父の日

柳明広

本文

 これ、とわたされたものを、私は老眼鏡を少しあげてまじまじと見つめた。

 手の平に乗る程度の、小さな巾着。よく見ると文字が書かれており、どこかの神社で買ったお守りであることがわかった。

 巾着を持った息子は、いつまでも受けとろうとしない私にいらだったように言った。「父の日、だから。プレゼント」

 私は「こんなの別にいいのに」と困惑しながらも、お守りを受けとった。

 母の日に比べ、父の日というものはあつかいが軽い気がする。いや、確実に軽い。私が外で働き、妻が専業主婦だったこともあり、息子は成人してからも妻とは仲がよかった。私との仲はというと、正直なところ、あまりよくはない。当然だ。息子というものは父親をどうしてもライバル視してしまう。息子も例外ではなかった。

 それでも、父の日にプレゼントをくれるというのは、嬉しいものだ。ただ、正直に言うなら、ちょっと高い酒かスマホケースなんかがほしいと思った。しかし、息子のなけなしの厚意をむげにはできない。

「ありがとう」そのひと言だけを返した。

 息子は私に背を向け、「ちゃんと、してくれよな」と言って部屋を出ていった。

 私は首を傾げた。ちゃんとする? どういう意味だろう。何か悪いことでもしただろうか。たしかに、家の補修は息子任せにしていたし、年齢のせいもあって、息子に頼ることが多くなった。しかしそれは仕方ないことでもある一方で、息子に家を相続する前に、色々とおぼえてほしいという思いもあったからだ。面倒だから任せているわけではない。

 私はお守りに目を落とした。そして、はっとなった。

 その日の夜、私は夕食の席で、近いうちに人間ドックへ行くと言った。

 驚いたのは妻で、「あれだけ言っても検査を受けようとしなかったのに、どうしたの?」

 私は息子をちらりと見た。息子は黙ってトンカツをかじっている。

「最近、腰が痛くてな。整形外科でもいいんだが、何らかの病気の可能性もある。いい機会だし、全身を診てもらおうと思ってな」

「まあ、そういうことなら」妻はみそ汁に口をつけた。「でも、急な話ね。本当にどうしたの?」

 気が向いただけだ、と私はこたえた。息子は何も言わなかった。

 数日後、私は長年使っている鞄を肩にかけ、家を出た。

 「病気平癒」と書かれたお守りが、鞄の上で揺れていた。


(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

父の日 柳明広 @Yanagi_Akihiro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