第60話
金髪に紫の瞳、彫刻のように整った美しい顔に優しい微笑み。
まさに絵から抜け出したような王子様であったレオニードは、街の娘たちの憧れの的である。
彼にはまだ子供がおらず、そのうち側室や愛人を作るだろうと娘たちは期待しているものの、あの苛烈な性格の正妻と姑にいびられることを想像すると、とてもではないが進んで手を挙げることはできない。
でもまあ、街を視察なさっている姿を遠目に見て嬌声をあげるくらいは許される。
そんな見目麗しい領主様のすぐそばに、最近黒い男が控えるようになった。
身にまとう黒服は、魔術師の制服であるフォルマであるから、ヴィッテではさほど珍しいものではない。
珍しいのは、夜を封じ込めたような漆黒の髪と目の色である。
痩せているせいかどこか尖った印象を与える青年は、実のところそれなりに街で名前を知られた存在である――ということを、本人だけがあまり知らないでいる。
グラシムが思っている以上に、真っ黒な見た目というのは人目を引く。
レオニードは手が届かない高根の花だけれど、あっちの微妙な顔立ちの陰気な青年ならば、頑張れば落とせるかもしれない。
ハンサムな王子様を見つめる目の中に、時折そんな邪な視線が混じりこんでいることなど、当の本人たちは気づきもしないのだった。
閑話休題。
グラシムがレオニードの側近に加わるのと同時期に、彼の身の回りの世話をする侍従の入れ替わりがあった。
以前から仕えていてくれた青年は、実家の老いた両親の体調不良を理由に城仕えを辞し、ヴィッテ城から遠く離れた村へと帰っていった。
新たに側に仕えることになったのは、40代半ばほどのヴァディム・ユリスという男である。
ユリス家は領地を持たない男爵の家柄であり、現当主のヴァディムのみならず代々ヴィッテ城に官吏として仕えているのだという。
そんなことよりも重要なのは、ヴァディムの妻があの侍女――エフィムが長らくそばに置いている女であるという情報のほうだ。
「あの侍従はまず間違いなく、あんたの義父の手駒だろうな」
城の敷地内にある訓練場に向かう途中、珍しく1人きりになったレオニードに、どこからともなく現れたグラシムがかすれた声で話しかけてきた。
彼の姿が視界に入ると同時に、瞳に膜を張られる感覚があった。
先日もかけられた、“知恵の樹”と視界を共有させないための魔術だろう。
こんなに頻繁にかけて大丈夫なのかと少々心配になるが、グラシム曰く、「多少不信感を抱かせた方が、向こうから接触してくるかもしれない」ということで、何も考えていないわけではなかったようだ。
例の侍従は何かトラブルがあったのか、すぐに戻るのでと言い置いてどこかに消えてしまっている。
それでも周りに人の気配のないことを確かめてから、レオニードも慎重に口を開いた。
「こんなにわかりやすいことをしてくる人とは思えないが」
「わかりやすい牽制が役に立つこともある。実際、あんたも俺も行動を制限されて内緒話をするにも苦労してるじゃないか……ここまでいがみ合ってきた俺を側近に迎えるとあんたが言い、俺が一応程度は渋りながらも受け入れたんだ。何かあったと勘づかないほうがおかしい」
ヴァディムはエフィムの若い頃から仕えている古参であり、まだ若い領主をそばで支えられる力量がある人物という触れ込みで、レオニードのもとへ送り込まれてきた。
ただ、彼とてユリス家当主として男爵の爵位を持っている。
経歴や立場を踏まえれば執事にでもなるべき男なのだが、執事は先代からそのまま引き継いだ者が頑張っているし、執事よりも身近で監視できる立場――ということで、相談役兼侍従という役におさまったのだろう。
事実、ヴァディムはいつトイレに行っているんだと言いたくなるくらい常にレオニードに張り付いている。
「ま、これも想定内だ。あんたはあいつの目を引き付けとけばいい。くれぐれも怪しまれるなよ」
「グラシムと内緒話とやらをしたくなったらどうするんだ?」
「頭を使えよ、賢者殿……まあそんな些細なことより、あんたはエフィムに怪しまれないように振舞っておけ。多分、それが一番難しいことだと思う」
「……以前から思っていたのだが、グラシム、きみは義父上の息子だろう? 少なくとも彼には、きみに対する愛を感じた。何故彼をそこまで危険視している?」
訊ねられたグラシムは、少しだけ驚いたような目をしてから、皮肉っぽく薄い唇をゆがめてみせた。
「俺がエフィムの支援を受けてエリスの首を取り返した暁には、俺にあんたを差し出す……だからまだ殺すなと――あいつは5年前、確かにそう言ったんだぜ」
わずかに、体温が下がったような気がした。
「単なる息子のご機嫌取りだったらいいんだがな」
「……確かに、私の死が目的ならば、アレクサンドル兄上が私を殺そうとするのを、防ぐ必要はないものな?」
「ああ、素直に考えれば、“知恵の樹”を見つけるっていう俺の目的が果たされるより前にあんたが殺されると俺が困るからだと思う。麗しい親心ってやつだな。まあ、それ以外にも狙いがあるのかもしれんが、判断材料が少なすぎる――お目付け役が戻ってきたな」
グラシムがつぶやき、次の瞬間にはもう姿を消しており、瞳の膜も綺麗になくなっている。
あれもこれも古代魔術なのだろうが、さっぱり原理がわからない。
ややあって、本館のほうからヴァディムが息を切らせながら走ってきた。
(後ろに目でもついてるのかな、グラシムは)
静かに深呼吸して振り向いたときには、レオニードはすっかりいつも通りの穏やかな笑顔を浮かべることができた。
************
「……で、ユリス卿を俺の監視につけた意味は?」
薄暗い書庫――資料室のさらに奥に隠された部屋で、オブラートに包むことなく問いを投げかけてやると、エフィムは困ったように苦笑してみせた。
「別に、そういういうことでもないのだがね」
「俺が短慮を起こしてあいつを殺さないか心配でもしてるのか?」
「それは、多少、ね」
グラシムは冷淡な目で父を眺める。
エフィムがグラシムに語った彼の生い立ちは、決してすべてが嘘というわけでもあるまいが――どうにも違和感を拭えない。
根拠はないのだが、この男はきっと一番大事な根っこのところで嘘をついている。
この男と血のつながりがあるのは、恐らく真実。だが、それ以外は?
