夏雨と森の音
砂上楼閣
第1話
私は雨が好きだ。
雨に濡れるのも、雨音を聞くのも、街が雨粒に染められていくのを見るのも。
私は今日も曇天の空を見上げては、恋焦がれてる。
早く降らないかな。
降り出したらどうしようかな。
そんな事を考えながら、梅雨空の下をゆっくりと歩く。
傘はどうしようか。
梅雨が、夏が近づくと、色とりどりの傘が売られるようになるから嬉しい。
この前買った、透き通る海を思わせるエメラルドグリーンの傘?
それとも去年買った真夏の空みたいな、セルリアンブルーとコバルトブルーの混ざり合った傘?
ううん、雨ガッパを着て散歩するのもいいかもしれない。
肌のすぐそばで雨粒が弾けるあの感触は癖になる。
家の庭に小さなテントを立てて、中で横になったまま、すぐそばで雨音を聞くのもいいかもしれない。
それとも大人しく窓辺で本を読もうか。
少し遠くから届く雨音に耳を傾けながら本の頁をめくるのは、いつもと違った趣き深さがある。
電車に乗るのもいいかもしれない。
ちょうど雨雲の切れ間を交互に走る電車に乗れたら、音も、景色も、楽しめるから。
そんな事を考えながら空を仰ぐ。
分厚い雲に太陽は隠されて、辺りはどんどん薄暗くなってくる。
湿度が高くなって、肌にまとわりつくようなしっとりとした、風。
ああ、雨の匂いも強くなってきた…。
立ち止まってみれば、辺りの景色を置き去りにするように雲が流れてく。
きっと、今から降ってくる雨はしとしととした優しい雨じゃなくて、ざあざあ音を立てる荒々しい雨。
……そうだ。
私は行き先を近所の森へと変える。
今日は、森の中で雨を感じよう。
ほんの数ヶ月前まで枝先に小さな新緑を覗かせるばかりだった木々はいつの間にか青々と生い茂り、見上げた空を覆い隠している。
陽の光は雲に、木々に遮られ、森の奥は見通す事もできない。
ジメジメとした空気も、ここでは自然と受け入れられている気がする。
やっぱり、雨を感じるなら自然に近い方がいい。
私が森にやって来るのを待っていたかのように、ぽつりぽつりと大粒の雨が降り始めた。
ぱらぱらと木の葉に弾ける心地よい音は、すぐに間断なく響く雨音に変わる。
木々を打つ雨粒は、まだ私に届くことはない。
森の入り口が見えなくなった辺りで足を止めた。
重なり合った木の葉の傘が雨粒を弾き、別の枝葉へと滴を伝い、それが繰り返される。
幾百、幾千の小さな傘が、幾万、幾億を越える雫を受け止め、運ぶ。
雨音に包み込まれる…
どれほど時間が経っただろう。
いつしか雨音はまばらになり、森の中も随分と明るくなってきた。
あと5分もすれば完全に雨は止んでしまうだろうか。
この余韻が永遠に続けばと願う。
私はゆっくりと、来た道を振り返る。
段々と森の入り口が見えて来た。
晴れ間の覗く空から雨の滴と陽の光が降り注ぎ、それが森の境界を分けていた。
まるで森そのものが一つの傘みたいだ。
晴れ間は広がり、雨粒の代わりに陽差しが木々の隙間から降り注ぐ。
私はゆっくりと歩き出した。
深緑を通った光は僅かに霞がかった森の中を光の筋となって照らす。
それは木漏れ日のエンジェルラダー。
もう、雨音は聞こえない。
森の入り口、大自然の傘を抜ける。
見上げれば、晴々とした青い空が広がり、雨の気配は随分と遠くに去っていた。
次に雨が降るのはいつだろう?
私は雨上がりの空気を胸いっぱいに吸い込んで、家路についた。
夏雨と森の音 砂上楼閣 @sagamirokaku
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