3.

 旅僧が村から去って三年が経ちました。

 

 三郎は、菊代の水門へ毎日通いました。花や餅、そのほかにもさまざまな食べ物や美しいもの、そして寒い時には布を掛けに行ってやり、雪が降れば傘をさしてやりました。

 三郎ほど健気な若者、そして情に暑いものは村にいません。村長もそのような男と契りをあげた娘はたいそうな幸せ者だと思うのでした。


***** ***** ***** ***** *****


 菊代は真っ暗な制御装置の中でただただ処理を実行しておりました。処理に必要な情報は金属線の先に繋がっている様々な検知器によって菊代の脳髄に伝えられます。処理に必要な電力は水流によって常に得られるようになっておりました。

 菊代はもはや見ることも聞くこともできません。しかし不思議と、三郎が毎日来てくれることを知ることができたのでした。ものの考え方はもはや生身だった頃とはだいぶ違ったものだったに違いありません。しかし三郎が来てくれていると感じていればこそ、不思議と淋しさを感じることはありませんでした。


***** ***** ***** ***** *****


 村人もはじめの二年は今まで毎年のようにやってきた水害が起こらないことを大層喜んでおりました。三郎と同じように菓子や花を供えにいったものも多かったですが日が経つにつれてその数は少なくなり、そして三年目となるともう水害がないこと自体が普通のこととなっていたのではじめの時ほど菊代に感謝するものは、父である村長と三郎以外にいなくなりました。


***** ***** ***** ***** *****


 五年が経つと三郎が菊代のところに行く回数は徐々に減っていきました。三郎が持ってくる供物も段々と少なくなり、そしてなんだか粗末なものへと変わってゆきます。しかしそうであったとしても、菊代を愛する気持ちは少しも変わっていないと三郎自身はそう思っておりました。


 三郎は父より家督を受け継いでから間もないときでした。

「三郎さん、あなたはもういい歳だ。そりゃお前にとって菊代さんのことは大事に違わないし私らだって感謝しておる。ただお前はまだ若いのだし、これからの人生もある。そして家督を継いだものがなんの理由もなしに後継を作らないのは世間からして尋常じゃないことはわかっているだろう。」

「そうだ三郎、もういなくなったものにいつまでも執着していてはこの家の当主としてみっともない。もちろんお前の気持ちを蔑ろにはしたくない。しかしお前のことを同じように大切に思っていた菊代も、きっとお前が後嫁をとったとしても仕方のないことだと分かってくれるに違いない。」

「三郎、お前は菊代に立派に尽くした。だから今度はお前が家に尽くしてくれ。」

三郎はどうしても菊代以外に嫁となるものを思い浮かべることはできませんでした。しかし皆のことをおもいこそすれ、三郎の親のいうことを聞かぬわけにも行きません。

 

 雪がしんと降る日でした。

「菊代よ、俺が来るのもこれが最後になるかも知れない。つい先日、分家の者との婚姻が決まった。親父の家督を継ぐものがこのようなことを続けるわけにはいかない。許して欲しいとは言わぬ。ただこのままならぬ事情をわかって欲しい。」

 三郎は持ってきた餅をおいて手を合わせました。

「ただお前のことはこれからも心の中で愛するつもりだ。」


***** ***** ***** ***** *****


 この頃になるになると橋を通るものはいても、その下にある水門に気をかけるものはいなません。菊代はただ一人、水門を制御し、村を守り続けていました。

 

 菊代は、三郎が再び自分のところに来てくれるのを待っていました。しかし待てどもまてども検知器は何も感知をしません。それでも菊代は命令文の通り、水の多い時には水門を閉じ、水の少ない時には水門を開けます。水があまりにも多ければ少しだけ開けて、水門自体が壊れないよううまく調整してやります。

 

 菊代は時々処理を誤まるようになりました。いくら保存液に浸されているとはいえ、だれも整備をするものがいなければ劣化する一方です。

菊代は淋しいと感じるようになりました。


***** ***** ***** ***** *****


 三郎は分家の娘と正式に婚姻が決まり、結納の義を川の向こうの社で行うことになりました。村人はしばらく独り身だった三郎に嫁ができたこと、そして三郎の家に後継ができることを大層喜びました。村長も三郎が幸せになることを大変めでたく思い、婚姻の立ち会いを申し出たのでした。結納の列は浮かれた両家と村人たちによって、それは大いに盛り上げられました。村人は紙吹雪を撒き、太鼓や笛を鳴らします。かつて三郎と菊代が結納をあげた時とは比べ物にならないほど豪華なものでした。

 

 儀列は両家を回ったあと川の向こうの社へ向かいました。そして儀列の先頭が橋の真ん中に差し掛かります。

 いきなり水門は音を立てず開き、橋が二つに分かれたのでした。三郎も嫁も、村長も川へ落ちて溺れ死にました。運良く落ちなかったものたちは皆呆気に取られしばらくそこへ立ち尽くすばかりでした。

 水門はそれから二度と閉じることがなくその後に来た大雨によってこれまでにないほどの水害が村を襲ったのでした。


***** ***** ***** ***** *****


***** ***** ***** ***** *****


 かつて水門と橋のあったところに小さな祠が建てられております。水害から生き残った村人がきっと菊代を偲んで立てたものに違いありませんが今となってはそれは誰も知るよしはありません。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

橋になった娘 山椒亭膜文 @sansyo-tokage

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