知事選ポスター狂騒曲

話題が次から次へともたらされつつも、肝心の政策内容や都政に関する論点がまったく頭に入ってこない今回の都知事選。

「現実は小説よりも奇なり」とあるフォロワーさんが仰られていましたが、まさにその通り。奇天烈な選挙戦術に、有権者の思考が追い付きません。


さーて、今週のサ〇エさん、じゃなかった都知事選論評は、

・例の「表現の自由」ポスターを、選管はなぜ見過ごしたのか

・ポスター掲示板だけじゃない。選挙公報も、政見放送も大問題だ

・現職知事の八丈島スタートは何だったのか

の3本でお送りする予定です。


・例の「表現の自由」ポスターを、選管はなぜ見過ごしたのか

SNSをはじめさんざん叩かれ、批判されたほぼ全裸の「表現の自由」ポスター。都の選挙管理委員会(以下、選管)には「なんであんな代物を許可したのか」と抗議が殺到したそうです。


実を言うと、選管は「ポスターの中身については一切関与しない」のです。ご存じでしたか?


彼らが見るのは、ポスターが規定のサイズ内で作られているか、そして掲示責任者と印刷者の氏名または法人名、住所の記載が明記されているか、という点のみ。「表現やデザインが政治家の選挙にふさわしいか」「無関係な内容を記載していないか」なんてことは初めから見ようともしません。というより、関与してはいけないんです。なぜなら、そここそが「表現の自由」「言論の自由」にセンシティブにかかわるからです。


候補者が用意した表現物に対しては、誰も、一切の検閲を行わない。ゆえに、政見放送も候補者経歴も、選挙公報の原稿もすべて「右から左へ」そのまま受理しなくてはなりません。つまり、政治的主張や表現に関する自由は、既にここで「担保されている」んです。だから、あのポスターも一度は公設掲示板上にお目見えできたわけですね。

写っているのが本人でなくても構わないし、候補者の名前すらなくてもいい。サイズ規定や責任者表示の有無であれば、主観を差し挟むことなく合否を判定することができます。しかしそれ以外の判断基準を持ち込んでしまうと、では「誰が」「何を基準に」適・不適を決めるのかが重要な問題となります。

客観的な尺度がない以上、このポスターはOK、このポスターは貼っちゃダメ、という判断はどうしても恣意的にならざるを得なくなる。選管にはその権限が与えられていないんです。


結果として、今回のようなことが起こりうるのです。そして、掲示されたポスターに対して「法律や条例に違反していないか」という別の尺度・観点から、法の執行をつかさどる行政機関としての警察が、警告を行いました。候補者・掲示責任者はこの警告を受け入れ、自主的に「差し替え」となったわけです。ここでも、警察が行うのは「警告」であって、命令や強制ではありません。


過去にも全裸に近い男性の画像や、候補者でない人物の画像を使用したポスターが貼られたことがありましたが、その時は「差し替え」まで行きませんでした。今回の事案はその延長線上にありつつ、社会的に許容される一線を越えたことで問題視されたのではないでしょうか。そして

・法令に触れるおそれがある

・メッセージに対し共感が得られなかった

・炎上し、有権者の反感を買ってむしろ逆効果

・話題性、注目という点では既に目的が達成された

などの理由から、候補者は掲示を取り下げたものと考えられます。


選管にしても、審査時にあのポスターを目にした際は正直「これはヤバい」と感じたことと思います。しかし、内容に口出しはできない。「一応事前に警察に言っておいたほうが……」程度のアドバイスすら、おそらくできないのだろうと思います。検閲になるかもしれない前例を、公平公正な選挙の番人たる選管が作ってしまうわけにはいかないですからね。でも行政上の歯止めがかかって(警察は司法権力ではなく、行政です)、ポスターはひっこめられた。もし候補者側が折れなかったら、今度は裁判という司法権力に、判断が委ねられることになったはずです。

ここまでは、公職選挙法の想定内の話。


一方、例によってN党は立花孝志氏の悪知恵(そう言っていいですよね)によって、掲示板上のかなりの面積を占有することに成功、しかもそのポスター区画を事実上転売し、「解放」するという裏技を展開しています。

こちらは上記の事案と異なり、これまでの選挙の常識では想定されなかった事態です。地域によって何種類ものポスターを貼り分けることは、違反ではありません。複数の候補者が同じポスターを貼ることも、違法ではありません。しかし、それはあくまで「当該選挙の公報」機能を目的とするものであって、常識的には「表現の自由が保障されているのだから何を掲載しても構わない」とはならない。


表現の自由を矮小化して、少々やり過ぎた「ほぼ全裸ポスター」は、ある意味「戦略的弱者」と言えます。組織もなく、周到な用意もないまま徒手空拳でニッチな市場(争点)に殴り込んだ挙句、社会から叱咤されてすぐに差し替えに応じたのですから。


N党は違います。明確な意図をもって現制度の盲点を突きにかかり、「有権者に広く選挙候補者の情報を周知せしめる」という掲示板本来の目的機能を破壊、解体しました。

「この情報化社会で、掲示板などもはや無意味である」という彼らの主張の一端に、それが表れています。同調する意見もあるようですが、それならば別の形でそれを主張するのが正しいやり方です。彼らのやり口は、ハックというよりクラッキングです。こんな形で選挙や政治に対する関心は高まらないし、投票率も上がりません。バカバカしくて行く気にならない有権者の方が増えそうだ。


今回の事態を経て、公職選挙法はおそらく改正の方向に向かうと思われます。これまでもマイナーチェンジが重ねられてきた同法ですが、そろそろ時代に合わない部分は変えていかなくてはならないでしょう。


ベニヤ製の掲示板ではなく、電子ディスプレイにしては?という意見も出ているようですが、導入や維持管理に関するコスト、道路使用許可などの観点からあまり現実的ではありません。スマホやネットに完全移行してしまうのもまだ時期尚早なので、他のメディアを併用しつつ、掲示板の見直しを図るのが良いと思います。

たとえば、最近ではバス停を電子広告メディアに活用するところが増えてきました。そのスペースを一定期間借り上げて、選挙公報を表示・配信するのも良いかもしれません。


この問題だけで、2,500文字ほど使ってしまいました。残るテーマについては、次回以降で述べたいと思います。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

2024東京都知事選がカオスな件 大石雅彦 @Masahiko-Oishi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