好奇心がすべてを解決した話

好きな人ができた。


というとたいへんに語弊がある。

正しくは、好きな俳優さんがいる、だ。


10年の間に「人間は死ぬ」ということを確固とした実感を持って学んだので、好きだと思った気持ちをなんとか相手に伝えたい、と思った。

好きな人に好きです! と伝えた満足感を抱いて死んでいきたくて。

そんな自己満に好きな人を付き合わせて本当に申し訳ないと思いつつ、英語を学び始めた。


結果、いくら「英語勉強する!」と決意しても続かなかった私が、細々とではあるが英語を使えるようになってきた。快挙である。ま、空港勤務だった時に日常的に多言語に触れていたというのも大きい。


私の場合、英語を話すということに対してハードルを超えられないのが学習を続けられない要因だった気がする。文法をいくら勉強したところで、いざ口に出すことに抵抗があると上達しない。旅行のたびにそれで歯がゆい思いをしてきた。

そのハードルを超えさせてくれたのが空港勤務だ。喋らねば仕事にならない、そんな状況に追い込まれたら下手だろうが言葉が出なかろうが身振り手振りを駆使してコミュニケーションをとろうとする。相手も頑張って日本語を使おうとしてくれる。その空気感に慣れてしまえば、もう「英語を話すのが恥ずかしい」とは思えない。


ガンッガン、話す。

伝えようとする行為は恥ではない。頭ではわかっていてもできなかったことが、きちんと実感を伴って行動に現れるようになる。


駅で路線図をにらみつけている外国人を見かけると、ちょっと躊躇してから話しかけてしまうようになった。快挙である(2回目)

人間、年食うと人に話しかけるハードルが下がるというのは本当らしい。


といっても赤ちゃんに毛が生えたようなものなので、相手の話を理解できてもうまいこと返すのはまだまだ難しい。それでも話すことに抵抗がなくなっただけでとんでもない上達だ。すごいことなのだ。

こないだ道を教えたご婦人は、オーストラリアからやってきたとのこと。


「日本に初めて来たのよ」

「わーお。えんじょい?」

「楽しいわ。楽しすぎて、2日しかいないのが残念」

「2日。……2日!?」

「そうなの。そのあとはイギリスへ行くのよ。娘に会いに」

「すごい旅程やな(日本語)」

「で、ロンドンに3日滞在した後にカナダ」

「カナダ!?」


聞けば聞くほどとんでもない旅程である。

驚くべきは、ご婦人、83歳。


80超えてなくてもヤバい旅程である。


世界にはいろんな人がいる。今まさに大陸を渡り歩こうとしている旅人がおるのや……と思うと、感慨深い。

言語のひろがりはまんま世界のひろがりだ。解像度が上がる。



話が脱線した。



そんなこんなで、英語に対する抵抗が若干消え失せた私は、俳優さんに手紙を書こうと思った。まずは日本語で文をしたため、それを英訳していく作業がメインになるかと思われたそんなとき、とあるイベントの発表が視界をかすめた。



なんと私の推し俳優、米国のとあるイベントに登壇するらしい。



めったに表に出ない人なので、それは渡りに船というか千載一遇のチャンスというか、とにかくなんかでっかい、見えないものの力を感じた。


行かなきゃ。

そう思った。


コロナ前までは毎年海外旅行に行っていたので、旅行に対して抵抗はない。

問題はカネである。


やりたいことをリストアップし、アメリカまでの旅費をざっくり計算したところ、とりあえず60万円は必要だという計算に落ち着いた。


よし。

副業しよう。


端的に最も稼げる職種で検索をかけ、適当なものを選んで即応募した。

いわゆる、ホステスである。

ホステスである(2回目)


この! 私が! ホステス!!


その時既に年齢は30を超えていた。若くもなく飛びぬけて容姿が整うわけでもない、酒も飲めなきゃ作ったこともない、気遣いもできぬ完全に身分不相応と思われる条件でよくもまあ「稼げるから」と応募したもんだ。無鉄砲さをほめてほしい。

自分で言うのもなんだが、勢いで全部どうにかしようとするの、やめたほうがいい。



それは俳優のイベント情報を受けてから、実に3時間の出来事であった。



面接の連絡が入り、そこでちょっと頭が冷えた。

いわゆる夜職というやつだ。飲食店勤務もしたことのない私につとまるはずがあろうか。無理だ。なんでこんなことしたんだろう。

まあ、落とされるでしょう。

そう思って気を落ち着けた……それを救いとするくらいならなぜ応募したのだ、と呆れてしまうが、ぜんぶ後の祭り。



後日、面接に行く。



ぶっちゃけ行かないのもアリかなと思った。だが、こんな機会でもないと大人の社交場なんて一生足を踏み入れないに決まっている。好奇心がすべてを凌駕してしまうのが私の長所であり短所だ。

どきどきしながら店の扉をすべらせる。


ずらりと酒が並ぶ壁面が私を迎えた。


ぎょうぎょうしいソファやきらびやかなカウンターが私を圧倒してくる。迎えてくれたオーナーが「うちは会員制で、お客様はみんなキープボトルを」みたいな話をしているが、こちとらキープボトルが何かもわからない。全部右から左へ聞き流し、ヘェ~ハァ~と適当な相槌を打つ。


無理。


心の中ででっかい悲鳴が上がった。


こんなレベルの高い空間で働くだなんてできるわけがない。

なんか、こう、レベルが高すぎる。

うまくいえないが、私にはレベルが高すぎる。

なんかすごい! なんかこわい! 雰囲気に圧倒されすぎて語彙力が死んだ感想だけが出てくる。


早く落っことしてくれ! と願う私を振り向き、オーナーが言った。




「で、いつ入れる?」




聞き間違いかな?




「……落とされるつもりで来たんですけど……(小声)」

「あはは、なんで? 大丈夫だよ」


何もわかってないくせに大丈夫とか言うな、と私の中の何かが理不尽に怒り狂う。

お前、私がどれだけこういう空間と縁遠い生活送ってるのか見てから言えよ。


だがその時ふと、脳裏にイベントの情報がよみがえった。


絶対に行きたいイベント。

必死で算出した渡米の費用。

イベントの開催期間と、それまでに稼がねばならぬ毎月のノルマの金額。


気づいたら口走ってた。


「来週から入れます!」






結果私は順調に金を溜め、アメリカへ渡るのだが、それはまた別の話。







まあ、なんだ。

人生、たいていのことは、なんとかなるもんである。

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