2.

 旅僧は村で何人か見繕うと、その者たちを筆頭にこれまたいくらかの人足を従えて水門の工事に当たらました。冬の間は村として何もすることのない、力を持て余した若者たちは力いっぱいに体を動かしました。そしてついに春が始まる頃までに大体の工事が終わったのでした。

「基礎の土木は完了してあとはそれを動かすための命令制御文を夏が始まるまでに私は書き上げよう。ただそれを実際に読んで理解し、必要なときに判断してくれる脳髄は決してなくてはならない。すぐにとは言わぬ。雨が降る時期までには一人決めて欲しい。」


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 村長は大変に悩みました。この僧の言う条件に当てはまるものはすでに一人、村長の胸の中では決まっていました。ただ条件を満たすものであれば実は村に何人もいます。ただその一人を除いては、後継であったり、京都へ奉公に出る予定のものだったのです。もちろん村長の立場でその者たちに、仕方のないことだと言うことはできないわけではありません。しかしそれをしてしまったのなら、自身の呵責に耐え得るだけの心持ちはありません。それならいっそそれが少しでも軽くなるような者を、そう思いつつ庭先の花が散る様子をこの先の自分自身と重ね合わせるのでした。


 早乙女が村の全ての水田に苗植えが終わった日の夜、村長は大変に暗い顔で自分の娘である菊代を呼びつけました。

「お前にこんなことを、親が子にこんな頼みをしなければならないなんていったいどのような業を前世で積んでしまったのだろう。しかしこれはこの村のため、今後のこの村に住むものたちのためでもあるのだ。どうか、頼みを引き受けてくれやしないだろうか。」

 菊代は少し俯き、口をきっと結びます。そして夜も更けてしまうかのようなぬばたまの静寂が二人の間で流れたのでした。

 再び菊代が顔を上げると同時に口を開きます。

「それが村のみんなのためになると仰るのなら、喜んで私が水門の制御装置となりましょう。ただ、それまでの間私に幾分かの自由と、そして三郎様との契りを認めて欲しいのです。」


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 ここで少し、菊代と三郎について話をしておきましょう。二人は村でも評判の仲睦まじい間柄でした。いつからそうなったのかは誰もはっきりとその瞬間のことを覚えているわけではありません。幼い頃から遊んでいたら、ただ自然とそうあるようにいつの間にかそうなっていたのでした。しかし残酷なことにこの時代においては、好いた相手と最後まで共に過ごすということは難しい話でした。大抵、それは身分であったり、家と家の問題であったりというものです。もちろん村長の娘と三郎の間でも例外ではありません。三郎も次の家を継ぐ嫡男でありましたし、なにより菊代の家も村の代役です。今まで幾度となく三郎も菊代も、二人の契りを希ったものの、それは決して叶うことはありませんでした。


 村長は娘に人柱になるように言った明る日の朝一番に三郎の住む家に行きました。

「私の娘の最後の願いだ。今までは身分も世間のせいにして、そうもいかないと儂の娘との婚姻は決して許さなかった。そして事情が事情となれば、君を無下に扱った過去を無かったことにしてくれと言うのもを恥知らずにも程があることは分かっている。ただ、どうにか君には、後生の頼みとして、村のためにも、最後まで娘をよくしてやってくれ。」

三郎は黙って村長以上に頭を下げました。


 三郎は代わってやれるなら菊代の立場を代わってやりたかったのです。しかしそれはもうどうにもならない話でありました。それをどうにかするよりも、菊代が水門になるその日までを一緒に過ごしてやりたいと考えるようになりました。気持ちは他の村人も同じでした。菊代が制御装置としてその身を御されるまであと幾月もありません。それならば、折角ならばと村人総出で三郎と菊代の結納の義をあげようとなったのでした。


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 菊代は三郎の胸の中で月を見上げておりました。

「もし私が物言わぬ水門となったとしても、貴方様がこれからも愛してくださるのなら今生に未練はありません。」

「ああ菊代、私の可愛い菊代よ。俺が毎日水門のところへ行ってはお前のために話しかけよう。お前のために毎日変わらぬ愛を言葉を水門の前で捧げよう。」


 小雨が降る朝、結納の儀列はしんしんと進んでいきます。そしてその列は二人の家を回ったあと、川の向こうの社へ続く橋へと差し掛かりました。

この橋は今は渡れるようになっておりますが、必要があれば真ん中のところより分かれるようになっており、連動して水門が開くようになっております。大水の時になればこの水門を閉じて村へと溢れる水をここで止め、逆にそうではない時は門を開けておいて田作に必要な水を貯めておくものでした。ただ今まではそれをするのに直接ここへ赴かなければならず、また細かい調整ができないために、門自体の強度が耐えられず決壊してしまうこともしばしばでした。

 そこで制御装置をここに繋ぐことによって開くことも閉じることも、水流の強さの機微を見てをすることも全て人をここへやることなく自律して制御することができるのです。そしてこの制御装置は、人が数を数えたり物事を合理で考える部分、すなわち脳髄を組み入れることで成り立つのです。制御装置に使用する脳髄はなんでもいいというわけではありません。命令文があるとはいえ、これを理解し、誤った解釈をしないだけのものは必要です。また脳髄は適切な管理をしていれば長持ちはさせられます。とはいえ年月が経てば劣化しそれだけ誤りも多くなります。だから若いものを使うのに越したことはないのです。


列は橋を渡ってゆきます。

「ああ、私はあと少しでここで水門となって村を守り続けるのですね。とても誇らしいことではありますがしかし私が壊れる最後の時までここにいなければならないことは、やはりとても淋しく思います。」

「菊代よ、私は今後の生涯も誰ともお前以外に契ることはないだろう、春になればここへお前の好きな花を飾り、秋になればお前の好きな餅をここへ持ってこよう。雪が降れば寒いだろうから凍えないように温かいものを持ってこよう。」


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 山藤が青々としてきた頃、菊代の脳髄は旅僧によって摘出され、保存液に浸された硝子の瓶に慎重に詰められました。この硝子の瓶にいくつか金属線が伸びていてそれらは精密に制御装置に繋ぎ組み込まれました。


水門はこうして梅雨が来る前に完成したのでした。


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 この年幾度か大雨がきました。しかし秋が終わっても一度も水門は正確に誤りなく作動し、ついに村を長年悩ませていた水害は治められたのでした。

菊代の残った体はこれまた旅僧によって荼毘に付されました。村人たちによって菊代の体は壮大に送り出され、そして灰は三郎と結納の義を挙げた社へそのまま納められました。

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