インコの想い出

西しまこ

大きな古い家の土間で

 昔住んでいた家は、大きな古い家で、大工をしていたおじいちゃんが、自ら柱を選んで持って来たんだよ、と言っていたのをよく覚えている。その柱は、濃い茶色で丸くてすべすべしていて、ひと筋の裂け目があり、その裂け目に沿って柱を触るのが好きだった。日本家屋だったから、部屋は全て畳で襖で仕切られていて、板敷きは縁側の部分にあった。そして、玄関は広い土間で、十畳ほどのコンクリート敷きのスペースで、上がりかまちも広く、そこに腰かけるのが好きだった。学校に行く前、赤いランドセルを背負ったまま、高めの上りかまちに腰を下ろし、低学年のころは足をぷらぷらさせていた。


 その玄関で、小学校のころ、インコを飼っていた。どうしてインコを飼うことになったのかは分からない。小学生のわたしは猫が飼いたかったけれど、飼わせてはもらえなかった。わたしの意見はあまり通らなかったことと、自分でインコを飼いたいと言った記憶がなかったことから、恐らく母がインコを飼い出したのだと思われる。


 思えば、母は、生き物を飼うのが好きな人だった。しかし、それは母の気分で飼うものであり、わたしたちきょうだい三人の意見ではなかった。古いその家から引越すことになり、その後住んだ洋風の新しい家で、母は毛足の長い猫を飼うことにした。小学生だったわたしがあんなに飼いたいと言ったときは反対して決して飼わせてはもらえなかったのに。しかし、ずっと猫が飼いたかったので、結局とても嬉しく思ってはいたのだけれど。母はその後、大きな白い犬を飼ったり或いは小さなメダカを育てたりした。ともかく、そのようにして生き物を飼うことが好きだったんだな、と大人になってから思っている。



 大きな古い家の土間で飼っていたインコは数組のつがいで飼っていて、子どもも生まれた。そして、雛から育てて手乗りにしてかわいがっていた。インコの風切羽を切って、遠くまで飛んで行かないようにしていた。インコを籠から出すときはいつも土間に限っていたので、どこかに行ってしまうような事態にはならなかったのだけど、あまりに高いところに行ってしまうと、籠に戻せなくなってしまうので風切羽はやはり切らないといけないなと子ども心に思っていた。


 わたしには弟と妹がいて、三つずつ離れていた。わたしが小学校中学年くらいのときにインコを飼っていたと思うので、そうすると、そのときの弟や妹はそうとう幼い。しかし、わたしはその幼い弟と妹といっしょに、土間でインコを放して遊んだ記憶がある。三人それぞれに「自分のインコ」がいて、それぞれのインコをかわいがっていたのだ。わたしが飼っていたのは、きれいな水色のインコだった。弟のは黄緑色で妹のは黄色だった気がする。土間を低く飛ぶインコはとてもきれいでかわいかった。インコと遊ぶことは外での疲れを癒すことでもあった。わたしは学校があまり好きではなかったけれど、家に帰って、インコを撫でたり手に乗せたり、目をじっと見たりして会話することで、また次の日も学校に行けたのだと思う。



 さて、以上は全て記憶から起こした記述である。

 もしかして、実際には違うことも含まれているかもしれない。おじいちゃんが大工だったとか、柱のこととか。柱は色鮮やかにわたしの脳裏にあるのだけれど、大きな古いあの家に行ったら、もしかしてその柱は存在していないのかもしれない。さすがにインコを飼っていたことは本当だろうと思うのだけれど、あんなに何羽も土間で飛ばして、しかも子どもたちだけでインコを籠の外に出して遊んだ、というのは、もしかして願望だったのかもしれない、と思ったりもする。

 しかし、その映像はわたしの胸の中に、懐かしくリアリティーを持って存在しているのである。





        了

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インコの想い出 西しまこ @nishi-shima

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