愛別離苦III 激流を渡る船の櫂

 襲撃者達は帝釈天の居城である善見城の片隅にある牢獄に投獄された。彼らはいつもどおり数日の後には所有物の内武器となり得るもの全てを没収の上、辺境まで連行された上で釈放される予定である。

 首謀者の四刃阿修羅は尋問を受けることになるため部下よりも拘留期間が長くなるが、処刑されることはおそらく無い。修羅界には彼の代わりは幾らでもおり、それでいて殺害すれば阿修羅族の指導者達がそれを口実として報復の為に更なる攻撃を仕掛けることは明らかであると忉利天の重鎮達が認識している為だ。


 こうした事情により一通りの尋問を終えた四刃は、清掃の行き届いた独房に戻され退屈げに壁を眺めていた。彼は当然ながら、今回の成果に対して実に不満足であった。黙って遠距離から毒を塗った矢でも射かけるべきであったのに、白雲天子の姿を見て彼を気に掛け、帝釈天の話に口を挟んだが為に奇襲を成すことすらなくあっさりと囚われてしまったのだから。

 そう過ごす内に、彼は檻に近づいてくる足音に気づき、振り向いた。彼には予想がついていたが、亡き親友の息子白雲だ。

「来たか。あけましておめでとう、白雲。今年もよろしく頼む」

「えっ、は、はい。四刃殿、あけましておめでとうございます。……」

 白雲は戸惑いながら挨拶を返し、そして思い悩んでいるらしく押し黙った。四刃にはその理由が手に取るように分かった。帝釈天から瑞雲天子の仇討を咎められ、またその生まれ変わりである人間への干渉にも難色を示されたたことに不服を感じている所為だろう。

「白雲よ、寂しいことだが、確かに瑞雲は最早俺達の知る者ではない。菩薩に至る道を拓くほど徳を積んでしまったのなら妨げるべきではないと俺も考えている。だが親の仇への復讐まで禁じられるのは道理ではない。俺はお前の気が済むまで戦い殺すことに反対しない。罪業はいずれ報いとなって本人を苦しめ、報復もまた罪であるとは言うが、だからどうした? それが罪なら喜んで受け取り、己の怒りが収まるまで何度でも殺し続ければいい。そんな単純な事すら理解できない愚かな王の治める国にいて何になる。修羅界こっちに来て俺と組まないか。上手くやればあの鉄面皮にも一太刀浴びせてやれるぞ」

 四刃は口の端を吊り上げて言った。彼の言葉を聞いた白雲からは沈んだ様子が消えたが、変わって表情が強張った。天人の青年は沸いた怒りを露に大股で一歩踏み出した。

「……四刃殿、貴方なりの思いやりは理解できますが、私は父の跡を継ぐ想いで陛下に仕えております。陛下に刃を向ける親不孝を唆すとは、幾ら貴方でも許し難い振る舞いです」

 四刃は思わず噴き出した。

(自分でも帝釈天に不満を抱いている癖に、大真面目な若造だ。)

 彼の目の前で白雲は更に怒りを募らせているようだったが、神という種族は阿修羅と比べれば行儀が良いため、多少挑発したところで殴りかかっては来ないという見込みがあった。何より、白雲が力づくで黙らせようにも、殴り合いならば戦闘経験の多い四刃の方が腕は立つのである。

 彼はそのまま檻越しに白雲を眺めた。そしてふと気づいたことがあった。彼はこれまで白雲を母親譲りの美しい顔の若者だと思ってきたが、感情を露わにするとき、とりわけそれが真剣なものであるときの仕草は瑞雲によく似ているのだ。

「いつまで笑っておられるのですか。悪態をやめないならば、私は看守長に拘留期間を延ばすことを進言します」

「悪かった。お前が瑞雲に似てきたと思ったのさ。丁度、俺が初めてあいつに出会った時はお互い歳も今のお前と同じくらいだったからな」

 これもまた揶揄からかい半分であった。しかし白雲は目を見開き、まじまじと四刃を見つめた。

「父上が私に似ていた、と? その話を、聞かせてもらえますか」

 予想外の頼み事であった。彼は瑞雲の家も妻子も知っていたために、息子の白雲も父親から友人になった経緯について聞いているとばかり思っていた。

(いいや、考えてみれば、瑞雲は細君が卒倒するからと言って、俺が阿修羅族であることさえ口に出させようとはしなかったな。)

 四刃は語り始めた。思い返せば懐かしい話であった。また、可笑しくもあった。彼から瑞雲への思い入れの根源を成しているのは、一言ずつ言葉に表そうとすれば取るに足らないようなことでしかないのだ。


「瑞雲とは、俺が天帝暗殺の為の部隊に配置されて、最初に善見城に忍び込んだ時に出会った。丁度さっきのお前のように中々に怖い顔で威嚇してきたんだよ。帝釈天に仇成す者がいるならば、己の命がある限り全て斬る気でいるとな。あんな血管中の血が冷え切ったような帝王様だが、瑞雲にとってはさぞ名君だったんだろうな。一方の俺は自分の国で『忉利天の正統な統治者は毘摩質多羅阿修羅王だ』という教育を受けていたから、手足の動く限り帝釈天の命を狙うのは当然だった。向こうもこちらも新米同士で加減も知らないまま斬り刺し穿ち貫きしている内に、当の帝王から制止が入る始末だった」

 暗殺に失敗し捕まれば凄まじい拷問の末に処刑されると信じ込んでいた四刃に対して、神々の王は自らの護衛と同質の治療を受けさせた。四刃は呆然とされるがままになっていた。彼の隣に寝かされていた瑞雲も理解ができないといった様子であった。

