けむりけむる

花恋亡

ちくしょう、泣きたいのは私の方だ

 溜め息にも似た深い息を吐いてから、私は少し勢いを付けて上体を起こす。ベットの縁へ座る姿勢を1度取った。


下半身は下着だけで、上半身は色が褪せたくたびれて張りの無い生地のタンクトップ。

部屋着なんてどうでも良いが、ここはもっと張っていて欲しいなと思いながら、すかすかのタンクトップの隙間から少し湿った薄い胸元を右手で拭って立ち上がる。


その合間で無意識に視界に入れた300円のデジタル時計はAM2:16を照らしていた。


値段など覚えていない近所のホームセンターで購入した白のローテーブルから、クリームイエローの四角い箱を掴み、適当に選んだ曲を流したスマートフォンをその代わりに置いて歩き出す。


レースすら引いていないベランダへ続くガラス戸からは外の世界から薄く光が差し込んでいる。

存外に街灯の光は強いんだな。

そしてガラス戸を引きベランダへ出る。


100円だっただろうか、グレー色のサンダルへ足を滑らせベランダの手摺に肘を掛ける。


束の間に泣き止んだ世界は白色の煙りに沈んでいた。

この季節の世界はいつも泣いてばかりだ。


それは激しくむせび泣いては、時に嗚咽するような泣き方ではない。


何処かもの哀しさを携えて、冷たさを運んでくるような泣き方でもない。


はらはらと泣き、時にその雫を涙の結晶へ変えるような泣き方でも勿論ない。


そう、この時期の世界は静かに、何を訴える訳でもなく、ただただひたすらに泣き続ける。

声も無く。私の世界から音だけを吸収し奪って。


直前スマートフォンで鳴らした筈の音は時折に高音が途切れ途切れこの耳に届くだけなのに、何処で鳴っているかも分からない救急車のサイレンは、半径数メートルで確かに囁やいている筈の音を掻き消している。

そこに在るのにそこに居ない様が、なんだかこれまでの私みたいで皮肉で笑えた。


ベランダに置かれた日に焼けて色の変わったイームズチェアのレプリカへ視線を移し、日焼け止めをきちんと塗らなきゃなと思考を1つも2つも飛ばした事を思いながら腰を下ろした。


クリームイエローのソフトパックの上を指で弾いてフィルターの頭を出す。出た頭を唇で挟んで腕を下げれば白い棒が露わになった。

テーブル代わりのエアコンの室外機、そこにある最近は売っている場所を探すのが難しくなってきた茶褐色の摺板付きの小さい箱から、短い木の棒を取り出すとその頭を逆手で摺板に擦らせる。

