第5話 出発
次の朝が来た。酋長は若者たちと部族の全員を集め、「戦う人たち」が来るのを待った。騒々しい音をたてて「戦う人たち」はやってきた。馬にのったリーダーは、若者たちの全員が旅支度で集合しているのを見て、目を丸くしていた。
「なんと、まぁ・・・」
リーダーはしばらく口の中でぶつぶつ言っていたが、やがて馬から降りた。そして、酋長に近づいた。
「あなたは、まれにみる本物の賢者だと、向こうの村の人間が言っていた。そんなことはあるまい、と思っていたが、どうやら本当のようだ。抵抗が無駄であることを、あなたは知っていた。どうやって知ったのか、それがあなたが賢者と言われるゆえんなのだろう。協力感謝する。そして、残った部族の者たちには、私にできる限りの保護はしよう。それで?すぐに出発できるのかな?」
酋長はうなづいた。
「ではすぐに出発しよう」
リーダーは、列の後ろから一人の男を呼んだ。明るい色の髪と目をしていたが、あまり表情のない男だった。
「この男はリチャードという。今後、この男がお前たちの面倒を見ることになる。ではリチャード、私は先に帰るから、この者たちをたばねて後から追いつくように。」
そう言ってリーダーは騎馬隊を連れて帰っていった。
リチャードは馬から降り、通訳ができるものは?と聞き、チェルが進み出た。リチャードはノートを取り出して、それぞれの名前と歳を確認した。それからチェルを見て、出発はできるのかと再度問うた。表情はあまりないが、それほど粗野ではないようだった。チェルは出発できると答え、それから酋長に向かって出発しますと告げた。それぞれの若者たちは、もう一度家族のところへ行き、お互いに腕をぽんぽんと二度ずつ叩いた。チェルは酋長に挨拶し、家族のところに戻って挨拶し、最後にリアと挨拶した。リアの瞳は、相変わらず澄んでおり、不安の影がないことにチェルはほっとした。
それが終わるともう出発だった。リチャードは馬に乗り、先頭に立った。部族の若者たちが続いた。そのまま進んでいった。ずいぶん進んだあと、リチャードは泉のそばでしばらく休憩すると告げた。若者たちが泉の水を飲んだりするのを見つめながら、リチャードはやがてチェルのそばにやってきた。
「ずいぶん静かな別れの儀式だったな」
リチャードはそう告げた。
「私たちは騒々しいことを好まない」
チェルは答え、リチャードはうなづいた。
「俺は、あんな静かな別れの儀式を見たのは生まれて初めてだ」
リチャードはなにかに感動している様子だった。
「俺は本当は・・・今日は朝からひどいことになるだろうと予想してきたんだ。だが、なにもひどいことは起こらなかった」
リチャードは地面を見ながら、なにかを考えているようだった。それから目をあげて、
「本当に静かだった」
と、もう一度言った。
「これから行くところは、お前たちにはつらいことになるだろうよ」
リチャードはそう言って、少し眉をひそめてみせた。
夜は仮眠をとっただけで丸二日歩き続け、部隊の仮宿営地についた。それほどひどいところではなかった。最初に部族の前に現れた部隊のリーダーは、すでに本宿営地に帰っているということだった。リチャードは夕食にチェルと、少しだけ言葉を理解する部族のリーダーを呼んだ。リチャードは部隊のルールと組織、これからの訓練や戦について語った。部隊のリーダー、チェルの村にやってきた黒い髭の男はルーカスという名であることも教えた。チェルたちは、本宿営地についても、すぐに戦争に出るわけではない。まず兵士としての訓練が必要であること、その訓練の内容について説明した。
「俺たちも、お前たちもラッキーなことがある」
リチャードは言った。
「ルーカスは、軍人としては一流だ。敵や敵とみなした者には容赦ないが、部下は守る。お前たちのような異民族であっても、部下である限り大事にする。ルーカスの部隊に入れたおかげで、よその部隊よりずいぶんましな生活が送れる。ルーカスがリーダーである限り、秩序は守られている。よその部隊にはずいぶんひどいところもあるからな。俺の前の部隊は吐き気がするような部隊だったが、あの部隊がつぶれてくれたおかげで、ルーカスの部隊に入れて、俺はラッキーだった。お前たちにとっては、戦争そのものがひどいことかもしれんが、それでもラッキーだよ」
それからリチャードは、チェルとチェルの部族の世話をしてくれた。相変わらず表情はあまりないが、根が優しい男のようだった。チェルは部族のみなに言葉を教える仕事もあって忙しかったが、そのぶん、ほかの仕事の考慮をしてくれた。チェルたちは、旅立ちのときに約束したように、できうる限り、お互いを助け合った。リチャードは、ときに、戦争のことではなく、チェルの部族のことを尋ねることもあった。チェルはできうる限り、正直に答えた。リチャードはとくに反応なく聞いているようだったが、ときおり目の奥に感動にも似た輝きがよぎっていた。チェルはいつのまにか、リチャードに親しみを感じていた。だがチェルがリチャードのふるさとのことを尋ねても、リチャードは「俺にはお前に話せるほどのことはないよ」というだけだった。
チェルたちが戦いに出るようになって、いつのまにかチェルは部族の皆ではなく、リチャードとペアになることが多くなった。そのほうがうまくいった。チェルは耳がいい。チェルが周囲の状況を判断する。リチャードが確実に敵をしとめる。ふたりはいいコンビだった。だが、戦況は悪くなっているようだった。チェルたちの属する側が負け始めているのは、日一日と明らかになってきた。チェルたちの部族も、少しずつ数が減っていった。そしてある日、敵はついに総攻撃に出た。
無敵だったチェルとリチャードのペアにも、危ないと感じる瞬間が増えた。チェルは、自分の死ぬときが迫っているかもしれない、と感じていた。自分の判断が間に合わなかった瞬間、自分は命を落とすだろう。素晴らしい武力を持つリチャードは、そのあとひとりで戦わねばならないだろう。そう予期していた。まだ、戦いは終わりそうにない。次か、その次の瞬間か。チェルの神経は研ぎ澄まされていた。
空を映し出す地 Naomippon @pennadoro
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