今生での縁

 エトが目にした風龍大社の本殿は酷い有様であった。地面にはまるで巨大な物体を叩きつけたかのような亀裂が残っており、仙人像は本殿と共に粉々になっている。


「昨晩に轟音と地響きが聞こえたかと思えば、駆け付けた時にはご覧の有様で」


 神主の息子であるリュウリは憔悴した様子で語る。出会い頭に土下座しようとしたエトを凄まじい剣幕で止めた時とは別人のような弱弱しさであった。


「家屋はともかく結界ごと砕くとか相当だぞ。結構、頑丈に創ったんだが」

「それはお兄様が昔創ったというお話で?」

「なんだよ昔って。この前の話だ」

『社と山を覆う大結界は過去のあるじが前々世の妾を核に仕掛けたものであったはず。そうでなければ妾が従う道理もないからのう』

『えぇ、なんでこんな面倒な結界を?』

『それは勿論、力を抑えて人化した妾と交』

『あー、分かったからもういい』


 実際は各地で暴れ回ったフウに対するお仕置き的な側面もあったのだが、そんなことは二人の記憶に残っていなかった。


「本当にお兄様が犯人ではないのですよね?」


 脳内会話で目まぐるしく表情を変えるエトの姿は怪しい。疑いの目を向けられるのも無理のないことであった。


「外側の大結界がまだ残ってる以上、俺が犯人だったら境内に入った時点で鐘が鳴るか、結界が反応して弱体化してるはずだし。昨晩に鐘の音はしなかったんですよね?」

「は、はい、その通りです」


 エトの言葉にリュウリは恐縮した様子で何度も頷いた。


「成程。つまり、お兄様には事件当時現場にいなかった証明があるというわけですね」

『でも主様が張り直した本殿の結界はともかく、大結界はフウさんの心臓を取り出してから大分緩んだみたいなので、入口から入らなくても特に影響はありませんでしたよ?』

『ネネちゃん? せっかくママが黙っていたのに、どうして旦那様が気に病むようなことを言ったの?』

『あっ』


 十二支の中でも結界の扱いに長ける日天子ネネがアリバイの不成立を指摘し、結界に関して彼女と双璧をなす月天午ママはそれを咎めた。


『マジで? それで侵入を許したなら俺が原因みたいなもんじゃん』

『そうかな? マスターが回収してなかったらいつか盗られてただろうし、結果的にファインプレーでしょ』

『うーん、そうか? うん、そうかも』


 エトが梵天亥ボンに言い含められていると、リュウリがおずおずと話を切り出した。


「あの、仮に本殿とご神体を破壊した存在がエト様であった場合、我々はそれを粛々と受け入れる所存です。それから、どうか我々に対して敬語など使わないで下さい」


 リュウリはもう限界といった様子でエトに頭を下げる。むしろ頭を下げるべき立場のエトは困惑した。


「えっ、何でです?」

「あっ、また……いえ、それが、落ち着かないといいますか。まるで仙人様と風龍様が目の前にいるのに不敬を働いているかのようで、畏れ多くて堪らないのです」


 先祖代々風龍大社の神主を務めてきた一族の血に刻まれた記憶がリュウリの第六感を刺激し、警鐘を鳴らすのだ。下手なことをすれば自分が死ぬだけでは済まないと。


「なんじゃそりゃ」


 とはいえ、今のエトは人らしい生き方を学び、フウも無礼を咎めるほど人に意識を向けなくなったので、よほど敵対的な態度をとらない限り杞憂である。良くも悪くも昔とは時代と価値観が違うのだ。