硫黄が燃える咽る匂いと共に激しく明るくなるそれを少し眺め、安定して燃えるのを待ってから唇に咥えた棒に近付けて、ぱっぱっと2回ふかした。


白い息を口と鼻の両方から吐き出しながら、今にもまた泣き出しそうな世界を眺めた。


こんな眠れない夜には、考えなければ楽でいられる事を考えてしまう。



そう例えば、結婚していた時分の事。

あの場所に残して来てしまった娘。


勿論若さ故もあったがそれでも幸せに暮らしていけると思っていた。義理の家族に囲まれての生活は楽ではなかったが、それでもと。


だが娘が1歳を過ぎた頃から義母の視線が気になるようになった。何か気に入らない事があると無言で私を見つめるようになったのだ。

ただただ何も言わずに無表情で。


きっと何かが違うのだろうなと、義母のルールを犯しているのだろうなと、そう思っては次第に萎縮するようになった。

その顔で見られると心臓が1度大きく弾んでから、血の気は引いていき、吐き気がする程に堪らなく気持ち悪くて、視界はグルグルと回り立っていられない程だった。


どんどん家事は出来なくなっていった。


夫の在宅時には義母と夫の口論が家中に響いては、きっと私の事で喧嘩をしているのだろうと悲しい気持ちになった。


義母と義父の仲も良くなく、夜中の何時だろうと義母のヒステリックな叫びと義父の怒号が毎日聞こえた。


私はどんどん部屋から出るのが怖くなり、トイレにすら行けなくなった。

そうして1度避けはじめてしまったら、もう避けずにはいられなかった。


夫へ何度も家を出たいと懇願したが理解はしてもらえず、子供の面倒も見れずに部屋へ籠もるばかりになってしまった。

もちろん自分の手で面倒が見たかった。


恐怖、焦り、不安、憤り。


そんな日々に私は上手く喋る事さえ出来なくなってしまった。今までどうやって喋っていたのかが分からなくなって、泣きながら口をぱくぱくさせるだけの私を見て、夫もやっとこの家から出ることを決めてくれた。


直ぐにアパートを決め、私だけ先に家を出た。

夫が荷造りをしてから子供と共に後から来る予定だった。


だが夫と子供が私の下へ来ることはなかった。


私はあの家を出た時点で捨てられたのだ。


それでも娘の為に離婚だけは避けたかった。


しかしどれだけ抵抗しようがそれも虚しく、最後は有無を言わせずに離婚届を書かされた。

どうやら世の中的には私が育児放棄をした事になるらしい。4度か5度、弁護士に相談したが返ってくる答えは同じだった。

諦めに似た笑いが溢れたのを覚えている。


娘に会わせてくれる約束の日は何故か決まって向こうの都合が悪くなった。


私は精神科に通いながら必死で働いた。

自身の生活の為。娘の誕生日、子供の日、クリスマスの為に。

例え子供に会えなくても元夫へ手渡しする事に執着していた。それは子供との繋がりを残しておきたかったからだろう。


どうせ捨てられていると思いながら。

それでも渡し続けた。


娘は小学生になった。

その年の娘の誕生日プレゼントを渡す為に元夫と連絡を取った時に、もう会わせるつもりはないから諦めろと言われた。


離婚してから結局1度も会わせてもらえなかった。


誕生プレゼントと一緒に手紙を渡した。

娘が大きくなったら渡して欲しいと。


その手紙は翌日に私のアパートの郵便受けへと戻ってきた。


これ以降は音信不通になり、私も何度か引っ越した。もう会うことはないのだろう。



ほら、考えただけで苦しくなるような事ばかりが頭を巡る。



手に持ったままのソフトパックを意味もなく眺める。オリーブの枝を咥えた鳩に、何が平和なんだよと鼻で笑った。


最後の一吸いを肺の空気が無くなるまで深く吐き出すと、室外機上の100円灰皿の中で火種だけを落としながら強く押し付ければ、少し歪んだフィルターは自立していた。

背中を丸めては下ばかり見ている私のようだ。

36°0'0"のお辞儀。

足元の大事な物をこれ以上無くさない為に、めいいっぱいアスファルトを踏み付ける、そんな私に。



私はキッチンへと向かう、自動再生で選ばれた流行りの歌が無性に耳障りに感じた。電源ボタンを押して強制的に画面を暗くすると、LEDで光りっぱなしのデジタル時計が嫌でも視界に入る。

AM2:28の表示に後何時間で仕事かを逆算していた。

オートモーションで行われるこの計算に、つくづく歯車なんだなと思うが、だからといって最早思う事などはなかった。


シンプルが売りのブランドで3個で500円程だった薄緑色のグラスを手に持ち、冷凍庫の製氷室から片手一杯に掴んだ氷を放り入れる。


そういえばあの時はウイスキーだったなと思いながら、ラムのボトルを手に取る。海賊の姿が描かれているブラックラベルのダークラムをグラスの半分程注いで指でくるくると氷を回した。


