堵から出てくる涙だった。
ややあって。青年が口を開く。とんでもなく顔色が悪く、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「ポラリス様……お迎えに上がりました……。助けるのが遅くなり申し訳ございません、俺のことを覚えていてくださったんですね……?」
自分に向けられた声で、その悲哀に
彼だ、と。
「嗚呼……リヒトさん、あなたなのですか……。私のもとに来てくださったのですね……」
「はい。クレアシオン神殿所属の神殿騎士にしてあなたの守護騎士となります、リヒト・アンブロワーズと申します。もう大丈夫ですよポラリス様、俺が……いますから」
最果て聖女と初恋の守護騎士 七草かなえ @nanakusakanae
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