本を手放した話。

持っていた本を全部捨てた。


過去に書いた通り、私は紙の本が好きだ。

大好きだ。それを心のよりどころとし、魂に食わせて生きてきた。自分でも書いたし、人生の半分以上を読み書きに捧げ、図書館司書としてもわりといいとこまでいった。この職業が日本という国でもう少し尊ばれていたならば、今も司書として働いていたことだろう。


んで、それを、全部捨てた。


いや、語弊がある。捨てたというより、手放した。やけくそになったわけではない。きちんと、自分で決めて、手放した。一冊残らずだ。

自分で組み立てた本棚三つがすべてからっぽになり、小さな寂寥感と大きな爽快感に包まれている。


踏み切ったのは、なんのことはない、引っ越しが多くなり、どうしても持ち物を減らす必要に迫られたからだ。何度か引っ越しを経験してはいたが、その都度でかい家具を解体したりするの、本当に面倒くさいな、引っ越し料金もかさむし……と感じていた。いっそのこと思いっきり身軽に生きてみようか。持ち物を最低限にして、それを厳選して、全部お気に入りのものしかない空間をつくるのも楽しいかもしれない。

思ってすぐ、買い取り業者に連絡を入れた。

やってきた業者のおっちゃんは、「なんでも買い取りますよ!」と最初は威勢が良かったが、私がいろいろと指定するとだんだん無言になり、そして、言った。


「……夜逃げですか?」


ちがわい。



自分の生活にいるものといらないものを分けるのは案外楽しかった。たとえば、ベッドを捨てた。マットを引いて寝てみたら、ぎょうぎょうしいフレームはいらないなと思えた。自分で解体できる程度のすのこのフレームでも買えば十分だ。それまではホテルのような、ヘッドボードが光るベッドを使っていた。だが私は学んだ。ベッドは、光らなくて、いい。


自転車も、都会で生きていくうえで必要なかった。数年使用していない。運ぶ手間を考えれば、次に自転車を使う環境に暮らすとき新しく買った方がよい。

炊飯器。米はフライパンで炊ける。あれば便利だが、この際手放して暮らしてみようと思った。なんせ一年使っていない。トースターも捨てた。同じくフライパンで焼ける。というか、パンしか焼かないのにこんなでかい機械を置いておくの、コスパが悪すぎないか。最近はあまりパンも焼かない。自分で書いてて思ったが、わたしはいったい何を食って生きてきたんだろうか。


食器棚を売り、皿やカトラリーも最低限使っている数枚を残してすべて売った。山ほどあるハイブランドのコスメは、ほしいという同僚にすべて譲った。三本あった傘は、一本だけ残して捨てた。マルジェラのブーツもジルサンダーのワンピースも、価格に関わらずもう使わないものはいさぎよく売った。ため込んでいた紙袋も破棄、カーペットもなくても暮らせるなと捨ててみた。趣味にしていた手芸用品も、もうしないと決めて人に譲った。断捨離というのは、「しないこと」を選び取るものなのだな、と学んだ。


ひとまずぐっと持ち物を減らして、さてと思い出類を振り返る。ここまでで既に色々悟りを得ていた。モノは重要でない。大切なのはそこから何を得たかだ。自分の中にそれはすべてある。すでに数年見返していないものに今更何の価値があろうか。

捨てられずに全部スクラップしていた旅行のチケットやら映画の半券などの紙物をスクラップブックごと捨てた。旅行の楽しさは既に文章や写真で残しており、暇なときによく見返している。というか、私はけっこうまめに文章で感想を残す癖があるので、たいていのことはそこを探せば追体験が可能だ。


捨てに捨て、不思議なことに心も軽くなっていた。そうか、手放しても落ち込まないものに囲まれて暮らしていたわけか。

思い入れのある大切なものも、手放してそんなに大きなダメージがなかった。たぶん、私の中で準備ができていたのだ。ものそのものを手放しても、自分の中に大切に残しておける準備が。


そして、最後の鬼門である本に手をかけた。

さすがに躊躇した。

ぜんぶ、私をつくってきた物語だ。今はもう手に入らない本も多い。状態はすべてとてもよく、誰に貸しても恥ずかしくない。私にとって超一級の物語が燦然と本棚で輝いている。私と趣味の合う人なら、いや、ここは正直に申し上げるけれどたぶんたいていの人が、人生に残る一冊を見つけられるであろう最高の本棚。


ここをどうするかは、実は既に決めていた。


趣味を手広く、長くやっているので、いろんな界隈にいろんな知り合いがいる。

ありがたいことに、実際に会ったり喋ったりして面識のある人も多い。

この人、こういう本が好きそうだなという目星をつけて、かたっぱしから声をかけた。


子供がいる人には絵本を。

映画パンフレットは作品のファンに。

最近モキュメンタリーにハマっている人に小野不由美を。

遅れてアニメを見はじめ、今ハマっている人に原作漫画の全巻セット。


意外と需要はあった。というか、ありすぎた。

次々と本が本棚から消えていった。連日、さまざまな場所に私の本を発送した。北海道から沖縄まで、全国に私のコレクションはちらばっていった。本当にありがたいことだ。


何がうれしいって、「ハムさんのコレクションならおもしろいのは間違いないから」といって受け取ってくれる人が多かったこと。自分の境遇や好みを教えてくれて、こんな僕におすすめの本があればお願いします、という依頼も少なくなかった。まるでもう一度図書館司書になれた気がして、ちょっと泣けた。こんな気持ちをくれるのだから、やはり私の本は最後まで私の味方だ。


すべてに手書きの手紙をつけた。

もし必要ないと思ったら、私に気を遣わず手放してください、という趣旨の言葉を必ずつけた。だって、私の思いを人に負わせるのは違う。



仕掛け絵本のコレクションは、子供がいる家にもらわれていった。目を輝かせてページをめくる男の子や、レースのページを嬉しそうにめくる女の子の動画が送られてきた。一ページ一ページ、家族みんなで楽しんでくれていた。


ホラー小説をあげた女の子からは、長文の感想が送られてきた。やはりというか、ハマってしまったので別のシリーズの大人買いを検討しているということだった。


灼熱の夏休みで外出ができず、家で暇をつぶしていたがある日もう何をすればいいかわからなくなってしまったという娘のために、彼女が家で読むための漫画をくれないかというお母さんからは、お手紙をもらった。夢中になって漫画を読んでいる、自分も漫画を描きたくなったようで、今は家の中で熱心に絵を描いたりしているとのこと。



ぞくぞくと手元にあつまってくるありがとうの文字を見て、なんだか、胸がいっぱいになった。

このありがとうは私が受け取るものじゃなくて、ほんとうはこの素晴らしい本を作り出した会社の人とか、作家の人たちが受け取るべきなのだ。教えてあげたい。見てほしい、本を手に取ってこんなに喜んでいる人たちがいる。


満足した。

本当に、もう、これ以上ないくらいに満足した。やりきった、と思った。


こんなによい手放し方があろうか。ない。絶対にない。

一冊残らず。一冊残らず、必要な人のところに渡った。

それも、おそらく確実にその人の思い出として刻み込まれる形で、最ものぞまれる人のところへ。私が選んだのだから間違いない。




本がなければ死んだほうがいい、本気でそう思った自分を思い出し、


うん、明日からも生きていける。


そう思った。

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ツマリハツモリ ハム @oddhouse

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