第5話

地響きのような雷の轟に、叩き起こされるようにして目が覚めた。

顔だけ向けて、窓の外を見る。

まだ外は真っ暗で、滝のような雨が地面と窓を叩きつける音だけが響いていた。


廊下に出てみても、人気がまったくない。

まだ朝ではなく、夜中のようだ。


目が覚めてしまったし喉が渇いたので、水でも取りに行こうか。

マリーは寝ているし、こんなことで起こすわけにはいかないので、一人静かに調理場へ向かう。


広く長い廊下を進み、突き当りの階段を降りると、薄暗い廊下の隅に人影が見えた。

目を凝らしてみる。


──────セルヴィ様だ。


両耳を押さえ、膝を抱え込むようにして蹲っている。

急いで駆け寄って膝を落とした。


「セルヴィ様、どうなさったのですか?」


口から出た声は、思っていたよりずっと落ち着いて聞こえた。

しかし、セルヴィ様はいつも柔らかく微笑んでいる人で、こんなに弱々しい姿は初めて見るので内心は焦りでいっぱいだ。


「………へ、平気よ……。ごめんなさい……」


その声は今までに聞いたことのないくらい震えていて、今にも泣き出してしまいそうだ。

とても平気には見えない。

セルヴィ様の顔を覗き込むが、いつも綺麗に結われている髪は無造作に垂れていて、表情が見えない。


「なぜお一人で?護衛はどうなさったのですか?」


「……」


セルヴィ様は肩を震わせ俯いたまま、何も答えない。


セルヴィ様と国王の眠る寝室の前には、常時護衛が控えているはずだ。

その護衛が、セルヴィ様を一人で歩かせるなんてあり得ない。

彼女をそんな危険な目に合わせたことを国王が知れば、怒り狂って首をはねられるかもしれないし。


無意識に、2人の寝室のある方向に顔を向ける。

今は、国王一人だけが眠っているであろう部屋。


ふと、ある疑問が頭をよぎる。


国王は今から20年と少し前は、先陣を切って戦場を駆け抜けた武将だった。

武術に長け、さらには知略も優れていたから、弱小国であったこの国をここまでの大国に出来たのだろう。

結果だけ見れば、国の繁栄に寄与した偉大な功労者だ。

しかしその過程では数多くの犠牲を生み、残虐なこともしてきたわけで。


つまるところ、国王には敵が多いのだ。

私の知る限り、あの男はいつも気を張って生活している。

それは、眠っている時も例外ではない。

昔、国王の相手をして彼が眠っている間に部屋を出ようとした女性がいた。

しかし、その気配を感じ取ったあの男に侵入者と間違えられてその場で斬られたとか。

本当に、知れば知るほど残酷な男だ。

あの男が、自分と同じベットで眠る人が部屋を出ていく時の気配に気が付かなかったなんて。


よほど鈍ったのか。

無理もない。なにせ、戦場から20年以上離れているのだから。

それとも、セルヴィ様の側で気を抜いていたのだろうか。きっと彼女の前では、あの男は隙だらけなのだろう。

もしかすると、あの白い首を締め上げるのも、彼女にとっては容易いことなのかもしれない。


そんな不穏な考えを払拭するように、凄まじく大きな雷鳴が轟いた。

びくりと肩を震わせて窓の外を見る。

いっそう激しくなった雨が、窓を叩きつけていた。


ぼんやりと外を眺めていると、突然がっしりと肩を掴まれた。

驚いて弾かれるように振り返ると、セルヴィ様は不安げに瞳を揺らしてこちらを見ていた。

その姿はまるで小さい少女のようで、いつもよりずっと幼く見える。


「…おねがい……、ここにいて…」


蚊の鳴くように細い声が耳に届いた。

しっかりと視線を合わせ、肩に添えられた手を両手で包み込むようにして握りしめた。


「ご安心ください。私はどこにも行きませんよ」


そう言うと、セルヴィ様はほっとしたように肩の力を抜いて頷いた。