「なんとなくその気持ちは分かります。私もお兄様に他人行儀な言い方をされてしまえば泣いてしまいそうです」

「えぇ、俺がおかしいのか?」


 エトと関わりのある先祖の記憶と意思を覚醒させ受け継いだナナヨもリュウリに理解を示し、エトは困惑を深めた。


「まぁ、気楽だからいいけど」

「ありがとうございます」


 礼を言われるようなことじゃないとエトは思ったが、話が進まなそうなのでスルーすることにした。


「それで誰か怪しい奴とかは?」

「連日多くの方が訪れるので。それと大結界に反応はありませんでした。ただ……」


 リュウリは躊躇うように一度口を噤み、エトに目を向ける。


「ただ?」


 未だフウと簡易融合状態で龍のようになったエトの瞳孔に見返されて問われると、リュウリは迷いを見せながらも口を開いた。


「エト様が此処を訪れた日、神主である父は言いました。今年の送龍儀式にエト様を招き、その務めを私に一任すると。その翌日、風龍大社の守護を担う最高位の武僧四人を引き連れ、行先も告げずに出かけていきました。それ以来行方知れずとなってしまったのです」


 神主ってあの号泣してた人かとエトは思い出す。滅茶苦茶拝んできたので忘れたくとも忘れられないインパクトがあった。


「行方不明となると、またレジスタンスの仕業でしょうか? お父様から壊滅させたと聞きましたが」

「国軍の方からもその可能性を指摘されました。ですが、最高位の武僧ともなるとこの国でも指折りの召喚士であり、父もまたそれに劣らぬ召喚士の一人。それだけの戦力がまだレジスタンスに残っているかと思うと疑問が残ります。先の建国祭で出し惜しみをする余裕があったとは思えないので」


 エトは成程と思った。

 ムラクモとヒノヤビも参加したらしい壊滅作戦。あの二人から逃げ切れるだけの戦力があったのであればもっと大変なことになっていただろうと。

 もっとも、エトが目の当たりにしていないシイの力を前にしては誤差でしかなかったかもしれないが。


「そうなると、レジスタンスとは別の脅威に対抗するためいなくなったって所か? この痕跡を見るにそれこそ龍が相手だったりしてな。門を通ったなら鐘が鳴るはずだけど、ご神体の中身がなくなったせいで大結界が緩んでるみたいだし、結界をすり抜けて入って来たとか?」


「「……」」


 二人は黙ってしまった。


「おいおい、ほとんど冗談のつもりだったんだが」

「お兄様を見ていると、なんだかあり得そうだなと思ってしまいまして」

「何でだよ」

「大結界が緩んでいたとは……全く気付くことが出来ず面目ありません」

「俺も気付いたのは今日だし、そもそもこの前何も言わずに立ち去ったのが悪かったわけで」

「いいえ、先日の対応に関しましては父の様子も酷いものでしたので」


 確かにあれはびっくりしたとエトは思い返す。それでも逃げたことには変わりないが。


「取り敢えず結界のこともあるし、ご神体だけでも直しておくか? まだ調査とかがあるっていうなら待つけども」

「直して頂けるというのであれば否はありません。ですが、ご神体に封じられていた物を戻そうというのであれば承服出来かねます。在るべき所に戻った物を再び取り出す必要はございません」

「さすがに心臓は出さねえけど、角ぐらいならすぐに生えてくるし」

『いいよな?』

『うーむ。気は進まぬが、あるじの望みとあればよかろう』

『先に言っとくけど爆発させるなよ?』


 エトは二人に近づかないよう言い含めて宙に飛び上がる。


『融合召喚 風天辰』


 角だけでなく尻尾まで生やしたエトは片方の角を掴んで根本からへし折った。次の瞬間、周辺の大気が収縮して強風が吹き荒れ、吸い寄せられた全てがエトに吸収されて新たな角が生えてくる。

 そして、地上に降りたエトはその手に持った古い角を核として、仙人像の残骸を集め再構成した。


『大結界の様子はどうだ?』

『多少はましになりました! 心臓があった時を十割として、大体三割程度だったのが五割くらいに回復しています』

『やっぱ元通りとはいかないか。後は手作業だな』

『ママの出番ですね~』

『私もお手伝いします!』


『二支対衝 光闇』


 白と黒。二つの宝玉が螺旋を描きながら上昇し、その軌跡が太極図を成す。それは回転しながら範囲を拡大していき、風龍大社がある山全域の空を覆い尽くした所で溶けるように消え去った。


