#42 ショートケーキ

 仕事の昼休憩に祐宜と一緒に大夢に行くと、いつものようにカウンター席で平太郎の幼馴染みが話し込んでいた。楽しそうに見える──けれど、平太郎はどうやらそうではないらしく、しかめっ面で食器を拭いていた。

「マスター、どうかしたんですか?」

 美姫が声を掛けると、平太郎はようやく美姫と祐宜に気付いてくれた。

「あ──すまないね、気付かずに」

 美姫と祐宜は食事をしたかったので、カウンターではなくテーブル席に着いた。平太郎が水とおしぼりを運んできてくれた。

へいちゃんはヤキモチ妬いてるんだよ」

 平太郎の幼馴染みのチヨが笑っていた。

「学生さんが麻奈美ちゃんに本当のことを話したみたいでねぇ」

 チヨが言う〝学生さん〟とは、常連客の芝原のことだ。

「もうあいつは学生じゃないよ、働いてるんだから」

「本当のことって……? もしかして、麻奈美ちゃんと付き合い始めたんですか?」

「いや、まだだ」

「平ちゃん、わしは時間の問題だと思うよ」

 チヨの隣に座る三郎さぶろうも、麻奈美と芝原のことを応援しているらしい。平太郎は受け入れようとしていないけれど、麻奈美と芝原に何があったのか二人が教えてくれた。芝原は麻奈美が喜ぶ言葉をはっきり伝えたようで──。それでも二人の関係が良好なままでは終わらないのは、また別の話だ。

「ところで、あんたらはどうなんだい?」

 チヨに聞かれ、美姫と祐宜は顔を合わせてから祐宜が口を開いた。

「実は去年の春に入籍して、こないだ結婚式もしました」

 美姫と祐宜の結婚式は秋に行われ、社長や総務部長、山田相談役をはじめ、ほとんどの本社従業員が出席してくれた。もちろん、桐野夫妻たち共通の友人も来てくれていたし、祐宜が以前に仲良くしていた肇の兄も、遠くに引っ越していたところをわざわざ来てくれた。

 陽葵はやはり一人で歩かせるのは不安だったので、結婚式では親族席にいて、披露宴のお色直しで祐宜が抱いて一緒に入場した。大勢の大人に囲まれて照明も浴びて恥ずかしそうにしていたけれど──高砂に到着するまでの間に美姫に手を伸ばしてきたので、美姫が持っていたブーケは祐宜が代わりに持った──、美姫と祐宜が着席してからは親族席に戻り、お気に入りのキャラクターのぬいぐるみを貰って嬉しそうにしていた。

「へぇ。あ、そうか、あのとき妊娠してた子か」

 美姫が仕事を無断欠勤していた年末だ。

「マスターの勘は当たってましたよ。妊娠してたから珈琲を飲んでなかったみたいで」

「祐宜──実は、言ってないことがあって」

「ん? どうした? 仕事のことか?」

「ううん。実は……二人目……できた」

「──まじ?」

 美姫は産後の体調がなかなか元に戻らなかったのと育児疲れもあって祐宜に抱かれることを長らく拒んでいたけれど、〝二人目が欲しい〟と言われたあの日から拒むのをやめた。もちろん、結婚式の衣装は既に決まっていたので、影響は出ないように注意した。

「これ、うちからのお祝い。サービスするよ」

「わぁ、良いんですか? ありがとうございます!」

 食後にグレープフルーツジュースを飲んでいると、平太郎が美姫にショートケーキを持ってきてくれた。食事でお腹は膨らんでいたけれど、デザートは別腹だ。


「今日はまたやけに嬉しそうやな? 美味いもん食べたん?」

 会社に戻って席に着くと、前に座る総務部長が顔を上げた。美姫は祐宜とは別に休憩することにしているので、同時に席を外すのは珍しい。

「はい。喫茶店行ったら、マスターがケーキ出してくれて」

「ケーキ? ……堀辺に奢らせたんちゃうん?」

「違いますよ、ほんまに出してくれたんですよ、お祝いって」

「お祝い?」

「また──今度は夏前か? 産休に入るんで誰か来てもらいたいんですけど」

「ぬ? 岩瀬さん、二人目?」

 陽葵のときは病院に行くのが遅くなってしまったけれど、今回は美姫はすぐに病院に行った。まだ一ヶ月で見た目は変化がなかったので、祐宜は妊娠とは気付けなかったらしい。

「前は中野さんに来てもらったけど……また頼んで大丈夫なんか? 店に行ったとこやしな……。岩瀬さん、何か聞いてる?」

「咲凪ちゃん……あ──」

 美姫と祐宜の結婚式のあと咲凪は肇と一緒に帰り、その途中で寄ったレストランでプロポーズされたらしい。入籍日はまだ決まっていないけれど近いうちにしたい、と咲凪から電話があった。

「どうなんやろう……佐倉君に聞いたら早いかも」

「そうやな。岩瀬さん、あいつ呼んできて。そんでミーティングルームな、堀辺も」

 美姫が肇を連れてミーティングルームに入ると、総務部長はすぐに肇に〝入籍予定はいつだ〟と聞いた。

「まだ決まってないですけど、たぶん六月です。結婚式も同じ頃で……あ、そのあと新婚旅行も予定してるんですけど」

「ちょい待て佐倉、新婚旅行……行くなとは言わんけど……いつ行くん?」

「え? ヨーロッパ行きたいから、寒くなる前に夏かなぁと思ってるんですけど……あ、すみません、堀辺さん行けてないのに」

 肇は美姫と祐宜に謝った。入籍の頃に美姫の妊娠が発覚したので、結婚式が遅れた上に新婚旅行もいまだに行けていない。

「いや……。それより、夏か……。それなら、今回は中野さんはやめとこか」

「──咲凪がどうかしたんですか?」

 美姫がまた妊娠した、と言うと肇は驚いていた。ちなみに咲凪は妊娠はまだで、結婚式が終わってからと話しているらしい。

「そういえば堀辺は──新婚旅行どうするん?」

「まぁ──行きたいですけど──しばらく無理やな?」

「うん。国内やったら大丈夫かもしれんけど……あ、でも一緒に休んだら仕事が」

 美姫と祐宜が一緒に休むと店舗や委託先に迷惑がかかるし、それでなくても休み明けに仕事が山積みだ。

「──もしものときは山田部長を召還するし、一週間くらいやったらええで。岩瀬さんもいま逃したら、二人の子育てで、絶望的やろ?」

 美姫と祐宜は珍しく味方をしてくれる総務部長に戸惑いながら、近いうちに国内旅行をすることに決めた。二人が不在の間はパートと相談役が応援に来てくれて、もしかすると咲凪にも問い合わせをするらしい。

 美姫は旅先で高級な宿に泊まってみたいけれど、そんなお金はまだないし、もしも陽葵を連れていく場合はうるさくしてしまう可能性もあるのであまり気が乗らない。

「俺は美姫が一緒なら安いとこでも良いで」

「でも、せっかくの旅行やし……」

「第一希望じゃないとこが良くないとは限らんやろ? 美姫も仕事……辞めたいって言えへんし。まぁ──俺の結婚相手は第一希望が通ったけどな?」

 祐宜は真剣な顔で美姫を見つめ──。

 それから何があったのかは、二人だけの秘密だ。

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ハチミツ in ビターチョコレート 玲莱(れら) @seikarella

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