第3話
どれくらいたっただろう。
お尻が痛くなり始めた頃、やっと王宮に到着した。
来た道を戻ってきただけなのに、往路より倍以上長く感じた。
マリーに公爵とのあのやり取りを聞かれていないか心配だったけれど、あのとき彼女は公爵邸の執事長となにか話していたようで何も聞いていなかったらしく安心した。
「マリー、部屋に戻る前に王妃陛下のお部屋へ行くわ」
「かしこまりました」
縁談の話をされたとき、セルヴィ様に「帰ってきたら一番に私にどうだったか教えてね」と言われていたのだ。
部屋へ戻るついでと言っては何だが、帰り道にちょうどセルヴィ様の部屋があるので早く報告を済ませよう。
セルヴィ様の部屋の前まで行くと、重厚で豪華な扉の前に護衛が2人立っていた。
「王妃陛下にお目通り願いたいのですが」
「少々お待ちください」
護衛が扉をノックすると、「どうぞ」と玉を転がすような美しい声が向こうから聞こえた。
扉が開くと口元に扇子を添えるセルヴィ様と、彼女の肩に腕をかけている濃い紫の瞳をもち黄金色の髪を後方へ流した端正な顔立ちの男がソファに座っていた。
アルバト・ロス=ラミレス。
クラッサ王国国王だ。
その男は私を見るなり、心底不機嫌そうに顔をしかめた。
彼らの目の前の机にはたくさんの装飾品が置かれている。
今日は商人がアクセサリーを売りに来る日だったのか。
少し時間が遅いような気がするけれど。
あの男の政務が日中に終わらなかったのだろうか。
「ご歓談中失礼いたします」
「いいのよ、あなたも座って。話を聞かせて頂戴」
セルヴィは柔らかく微笑むと、向かい側のソファを手で示した。
しかし生憎だが、目の前の男が睨みつけてくるこの空間に長居するつもりはない。
それにあの男はセルヴィ様のために何かするのがとにかく好きなようだから、邪魔をするのはなるべく避けたかったのだが。
来るタイミングが悪かった。
ゆっくりと首をふる。
「いえ、このあと所用がございますのですぐに御暇させていただきます」
「あら、そうなの…」
セルヴィ様は残念そうに眉尻を下げた。
本当は用事などないのだけれど。
「さっさと話してその用とやらに行ったらどうだ?」
国王は、あいも変わらず不機嫌そうに私を睨みつけている。
「そうね、あなたも忙しいのだもの」
頷いて、あまりあの男に近寄りたくないので扉の前で立ったまま口を開く。
「閣下は私が傾倒している小説作家をご存知で、お話が盛り上がりました。お屋敷もたいへん美しくて、噂通りとっても素敵な方でした」
「あら、いいじゃない。何か不満なこともなかったの?」
帰り際のあのやりとりは胸にしまって、こくりと頷く。
「はい、全く」
「よかったわ。婚姻まで早く進められそうね。これから忙しくなると思うけど、よろしくね」
「はい。それでは失礼いたします」
そう言うと、国王は “やっとか” とでも言うように私から視線を逸らし鼻を鳴らした。
セルヴィ様はというと終始同じように口元を扇子で隠して、にこにこと笑いながら手を振っていた。
私は扉の前で腰を曲げて退出した。
部屋を出てしばらくすると、マリーが首を傾げて口を開いた。
「国王陛下は今回の縁談、あまり乗り気でいらっしゃらないのでしょうか?」
「そうじゃないわ。ただ、私のことに興味がないだけよ」
これだけは確信をもって言える。
あの男の優先順位は、セルヴィ、国政、王子・王女 だ。
そしてその3つ目に私は含まれていない。
他の王子や王女の縁談話には少なくとも私よりかは興味を示すだろう。
実際に第1王女と第2王子の婚約の時は、もっと積極的に関わっていた。
もちろん政に大きな影響があるということも大きいが、それだけではないと思う。
まあ、あの男に興味を持たれていないことはちっとも悲しくないけれど。
むしろそのほうがありがたいくらいだ。
「ですが…」
「お姉様ではないですか」
マリーが話しかけたところで、澄んだ声が長い廊下に響いた。
振り返ると、シャリアとロザリアが立っていた。
「お姉様、もう帰ってらしたの?随分とお早いご帰宅ですわね」
見下すように笑うロザリアに、シャリアはかがみ込んでロザリアの耳元で口に手を添えた。
「きっとアイザイン卿に相手にされなかったのよ。お可哀想に」
まるで内緒話をしているようだけど、彼女は少しも私に聞こえないように話すつもりなどなくてこちらに丸聞こえだ。
2人はくすくすと笑い声をあげている。
これだけ見ると、仲の良い姉妹が冗談を言って笑い合っているような微笑ましい光景に感じる。
私はそこに入れないどころか、目の前で堂々と陰口を叩かれているのだと思うと気分が沈んで、無意識に俯いてしまう。
コツコツという音とともに視界に真っ赤な皮の靴が入り込んだ。
顔を上げると、ロザリアはふんっと鼻を鳴らし両手を腰に添えて勝ち誇ったかのような顔を向けてきた。
「私達これから、セルヴィ様と一緒にお父様に装飾品を買っていただくの」
「お姉様はお呼ばれにならなかったのですか?」
そんなこといつものことだ。
国王はセルヴィの装飾品を購入する時いつも王女たちを呼ぶけれど、私は呼ばれたことがない。
そんなことは周知の事実で、今更誰もその話を持ち出したりしない。
そうだというのに、どうして今になってこんなことを言ってくるのか不思議で仕方ない。
「呼ばれていません」
「まあ、これから婚約者もおできになってご入り用でしょうに。私のアクセサリーを貸して差し上げましょうか?」
シャリアはニヤニヤと笑って私の言葉を待っている。
彼女がこういう顔をしているときは、例外なく悪巧みを考えているときだ。
きっと私を貶めるいい算段が思いついたのだろう。
「とてもありがたいお申し出ですが、お断りいたします」
私は腰を曲げて頭を下げた。
また因縁をつけられるかもしれないと、身構えながら。
しかし、続く言葉は予想外のものだった。
「それは残念です。ロザリー早く行きましょう」
顔を上げると彼女は先程の嫌な笑みを消し、にこっと笑ってロザリアの手を引き私の横を通り過ぎていった。
予想以上にあっさりと引き下がった彼女に、なんだか嫌な予感がする。
何も起きないといいのだけど。
シャリアとロザリアの姿がすっかり遠くなってからマリーの方を振り返ると、彼女は今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「あなたがそんな顔しないで」
「……殿下はなぜ、………いえ、何でもありません」
彼女は何かを言いかけて、口を噤んで俯いた。
「…そう。戻りましょうか 」
マリーの言いたいことはわかる。
“なぜ、言い返さないのか” だろう。
そんなことよく考えればわかる。
私が妾腹の子で、そんな事が出来る立場ではないからだ。
そう思い至って、彼女は口を噤んだのだろう。
けれど私は多分、彼女たちと対等な立場だったとしても言い返さないと思う。
言い返したりして、火に油を注ぐのが怖いから。
そして、その末に嫌われることが。
もう既に疎まれていることくらい分かっているのに。
考えれば考えるほどに、私はどうしてこんなに気弱で陰気なのだろう。
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