昭和40年代から異界への旅

昭和40年代の一人暮らしの中年女性の生活がとても丁寧に描かれています。
二層式の洗濯機に自転車、食事、敷地に植えられた草木、そして、湿度までどれもこれもが脳裏に浮かび上がってくるようなリアリティが、題名のごとく「匂いた」ってくるのです。
丁寧に現実の世界が描かれるからこそ、兄の「日記」の異界めいた外国の風景との対比が際立ちます。
忘我の境地で異界に旅立つというのは、シャマニズムの1つのあり方です。
この宗教的な部分をセックスとし、濃密な性描写はどきどきするところです。
快楽の果てに、たどり着く異界、背後にいて一番密着しているはずの男の姿が消え、どこか近親相姦的な閉鎖的な関係が前景化してくる。
肉親的なつながりが前半でどこか薄いものであるかのように描かれているからこそ、密で閉鎖的な関係がさらに際立つ。
「愚にもつかない嘘っぱちだと永田が切り捨てたのは、彼がただ狭い世界をしか生きることが出来ていないからに過ぎない。兄は違う、そして今や、私も違う。兄は彼に許されためいっぱいの時をそこで過ごしたし、私もまた、そこを訪れることができる」
何もかもが素晴らしい一作です。