第4話

『アイザイン卿との顔合わせはぴったり2週間後よ。少し急だけど準備しておいてね』


王妃陛下のその言葉を聞いてから、自室に戻るため長い廊下を歩く。

顔合わせは相手方の屋敷で行うそうだから、急いでスリアナ皇国の礼儀作法を学ばなければ。


そんなことを考えながら歩いていると、向こうから後ろに数人引き連れて誰かが歩いてくるのが見えた。


王妃陛下と似たキラキラと輝く金色の髪と王族の象徴であるすみれ色の瞳を持った端正な顔立ちをした青年。


ルーク・ロス=ラミレス。

クラッサ王国第一王子だ。

そして3つ年上の私の異母兄弟。


ルークが5歩ほど前に来たところでカーテシーをする。


「ご機嫌麗しゅう、王太子殿下」


「ああ、久しぶりだな。」


いつもと変わらない無表情だ。

この人はいつも、何を考えているのかよくわからない。


王宮に入る前から、このクラッサ王国には8人の王子と王女がいることは知っていた。

そして私の父、アルバト国王が現王妃を含めて今までに7人の王妃を娶ったということも。


現国王は好色家で、私のような庶子も厳密に何人いるか分からないほど多い。

王宮で生活している庶子は私一人だけれど。

使用人の女性は、何人も手を出されて仕事をやめていった。

そうすると婚姻前の女性は皆、嫁の貰い手がなくなる。

だからこんな場所で働こうとする女性はおらず、王宮には若い女性の使用人はほとんどいなかった。


現王妃、セルヴィ・ガルシアが娶られるまでは。


はっきり言ってしまうと、アルバト国王はセルヴィ王妃に惚れ込んでいる。


セルヴィ王妃が嫁いできてから少し経った頃から、今まであらゆる女性に向けていた関心を、セルヴィ一人だけに注いでいるのだ。


その事実が国中に広まってからは、王宮で働く使用人の女性も以前と比べ物にならないほど増えた。


今まで国王の好色ぶりに不満を溜め込んでいた国民たちも多かった。

王宮の給金は他の貴族の屋敷で働くよりも格段に高いので王宮で働きたいと考えても、国王のせいで若い女性はそれができなかった。

娘が手を出されて怒り狂っている両親たちも何人もいた。


国王の手癖の悪さは、国内では大きな問題だったのだ。


それでも反乱が起きなかった理由は、ひとえにアルバト国王の政のうまさだ。

そもそもこのクラッサ王国は、弱小国の部類に入るほど小さな国だった。

それがアルバトが国王になってからは、みるみる領土が広がり、今では大陸で1番強大な国になった。


これで女癖が悪くなければ完璧な王なのにと、よく国民からは口にされていた。

その欠点が数年前からなくなり、国は以前より格段に活気づいている。


現王妃セルヴィはその人柄の良さと美しい容姿も相まって、彼女のおかげて助かったと国中の民から慕われている。


私も、貧民街から救っていただいた過去があり、王宮入りしてからも実の娘のように可愛がっていただいているので、セルヴィ王妃陛下をとてもお慕いしている。


しかし、王子や王女は私が王宮に入ることが気に入らなかったらしく、王宮入りした日から度々嫌がらせをされている。

それも今は昔のように子供っぽい嫌がらせではなくて、ねちっこいことばかりしてくるのでたちが悪い。


ただ唯一、異母兄弟の中でそんなことをしてこなかった人物。

それが、今目の前にいる王太子だ。


だけどそれは、私のことを気に入っているとか可愛がっているとか、そういうことではない。


この人は、ただ私に興味がないのだと思う。

嫌がらせをするにも値しない人間。

きっとそう思われているのだろう。


そんなことを考えていると、全く表情を変えないままルークが口を開いた。


「婚約すると聞いた。お相手はスリアナのアイザイン卿らしいな」


ルークから話しかけられたことに驚いた。

彼とは全くと言っていいほど挨拶以外の言葉を交わしたことがないからだ。


しかし彼も未来の国王。

仮にも王女と敵国の公爵との縁談は気になるのが当然か。


「はい。公爵閣下とは2週間後にお会いするんです」


「そうか」


特に大した返事は返ってこなかったので、「それでは、失礼します」と言ってその場を立ち去ろうと振り向いたとき、アグネス、と名前を呼ばれた。


彼に名前を呼ばれたのは片手で数えられるくらいしかない。

名前を呼ばれた事実にまた驚く。

彼は無口の部類に入る人だと思うのだが、今日は随分とよく話す。


振り返ると相変わらず同じ表情で私を見つめていた。


「一つだけ言っておく。この婚約は、国王陛下がお決めになったことではない」


ーやはり。

国王は政に自分以外の人間が関わるのを良しとしない。


以前までは。


今は、国王が唯一願いを聞き入れる人物がいる。


彼女がこの縁談を持ち込んだのなら、その理由はー


けれど、庶子の私が首を突っ込むわけには行かない。

これは私の縁談なのだから、首を突っ込んではいるのだが。


「私は何も存じません。でもご安心ください。王太子殿下にも、他の王族の方にもご迷惑はおかけしませんから」


珍しくルークの表情がほんの少しだけ変わったような気がした。

わずかに目を見開いたような…。


もしかして、嫌味のように聞こえたのだろうか。

私は微笑んで言ったつもりだったが、上手く笑えていなかったのか。

いつからか、笑うことが凄く苦手になった。


無愛想で無表情なのでつまらないと、よく王子や王女に言われる。

だからルークのことを無表情で気持ちが読めないなんて、私が言えたことではないのだ。


ルークがなにか言いかけて口を開いたが、またすぐに閉じた。

人に遠慮なんてせずに言ってきそうな人なのに珍しいなと思う。


彼のことをあまりよく知らないので、私が知る限りではだが。


ルークはもう口を開こうとはせず、キラキラと輝く菫色の目で私を見つめてくる。

もう話はないようなので、今度こそ立ち去ろうとする。


「では、失礼いたします」


少し礼をして、その場をあとにした。

背中には、痛いほどの視線を感じたけれど。

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