鼻に届く甘い香りに何故ラムを飲むようになったのかを考える。

確かその昔、海賊は自身が死ぬまで浴びるようにラムを呑み続けたと話しを聞いて、何だか興味を唆られたからだったと思う。

このラベルの海賊は、人生とは、愛と略奪だと言ったらしい。深いようで、人の根源的な行動原理を自身の行いの正当化に掲げているだけにも感じて、親近感を覚える。


グラスに唇を付け僅かに口に含む、それを舌全体で上顎に押し付けるとスモーキーさとほろ苦さが広がり、鼻腔から漏れ出た空気は僅かに熱く感じた。

フィリピン産のシェリーカスクみたいな複雑で濃厚な味よりも、今はこのシンプルな味でかつての海賊のように酔いたい。



道中もう1度グラスに唇を付けながらベランダへと戻る。

かつてパステルの水色だったイスに腰を掛け再びソフトパックの頭を叩くと、顔を覗かせたフィルターを咥えそのまま外をぼんやりと眺めた。

あらゆる灯りの輪郭をぼかす白は、吸い込む空気を重たくしている。

幻想的にさえ見えるこの景色に思い出す。



そうか私が死んでから2年経つのか。



今こうしているのだから、生きてはいる。

だが確かに私は死んだのだ、2度。



そしてまた硫黄の匂いに咽せそうになりながら咥えた棒の先に明かりを灯した。

指で挟み唇から離そうとすると、咥えたフィルターに水分を奪われた皮が少し持っていかれた。

痛みに反射的に舌打をする。

唇を濡らすなどと良く言うが、私の飲み方ではさほど濡れはしないようだ。

指先で皮の剥がれた唇を少し撫でる。


精神科では様々な薬が処方されていた。

毎食後の物から、夜のみ、睡眠前と最早薬という名の食事だった。

ODオーバードーズという言葉は正直知らなくて、単に過剰摂取と言っていた。

世の中にはフリスクを食べるように摂取するODもあるらしいが、私の場合は1度に大量に服用するODだった。

娘に会えるかもしれないという、周りから見れば滑稽にすら思える頼りなくてか細い、それでも縋っていた何かが断たれて分からなくなってしまったのだ。

明日を待つ意味を。


はじめは仕事が休みの前日に10錠程からだった。飲んでからの記憶は無くなり、翌日もずいぶん長い時間眠っていたが、きちんと目は覚めてしまった。

それからは仕事が連休を迎える度にその前日に前回よりも10錠程はプラスしてと、次第に増えていった。

ODをする為に普段の服用量を減らし、離脱症状で体も頭もどうにかなりそうだったが、次こそは消えたい願いが叶うかもしれない、そんな思いで乗り越えた。

薬のストックが増える事が嬉しいすらあった。


しかしどんなに量が増えても意識混濁をしている時間が伸びるばかりで、最終的には戻って来てしまう。

70錠を過ぎた当たりで内心、どうせ死ねないのだろうと思うようになった。

でも止める事は出来なかった。

もしかしたら次こそは目が覚めないかもしれない。

そんな期待が捨てられなかった。


意識は無いくせにトイレなどはきちんと出来ていたようで粗相はなかった。ただ物はよく壊れていた。ガラスの小物は割れ洗濯ラックは折れ曲がり、時にはドアが外れていた。

体にはその証拠と言わんばかりの大量の痣が残っていた。


覚醒までに掛かる時間が長くなってきて、数度会社に遅刻をしてしまった。

伝えていた訳ではなかったが薄々気付いていたのだろう。その度に優しい後輩がアパートまで迎えに来てくれた。

私がドアを開くと安堵の表情と共に何も言わず抱き締めてくれた。


そんな会社を辞める事になった。元々不満もあったが一番は得意先に声を掛けてもらったからだ。


有給消化で丸2ヶ月の空白が出来た。はじめこそ体を休める事に専念するつもりだったが、その空白がぎりぎりの所で私を繋ぎ止めていた何かを壊してしまったのだと思う。


200錠までは数えて覚えている。その後は残す分を気にしながら中途半端なシートを選んでは親指を動かした。

数回に分けて、安いウイスキー風味の甲類焼酎で流し込んだ。さほど苦労はしなかった。