「あの馬鹿は、自分に対するお目付け役だと思ってるよ」
「きみがそう思わせたのでは?」
「誰だってそう考えるさ」
「まあ、そうだろう……きみの本音が見えないと思ってね。レオと、なにを企んでいる?」
「企む? 俺が、あいつと? とんでもねえな」
グラシムは眉を左だけ跳ねさせてみせた。
嘘つきの子供は、きっと嘘つきに育つに違いない。
「あんたがいつあいつを殺していいと言ってくれるか、毎日待ちかねてるよ。本心ではね」
「だが、今殺してしまえばエリス殿の首が見つからなくなるぞ」
「そういう気持ちだって言いたいだけさ。それがわからないなら5年前とうに殺してる」
「きみのそういう冷静なところを好ましく思うよ、グラシム……」
エフィムは逆光の中、はっきりと苦笑したようだった。
「私がヴァディムをレオの側近につけたのは、きみが心配だったからだ」
「俺が?」
「ああ。レオは今回の件とにかく強引だったし、オデッサ公の口添えもあれば拒むこともできなかった……わかるだろう? 怨敵のそばにずっといるということは、心をすり減らす……きみにそんな思いをさせたくない。ヴァディムには、きみとレオの緩衝材になるように頼んでいる。私にあるのはそういう親心だけだよ」
「…………まるであんたにそういう経験があるみたいに言うじゃないか」
少し、男の顔色が変わったかもしれない。
「…………ある、よ。だから私の心はもう擦り切れていて、残ったのはきみだけだ」
「そうかい……」
グラシムは記憶を探り、思考を巡らす。
いつも穏やかな物腰のエフィムが心の底で憎む相手。そばにいる存在。
彼の妻ではないかとなんとなく思いついたが、単にあの女が苛烈な性格であるというだけで、そこまで憎悪の対象になるとは考えづらい、か。
「……“知恵の樹”のいそうな場所にあたりはついたか?」
「いくつかは調べがついた」
「いくつかはだめだったってことね」
エフィムはグラシムの背後に手を伸ばし、棚から取り出した大陸地図をテーブルの上に無造作に広げる。
20近い地名に丸がつけられ、そのうちの7割程度には×も重ねられていた。
「聖地にいるという推測は間違いないと思っているか?」
「間違いがないとは言い切れないが、可能性は高いと思っている……“樹”の性質を考えれば、ね」
グラシムは地図をじっと見つめ、地名を頭に叩き込む。
記憶力の良さは折り紙付きだ。
「王都の中央教会も該当するのか。ヴィッテに近いのにまだ調べていない理由は?」
「中央教会の権力が強すぎる。部下を派遣するから調べさせてくださいでは通らない場所だ。王都とヴィッテとの関係がよくないせいもあり、どうしたものかと考えてる」
「なるほどね、じゃあ俺がなんとかしよう」
話はそれだけだと言わんばかりに書庫を出ようとすると、背後から「なあ、グラシム」と小さな声が呼び止めてきた。
「きみは、自分の名前の由来を聞こうとしないね……アルスカヤというのが、どういう意味かも」
「関係ないな」
どこか弱々しい声を、しかしグラシムはばっさりと両断する。
「俺の親は、エリス・ランドスピアだけだ」
「……それでも私は、きみの父親なんだよ」
だからどうした、と言葉にしないだけ、グラシムはまだ自分に弱さがあることに気づかされ、苦々しい思いでその場を後にした。
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黒の森の賢者の子 吉冨諒 @noranekoya
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