びっくりひょっこりサダ子さん
渡貫とゐち
井の中のサダ子さん、大抵のことは知らず。
山の奥深くに、古びた井戸がある。
手入れはされておらず、蔦が生え、苔に覆われていた。
井戸の周囲にはなにもなく、広々とした敷地だ。
ただし土地は死に、その場所だけ木は枯れ、雑草も生えず、地面も割れてしまっている。
十年以上、人は訪れていない。
……山を訪れることがあってもこの場所には近づかない。なぜか、人は井戸の周辺を避けるように進んでしまうからだ。
――本能的に感じ取れるものがあるのかもしれない。
まるで、井戸の周辺には、近寄りがたい瘴気でも溢れているかのように――――
それとも、そもそもそこにあっても見つけられないのかもしれないが……。
そんな井戸の中で蠢く影があった。
かつ、かつ、と取りつけられた梯子を上がってくるのは、細く白い手。
長い髪の――女性だ。
井戸から外へ、ひょっこり、とでも音がつきそうな軽快さで顔を出した。
もちろん、警戒もしている。
長い前髪の隙間から見える血走った瞳が、正面を見据え――――
じっと……なにもない空間を見つめていた……。
〇
視線を感じて顔を出してみたけれど、やっぱりなにもいない。
動物でも近づかないこの場所に訪れる人がいないのは分かりきっていることだったけど……でも、あまりにもしつこく情熱的な視線に、確認しないわけにはいかなかった。
確認しないと私が気持ち悪い。
なので深い深い井戸の底から上がって外を確認してみたけれど……なにもなかった。
まさか、望遠鏡で覗かれてる? って可能性もあるけど……、情熱的な視線にはならないはず。私をここまで動かした視線だから、近くで見られているのは確実だと思う……。
きっと見つからない技術が、相手の方が一枚も二枚も上手なだけだ。
「(なに、なんなのこの視線……)」
私は顔を出した。だから、反応したのだから相手からの反応もあるかもしれない。
期待してひたすらじっと待つ…………と、一度は見間違いかと思ったけど、よく見れば本物だ。景色に――亀裂が入った。
「へ?」
走った亀裂がそのまま派手に割れる、ということはなかったけど、鱗が剥がれたように景色の欠片がぼろぼろと落ち、僅かに生まれた隙間から指が生えてきた。
いや、景色の向こう側にいる誰かが、亀裂の隙間から、大きな穴を作ろうとしている……?
見えた一本の指は次第に穴をこじ開け、増えていく。
四本と三本の指が見え、亀裂を広げようと左右に力が加わっていく。
景色が、軋む……やめてっ、と悲鳴を上げるように。
これ以上の無茶は、まるで世界を歪めるかのようで――ここだけじゃなく、あちこちに甚大な被害を出すんじゃないかって思うほどの衝撃が、今、世界へ与えているのでは……?
止める暇はなかった。
止める術がなかったし、止めるべきだと分かっていても体が動かなかった。
目の前で起こっている『あり得ない』ことに、体が追いついていない。
やがて、亀裂がぐっと広がった。
割れたのではなく性質を変えたように景色が柔らかくなって、左右に広がったのだ。
亀裂の先。
見えたのは古びた民家の一部屋……? みたいだった。
私がよく知る畳。
六畳間……? 広さはまだ確認できていないけど。
「…………お、入れた入れた」
彼の足下はまだ景色の一部となっている。
彼は景色を跨いで、亀裂からこっちの世界へ、入ってきた。
裸足だった。学生服――学ランを着ていて、十六、十七歳程度の男の子だった。
こんな登場の仕方でなければ見惚れている美少年である。
「――はっ!?」
私は慌てて身を隠す。彼の正体が分からない以上、いきなり面と向かって接触はしたくない。
井戸の奥深くまでひとまず隠れ、彼の動き方を見てから――――
「お――――いっ、サダ子さ――――んっっ!?」
「(な、なんであの子はっ、私の名前を……ッ!?)」
井戸の中を覗き込む彼の顔がよく見える。
……私は彼のことを知らない。
なのに、どうして彼は私の名前を知って――しかもこの場所にいることも分かって……!?
謎ばかりだった。
手がかりは一切ないのが理不尽だった。
幸い、井戸の中は暗いので、彼から私のことは見えないは、ず――――
その時。
青年が。
落ちてきた。
井戸の底へと、
一直線に。
「はぁ!?!?」
「えっ、意外と深っ!」
もちろん命綱なんてつけておらず、それでも構わず飛び降りてくる美少年。
地上から一番深いところまでは建物五階ほどの高さがあるから……、見捨てることもできず、受け止めざるを得なかった。
井戸の穴は狭いので、着地点がずれにくいのが、良かったと言えるけど……そもそも落ちてくること自体が良くないことだった……。
なんで私がこんなことを!