意識のある内に会社の後輩にメッセージを送っていたが、それすら後から思い出せば確かそんな気がする程度の記憶だ。


そこから私の記憶があるのは10日以上経った時点から。だから人から聞いた話しになる。


不穏なメッセージを最後にそれ以降連絡が取れなくなった私を心配した後輩が何度もアパートを訪ねてくれ、最終的に私の兄に連絡をしてくれた。

ダイヤルロックを知る兄がアパートへ駆けつけ救急車を呼び、ドクーターカーで運ばれる事となった。

この時点で2日経っていたようだ。


ドクーターカーで処置をされてる最中にここで1度目の心停止をする。

ドクーターカーの中なのか病院に着いてからかは分からないが蘇生し戻って来た。

だがその直後にまた心停止。

兄は最悪の場合は気管切開し人工呼吸器との説明を受けたが、私が望んだ事ならそこまでしなくても良いと話したらしい。


心中察して余りあると今なら思う。


しかしそこまでする必要もなく私は蘇生された。

ICUから病室へ移る車イスから私の記憶がある。

病室では兄に渡されたスマートフォンで記憶のすり合わせをして漠然と事態を把握した。

そこからは早く退院したくて無理矢理に元気を装い、食事は残さず食べ、リハビリに励んだ。

私を訪ねて来る医師の多さに沢山の人が関わってくれたのだと感じた。


その内の1人、若い女性医師が厳しい顔で私に言った。


2度の心停止、2度の蘇生をしました、今どう思いますか。


何1つ欠けても今の自分はありません。

会社の後輩、兄はもちろん救急隊員の方、それに道中道を譲ってくれた車ですら、どれか1つでも違ったら私は助からなかったと思います。この病院の方達も然りです。

拾って頂いたこの命です。

もう1度生き直したいと、そう思います。


私はつらつらとそれらしい事を答えた。


確かにそう思えたし。

そう思っていると思い込みたかった。



でもあれから2年。

今こうして眠れぬ夜によぎるのは。

あの時に、そう思ってしまう。


ううん違う。眠れないからではないな、今日も昨日も一昨日も、きっと明日も明後日も思うのだろう。


勿論もうODはしていない。



もう1本吸おうと、頭が赤い木の棒を箱に擦り付ける。すると頼りなく折れて乾いた音だけが過ぎた。最後の1本を無駄にした箱を握り潰した。


私は部屋へ入るとテレビボード横のチェストの1番下から、私が使い始めた時にはもう100円では買えなくなっていた100円ライターを取り出す。


同じ引き出しに入っていた封筒が目についた。

少しだけ目を閉じる。


封をしたシールを爪先で雑に剥がすと、便箋を広げスマートフォンを構えた。

暗いままの部屋が一瞬だけ光る。


それを手にベランダへ出ると、見慣れた自分の字を読む事もなく輪郭を目でなぞってからライターを点火した。

正面でつまみ上げている紙に少し近付けると、炎の先が触れたようには見えなかったがオレンジ色が広がって行く。

それは想像よりも黒い煙を上げては、瞬く間に灰へと置き変わっていく。

お誂え向きに片付けたばかりで空になっていた吸い殻入れ用のバケツに落とした。


今この瞬間、世界で1番明るいのは四角く区切られたこの場所なのかもしれない。


1から50まで、私の心を砕いて作った紙切れは僅か数秒で世界から消えた。


その間に再び泣きはじめた世界に、私は唇を尖らせて平和と云う名の煙を吹きかける。


私は待っている。


背を指す後ろ指が、いつか柔らかくその背を押す掌に変わるそんな夜明けを。


目が潰れる程の、眩むような朝焼けを。


私は願っている。


私の代わりに泣く、不安定で脆く歪なこの世界が、いつか泣き止むその日を。

そう、ずっと、願っている。


振り返るとAM2:52が照っていた。





おわり。

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