『これで七割までは回復しましたよ~』

「まぁ、そんなもんだろ」


 そう言って獣化を解いたエトを二人は拍手と共に出迎えた。リュウリに至っては先日の父親のように感動の涙を流しており、血の繋がりを感じさせる。


「凄いですお兄様! 惚れ直しました! 何がどうなっているのかまるで分かりませんでしたけど!」

「分からんのにそこまで褒めるなよ」


 そう言いつつも悪い気のしないエトは照れていた。


「なんにせよこれで犯人がまた来てもすぐに分か……ん?」


 エトが気付いたと同時にリュウリも気付く。


「大結界に反応がありました! 犯人はまだ結界内にいます!」

「えぇ!?」


 突然の事態にナナヨは驚きの声を上げた。


「ま、まさか。やっぱりお兄様が犯人?」

「何でだよ!? まだ疑ってたのか?」

『設定を間違えたのではないか? 何故か元から妾の行動を制限するように定められておったし』

『えっ? じゃあ、本当に俺らに反応してるのか? それにしちゃこの前は無反応だったし。いや、そういえば心臓を回収するまではルールに従ってはいたか』

『あら? どうもそういうわけではないみたいですね~』

「犯人は今此処に向かっているようです!」


 リュウリは銀色に輝く鯉のような召喚獣を召喚して身構える。そんな彼に合わせてエトとナナヨも再び獣化した。


「誰がやったかと思えばお前だったか。やはり興味深い」


 そうして現れたのは気怠そうに歩く白衣の男であった。


「犯人は現場に戻って来るなんて言いますけど、あなたもそうなのですか?」

「犯人? 結界が緩んだから入ってみただけで私自身はまだ何もしていないが? ついでに言えばちゃんと門から入ってきている」

「嘘を吐くな! ならば何故結界が反応している!」

「ほう? 一体何に反応しているのやら。少なくとも人道を外れているのは確かだが」


 そう言って男は小さく自嘲めいた笑い声を漏らす。


「なあ、あんた。どっかで会ったか?」


 顔や出で立ちに覚えはない。だが、その悪寒が走るような気配には覚えがあった。


「ん? 覚えていないのか? いや、直接会って話したわけでもなかったな」

『あっ! お、思い出しました。狼男さんを治した時に森の中にいた気配と同じ人です』


 花天卯ハナの声でエトは当時の記憶を掘り返す。


『えーと、たしかヤツフサさんを獣化して、ナルカミとサイバネが消し飛ばしたはずの術者だっけ?』

『術者というのも推定ですがおそらく』

「死んでなかったってわけか」

「転移して逃げただけだが、成程、そう思われるのも無理はないな」


 しらばっくれることもなく、男はエトの疑惑を肯定して補足する。


「何のつもりだ?」

「元々お前とは直接会って話をしたかったものでね」


 男が歩みを進めれば、リュウリはその身を震わせながらもエトを庇うように前へ出ようとする。エトはそれを手で制し、不安そうなナナヨを安心させるように肩に手を置いてから男に近づいた。


「少し場所を変えるとしよう。此処は体が重くてかなわん」

『主様! 転移です!』


 男の足元に浮かび上がる魔法陣をエトは踏み砕かんとする。


「いいのか? この場で事を構えるのはお前にとっても不都合だと思うが」


 男は後ろの二人を見据えて言った。


「じゃあ、お前が付いてこい」


 エトが踏みしめた魔法陣の一部が吸収されて書き換わり、その場から二人の姿が消える。

 後に残されたナナヨとリュウリが戸惑う中、山を揺らすような咆哮が辺りに響き渡った。

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十二支史 佐藤 白 @gurasan1119

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