「うわっっ」
井戸の側面に肩を当てながら、ががッ――と回転しながら落ちてくる青年。
私は両手を広げて受け止める――――目を閉じた後で、どぼんっ、という音が聞こえた。
私と青年は、井戸の底の水溜まりに沈んでいく。
ただ、腰までもない浅さなので私の背中がすぐに地面についた。
「うっ!」
「あっ、すみませんッ、サダ子さん!」
彼が私の肩を抱え、引っ張り上げてくれる。
可愛い顔して、胸板は厚く、頼りになる男の子だった……。
「ぇ、……と……君、どうして私の、名前を……」
覗き込んでくる彼の顔を間近で見るけど、やっぱり、知り合いではなかった。
「そんなの、当然知ってますよ! いつも井戸から出てきてくれるじゃないですか!」
「…………?」
「さらにはテレビ画面から出てきてくれますし。……あはは、いつもは長い髪で顔を隠していますけど、こうしておでこが見えると……可愛い顔してますね」
「テレビ……? 出てくる……。――え? なに、一体、だれのことを……」
「だから、サダ子さんのことですけど」
きょとんとしながら、青年が小首を傾げる。
えっと、そりゃ、目の前の私のことを言っているのだろうけど……。
分からない。
身に覚えがなく、だから彼と噛み合わない。
彼が言うサダ子さんと、私(も、サダ子さんだけど……)は、違うのではないか。
サダ子が世界にひとりだけ、というわけでもないのだし。
見たところ、彼とは住む世界が違うと言えた――つまりは異世界だ。
青年が住んでいる異世界と、彼が知っている異世界――そして、今いる私たちの世界が、彼が知る異世界と一致しているわけではないのでは?
異世界Aを知っているからと言って異世界Aへやってこれるわけではない。
彼が亀裂を広げてやってきたこの世界は、異世界Bである可能性も、あるのだ。
チャンネルが違う、のかもしれない。
彼と会話が噛み合わない以上は、私(サダ子)にも、個体差がある――――
「と、とにかく、あんまり抱きしめないで。妊娠しちゃう……」
「あ、ごめんなさい。……え、妊娠?」
疑問に思った彼だけど、追及はしてこなかった。
彼は靴やズボンが濡れようが気にしていなかった。大雑把な性格なら、誰が妊娠していようが気にも留めないのかもしれない。
彼が冷たいわけじゃなくて、気を遣うけど疑問には思わない……のかも。
「あの、サダ子さん……実は、以前ぼくの部屋に出てきてくれた『サダ子さん』と会うつもりだったのですけど…………人違い、なんですよね? ぼくのことを知らないってことは、やっぱり……。だとしたら、じゃあ、どうしよ……」
「元の世界には戻れないんですか? 戻れるなら仕切り直して試してみれば、お望みのサダ子に会えるかもしれませんけど……」
まるでガチャガチャみたいだったけど。
「どう、でしょうね。サダ子さんはいつも、どうやって世界を移動しているんですか?」
この子は、まるで『できますよね? 当然ですよね?』みたいなトーンで言ってくる……けど、世界を移動するなんてこと、本来ならできるわけがない。
技術どうこうじゃなくて、物理的に不可能なことだ。
「……できませんよ、そんなこと」
「――え!?」
「当然です。こんなのは常識のはずですけど……」
彼が見たサダ子が特別、としか思えない。
「……そうですか……。もしかしたらぼくが見たサダ子さんは、『伝説のサダ子さん』で、特別だったのかもしれませんね――――」
「そんな、ポ〇モンみたいに……」
空間を、時間を。
まるで、海を、大地を司っているサダ子さんがいるみたいだ。
もちろんいないけど。
だけど、井戸の数だけ私みたいにサダ子がいる可能性も、捨て切れない。
私の中の世界は狭く、井戸の外を知らないのだからいないと断言もできないのだ。
サダ子なのに――だからこそ、井の中の蛙なのだった。
青年が周囲を見回す。
薄暗い以上に真っ暗でなにも見えない。私は慣れているので見えるけど、彼はなにも見えないはずだ。……はず、だけど。
思えば、私の肩を抱いたり目を見て喋っていたりと、見えている……?
彼は先に道があることをなんとなく分かっている様子だった。
「この先はどうなっているんですか?」
「えっと……さあ? 活動範囲外なので分かりません」
野生動物の巣があるのかもしれない。
私自身のテリトリーの外のことはなにも知らないのだ。
こう見えても箱入り娘と言えるでしょうね。
「そうですか。じゃあぼくが確認してきます。困ったら戻ってきますね」
「え。ああ、うん……どうぞ」
その後、青年は戻ってこなかった。
先で活路を見出し、この場へ戻ってくる理由がなかった、ならいいけれど…………
迷ってしまい、戻れなくなって餓死した、とかでなければ…………。
「…………大丈夫かな……」
数日が経って。
気になるので井戸の底のテリトリーから外に出てみた。別に、禁止されているわけではないので、テリトリー外へいくのに抵抗はなかった。
ただ、野生生物が怒って襲い掛かってこないかだけが怖かったけれど。
進んでいくと、自分のものではない、水を踏む音が聞こえた。
近づいてくる。
ぴちゃ、ぴちゃ、と。
薄暗いの中で、人影が近づいてくる――――見えた彼女は…………え?
瓜二つだった。
『え!?』
『――なん……私!?』
サダ子、だった。
もしかして、別の井戸の……?
さらに足音が増えていく。右を見れば別のサダ子、左を見ればまた別のサダ子――――
背後を振り向けばサダ子がいて…………気づけば複数の私が合流していた。
おかしな状況に疑問はたくさんある。けど、今は、聞くべきことがあった。
全員が、同じ質問を『私』にぶつけてくる。
『あのっ、可愛い男の子、見ませんでしたか!?』
話を聞くところによれば。
……どうやらあの美少年、あらゆる井戸のサダ子に唾をつけているらしかった。
…了
びっくりひょっこりサダ子さん 渡貫とゐち @josho
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