セルヴィ様の横に座り直して、向かいの窓を眺める。

どちらも何も話すことなく、時間だけが過ぎていった。


何時間経ったのだろう。

眠気に襲われて首が傾きかけた時、セルヴィ様が口を開いた。顔を上げて彼女に目を向ける。


「……昔…、…こんな、嵐の日に…、すごく、嫌なことがあったの」


…嫌なこと。

私は黙って相槌を打った。

俯いているセルヴィ様に見えていたかは分からないけれど。

ただ、返す言葉が見つからなかったのだ。


「…こういう日は、その時のこと思い出しちゃって。………最近は、落ち着いていたんだけど…。だめね。気を抜いたらすぐこうよ………」


セルヴィ様は顔を上げて私を見た。

無理をして、必死に口角を上げているように見え

る。その姿は、あまりにも痛々しい。


何か言わないと。

そう思うのに、気の利いた言葉が思いつかない。

何も言えないでいると、セルヴィ様は申し訳無さそうに笑った。


「ごめんなさい。こんな話して」


セルヴィ様は悪くない。気の利かない、私が悪いのに。

首を横に振る。私は必死に弁明するように言葉を紡いだ。ずっと知りたかったことも混ぜて。


「そんな、とんでもございません。私は、セルヴィ様のお話をお聞きしたいのです」


「私の話…?」


「セルヴィ様自身のお話です」


セルヴィ様は思い悩むように顎に手を添えて、少しすると私に向き直った。


「面白い話ではないのだけれど、急に思い出して。幼い頃よく、家族と一緒に湖で魚釣りをしたの。それがすっごく楽しくてね。久しぶりにやりたいわぁ」


「魚釣り、ですか」


少し意外だ。

セルヴィ様は釣られた魚を食べる人で、自分から獲物を獲りに行くことはしないと思っていたからだ。

この人が魚を獲っている姿が想像できない。


「本当に、とっても楽しいのよ。貴方は、やったことがないの?」


「はい。残念ながら」


「まあ、勿体無いわ」


セルヴィ様は肩を竦めて、眉を下げた。

私が「やってみたいです」と言うと、彼女は真面目な顔つきで窓の外を見やって、まるで独り言でも呟くようにぽつりと言葉を零した。


「……全部終わったら一緒に湖に行って、魚釣りをしましょう。きっと楽しいわ」


「…!はい。その日が待ち遠しいです」


セルヴィ様はよく私をお茶に誘ったりしてくれるけれど、体を動かすようなことはしたことがない。

だから、いつになるかも本当に出来るのかも分からないけれど、すごく楽しみだ。


セルヴィ様が嫁いできて、もう10年になる。

そして、私がセルヴィ様と出会ってから8年経つ。

かなり長い時間を、彼女と過ごしたと思う。

けれどセルヴィ様自身の話が聞けたのは、これが初めてだ。

そう思うと悲しい反面、先程の出来事は凄く嬉しく感じる。


心の中だけで笑っていると、セルヴィ様はいきなりすくっと立ち上がって、お尻を両手で払った。


「付き合ってくれて有り難う。そろそろ戻りましょう」


振り返ったセルヴィ様は、あんなに怯えたように震えていたのが嘘みたいに、いつも通り柔らかく微笑んでいた。

私が立ち上がると、何かを思い出し「あっ」と小さく呟いて、内緒話をするように私の耳元に近づいた。


「これはまだ秘密なんだけど、もうすぐ貴方が王族だと正式に認められるわ。もちろん、王族の姓も名乗れるようになるの」


目を見開いた。

突然の告白に、段々と鼓動が速くなっていく感覚がする。汗のにじむ手を握りしめた。


「まだ誰にも言ってはだめよ」


釘を差すように、人差し指を口に添えてそう言われる。

「はい」と落ち着き払った声で返事をしても、心臓はどくどくと早鐘を打っていた。


まだ、雨は止まない。

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