第4話
※少し残酷な描写を含みます
セルヴィ様が今月のお小遣いを少し多くしてくださった。
これで教会へいつもよりたくさん寄付できる。
セルヴィ様から頂いたお金を大切に鞄にしまって、肩に掛ける。
「じゃあ、行ってくるわ。いつも通り宜しくね」
「はい!お任せください!」
マリーはドンと胸を叩いて、元気よく送り出してくれた。
王宮の抜け道を通って街に降りていく。
今日は炊き出しの日だ。
読書ともう一つの私の楽しみ。
いつもは髪を下ろしているけれど、今日はひとつ結びにした。
すっきりして、いつもより足が軽い。
平民から見れば上等な、いつも着ているドレスよりずっと動きやすい服を着ているので、なんだか開放感がある。
私の瞳は至近距離で目を凝らして見ないと紫色が見えないし、髪の色も顔立ちもとても王族の血を引いているようには見えないから、変装しなくて済む。
この容姿で良かったと思える唯一のことだ。
栄える街を通り過ぎてしばらく歩き続けると、ようやく貧民街にたどり着いた。
やっぱり炊き出しの日はいつもの何倍も人が多い。
キョロキョロと辺りを見渡すと、忙しく動き回っている女性を見つけた。
「こんにちは。シスター」
声を掛けると、柔らかい雰囲気の可愛らしい女性が輝くばかりの笑顔で振り返った。
「エマちゃん!こんにちは」
エマはここに来るときの偽名だ。
特に深い意味はなくて、最初にシスターに会った時、適当に思いついたものを名乗った。
シスターは慈善事業に本当に真剣に取り組んでいて、支援してくれる貴族や資産家を探して毎日のように走り回っている。
可愛らしい容姿も相まって、天使のようだと貧民街の人々に慕われている。
「忙しいのに呼び止めてしまってすみません。こちら、今月の寄付金です」
シスターは宝物を扱うようにそっと包を受け取った。
「いつもありがとう。エマちゃんには本当に助けられてるわ」
「いえ、そんな。何かお手伝いできることはありますか?」
シスターはあたりを見渡して、私の斜め後ろを手で示した。
「配膳の人手が足りないようだから、お願いできる?」
「はい。もちろんです」
私が頷くと、シスターは「ありがとう」と言って手を振ってくれた。
私が配膳を手伝い始めると、今まで先が見えないくらい長かった列がすぐに無くなって、もう片付けをするだけの状態になった。
少しだけ残ったスープをどうしようかと考えていると、切り株に座ってぼうっとどこかを眺めている老人が目に入った。
まるで生気のないようなその様子が気がかりで、余っていたスープを注いで急いで駆け寄った。
老人の視界に入るように、そっとスープを差し出す。
「どうぞ。温かいスープですよ」
「おぉ、ありがとう。お嬢さん」
老人は震える手で器を受け取ると、ゆっくりとスープを飲み始めた。
しばらくちびちびと飲んだ後、ほうっと息を吐いた。
老人の顔は、先程よりも柔らかくなったような気がする。
「久しぶりにこんなに美味しいものを食べたよ」
「よかったです」
なんだか心配で側に付いていたけれど、先程より顔色も良くなったようだし平気かと思い立ち去ろうとすると、老人がまるで独り言でも呟くように口を開いた。
「……お嬢さんは、イスタンシル皇国を知っているかい?」
────────イスタンシル。
心臓が早鐘を打つ。
知らないはずがない。だって、その国は…。
唇をぎゅっと引き結び、ゆっくり首を横に振る。
「………いいえ。知りません」
「そうかい…。イスタンシルはね、小さな国ではあったが資源は豊富で、それはそれは美しい国だった。民も穏やかで心優しい者たちばかりでの…。私はあの国が大好きだったよ」
黙って老人の話に耳を傾ける。
老人はわずかに掠れた声で続けた。
「私はイスタンシルの皇女殿下の乳母をしていたんだ。皇族の方たちは皆、見目も心もお美しくてねぇ…。国民みんなに慕われていたよ。もちろん私もね。私は一生、皇女殿下にお仕えするつもりだったんだ。…だけどある日突然、この国……クラッサ王国に攻め入られてね…。呆気なかったよ。そしてあろうことか、私はあの日、休暇をもらって国外に出ていてね…。命に変えても守ろうと誓っていた殿下を、お守りすることができなかった…。本当に、馬鹿だね」
老人は自嘲するように笑うと、思い詰めたように俯いた。
「私がイスタンシルに帰ったのは、もうほとんどあの国が陥落した後だった。私は皇族の方々のご無事を祈りながら城に向かった。だが、城は燃え盛っていて、とても中に入れるような状態じゃなかった。もう、私は放心状態でね、そこから何をしたのか、全く覚えていない。気がついたら皇国で一番広い広場に来ていた。そこで皇族が、口にすることもできないくらい……、惨い殺され方をしていた…。…いま思い出しても、吐き気がするよ。あいつらは、クラッサの兵士は笑ってたんだ。私には、化け物に見えた」
その光景を想像して、鳥肌が立つ。
老人は俯いていて、表情はあまり見えないが、僅かに唇が震えているように見える。
「何よりも酷いのは、あの時のこの国の王妃がイスタンシルの第1皇女殿下だったことだ。国王はあろうことか、王妃の母国を滅ぼしたんだよ。私は…、あの男だけはどうしても許せん。あの時の…あの方の心情を考えると、堪らない気持ちになるよ。その後は、あの方は病死したと公表されたが、誰もそんな事信じとらんよ。あの方が亡くなられた時、この国の王太子殿下は1歳にもなっていなかった。母親を殺されたようなもんだ。王太子殿下は、国王を恨んでおられないのかの……」
アルバト国王がイスタンシル皇国への侵攻命令を出した時の王妃は、第1王妃。
つまり、王太子であるルークの母親なのだ。
ルークはいつも無表情で何を考えているのか全くわからない。
幼い頃の記憶はないだろうが、自分の母のことを知らないはずがない。
もしかしたら、あの男のことを憎んでいるのだろうか。
「あなたは、これからどうするおつもりですか?」
気がつけば口からこぼれていた。
そんな事聞いたって、どうすることも出来ないのに。
「…さぁ、…どうしようかねぇ…。もう私には、帰る場所がないんだ。あの侵攻で、家族もみんな殺された。今までと同じように、死んだように生きていくしかないのかね…」
口の中が苦い。
目の前の私に、自分の国を滅ぼした元凶の男の血が流れているとわかったら、彼女は私にも憎しみを向けるのだろうか。
老人の骨だけのような手をぎゅっと握った。
「…ごめんなさい」
「ほほっ。変わったお嬢さんだね。どうしてあんたが謝るんだい?」
老人は皺々の顔にもっと皺をつくって笑った。
その笑顔にすら、胸がズキズキと痛んだ。
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