「今と同じように釈放された時、俺の頭の中は恥辱の一語で満たされていた。次こそは成功させ、ついでに瑞雲も仕留めてやるつもりだった。俺達は断じて間抜けではなかった。鍛錬を積み直し、また策を練っていた。ところが知ってのとおり、俺の任務は失敗ばかりで、いつからか俺の拘束と釈放は瑞雲の仕事になっていた。そうなれば嫌でも口を利く回数は増える。やがてお互いの暮らしぶりもある程度掴んで、次第に只の排除対象とは思わなくなっていた。……瑞雲から俺に対してはな」

「父からは、というと四刃殿は違ったのですか」

 白雲の問いかけを四刃は鼻で笑った。

「当たり前だ。そう簡単に神に絆されるのでは阿修羅族の名折れだからな。あいつの事を好きになった覚えはなかった。飯でもどうだと言われる度にご主人様譲りのその余裕ぶった態度に腹を立て、結婚した、お前が生まれたと聞かされる度に嫉妬した。この際だから教えてやるが、俺は最初からお前を気に入らなかったんだぜ。瑞雲はお前の話をする度に上機嫌だったからな。宿敵が幸せそうにしている有様ほど見ていて腹の立つものはないだろう」

 今度は白雲が笑う番であった。四刃にはその理由がよくわかっていた。彼は瑞雲を油断させていずれ帝釈天諸共に殺すため、偽りの友情を示した心算でいた。ところが結局、どちらの命も奪えないまま仇敵の家で世話になり、また本心はどうあれ彼の婚姻も息子の誕生も形の上では祝福していたのである。とんだ間抜けに違いなかった。

「それで、いつか殺してやるという想いを募らせていた筈だったんだがな……」

 この歯痒い芝居を終わらせるために、瑞雲を殺めようという意思を四刃が捨てることはなかった。

(そうだ。瑞雲が、俺を置いて勝手に死んだのが悪い)

 彼は内心で呟いた。

 仇敵への秘かな張り合いは、ある時唐突に、呆気なく終わったのだ。略奪されていく宮殿の床に転がる死体の中に知り過ぎた顔を見つけた時、四刃は愕然とし、暫くそこから一歩も動くことができなかった。


「……そうですね、父は貴方ではなく、羅刹の将軍歪視に殺されました。毘摩質多羅阿修羅王が彼らを尖兵として利用した所為でね……」

 白雲の最後の一言は鋭かった。流石の四刃も余計な事を口に出したと後悔した。

(これは、一発ぐらい殴られてやるべきか?)

 白雲は小さく溜息を吐いたのみで、彼に背を向けて押し黙った。四刃は直ぐに何時ものごとく、神々は徹頭徹尾お行儀の良い奴らなのだと呆れることにした。これが阿修羅族同士ならばすぐに凄まじい罵倒と暴力の応酬が始まり、下手をすれば腕や足の一本も折られているに違いなかった。

 やがて白雲は再び口を開いた。

「いえ、阿修羅王はともかく、貴方については恨んではいません。歪視とその部下達を殺し、私を助けてくれたのは他ならぬ貴方ですから。それに、今日また一つ貴方に感謝する理由ができました」

「俺に感謝だって?」

 四刃は驚いた。振り向いた白雲の表情は何処か晴れ晴れとしていた。

「帝釈天様は私に、本当の望みについて考えよと仰せになりました。それが漸く解ったのです。私は、あの日以来父のことを知らないまま育ちました。成長した自分を見た父の言葉が欲しかったのです。歳を重ねる度、背が伸びたことに気づく度に、父は一緒に喜んでくれるだろうかと。また例えば近衛兵になることを決めた時、父ならばなんと言ってくれるか、知りたかった。……四刃殿のお話で、疑いようもなく父が私を愛してくれていたと確かめられましたから、望みは叶ったも同じです」

「おいおい、わかり切ったことだろう」

 四刃は呆れながら言った。何を今更だ。確かに彼の口で瑞雲との思い出をはっきりと語ったのは今日が初めてかもしれなかったが、瑞雲の同僚達が白雲に何も言わなかった筈はないのだ。

「ええ、先日までの私はおそらく、貴方や他の誰かに同じことを話されても納得がいかなかったかもしれません。ただ、帝釈天様の言葉を聞いた後だったから、こう思えたのだと感じます。父を諦めるべきだとは納得できましたが、あの方には『その方法がわからない』という感覚はなかった。私には、それが必要だったのですがね。まさか貴方と話して得られるとは思いもしませんでした」

 白雲は諦めと共に満足しているようだった。こうなると四刃は常の如く阿修羅の本能に動かされるまま、その幸せそうな様子に対し衝動的に苛立つのである。

「それなら俺への感謝の、最高の示し方を教えてやるよ。お前が修羅界に堕ちてくれることさ」

「またまたご冗談を! 私は四刃殿こそ、一時も心休まることの無い国を見限ってこちらで暮らしたらいいと思っています。私は歓迎しますよ」

 かつての瑞雲と同じく、この若者も油断させるための芝居ではなく腹の底からそう考えている。四刃にはそう信じて疑いはなかった。

(呆れた奴だ、せめて同じような末路は辿らないでくれよ。)

 そう思いながら、彼は脅しつけるように言葉を返した。

「忘れるなよ。今回は失敗したが、俺はいずれお前も殺す気でいるんだぜ。何せお前は瑞雲の息子なんだからな」

 その時、牢獄の扉が開く音がした。看守が見回りに来たのだ。白雲は一瞬名残惜しそうな様子を見せたが、直ぐに「神々の王の近衛兵」の表情を造ると四刃に背を向け出口へと歩いて行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

愛別離苦 或いは父親に置いて行かれた男の話ほか ミド @UR-30351ns-Ws

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