第4話 記憶
春になった。ソメイヨシノの並木道をぴかぴかのランドセルを背負って歩く。
「優斗ももう一年生だね」
「うん!」
僕は昆虫図鑑を右腕で抱えながら大きく首肯する。自分は幼稚園児の頃から何も変わっていないはずなのに、胸を張って歩く通学路は僕に大人になったのかと錯覚させる。
僕は幻のニジカミキリムシを探してる昆虫博士なんだ。
両親と手をぎゅっと繋いで歩く周りの一年生たちに、心の中で僕自身を誇る。自信に満ちた満面の笑みで僕は住宅街の真ん中に聳え立つ小学校へ向かっていく。
「じゃあ、また後でね。入学式頑張るんだよ」
母親からの暖かい言葉を受け取って、僕は大きな一歩で敷地内へと踏み込む。これからの六年間、どんな楽しいことがあるんだろうか。期待を胸に、まだ足のサイズに合わない靴をぱかぱか鳴らしながら、一年二組の教室へ辿りつく。古い木の引き戸をがらがらと開ける。
中には僕と同じ一年生が楽しく喋っていた。談笑する集団の中に大樹がいるのを見つける。
「大樹!」
僕は一目散に大樹に向かって駆け寄っていく。
「うるせえな、お前誰だよ」
大樹の周りの一年生は声を出して笑う。
「え、優斗だよ、覚えてないの?」
「あー、変なカミキリムシ探してるやつだっけ」
「何その話⁉」
「変なカミキリムシのこと教えて!」
「去年の夏のことなんだけど──」
大樹を囲むクラスメイトは興味津々にその「変なカミキリムシ」の話を大樹に尋ねる。
僕と大樹との約束、誰にもニジカミキリムシについて言わないこと。その約束は一瞬にして僕の目の前で破られた。父親にカメラを貸してもらうときも、幼稚園の先生に昆虫図鑑を読んでいる理由を聞かれた時もずっとニジカミキリムシについて話したかった。でも、そのたびに大樹と交わした約束のことを思い出す。たとえ、二人であの森に行かなくなったとしてもずっと我慢していたのだ。
大樹は饒舌にあの夏の日に見たことを話し続ける。僕の頭はぐわんぐわんと揺れ、周りの笑い声は僕の過去の行動を否定し、嘲笑うノイズとして聞こえる。
僕はこの瞬間まで気づかなかった、大樹のニジカミキリムシに対する熱意はほんの少しの彼の中の流行りであっただけで、僕のライフワークにしたいほどの熱意とは程遠いことを。
◇
薄暗いテントの中、携帯電話の通知で目を覚ます。見覚えのある名前からの電話だった。
『お、優斗。元気か』
「……こっちは深夜だって言うのにかけてくるなよ」
『ごめんごめん、つい時差のことを忘れちゃって』
寝起きのハスキーな声で僕は応答する。深夜だということも構わず、電話の相手は続ける。
『最近、順調にやってるみたいだな』
「大樹が言うなよ、教育学部で知り合った美人と結婚したんだろ?」
『……知ってたのか。招待状送っておくから結婚式は来てくれよな』
「しょうがないな……その代わり旅費は払ってくれよ?」
『結婚式の費用で金が飛んでいくというのに、ブラジルからの旅費なんて払えるはずがないだろう。それで、最近はどうなんだ?』
「ああ、あと少しで研究が終わるところだ」
『そうなのか、まあ夜も遅いだろうし、結婚式のときにまた話そう』
大樹が電話を切ったのを確認すると、俺は携帯電話を枕の横に置かれたカバンの中にそっと置く。
──ある夏の日、アマゾンの奥地にて。
薄暗いテントの中、懐中電灯の明かりをつけて、枕元に置かれた自由帳のページを繰る。
「相変わらず、大きくて不格好な文字だな」
昔のことを思い出しながら、二十年前に書いた日記を読み進めていく。ぺらぺらと読み進めていき、やがて俺は最後のページに辿り着く。
最後のページには一枚の写真が貼ってあった。僕は懐中電灯でその写真を照らして微笑む。その一枚にはあの夏の日、幼稚園の隣の神社で見た、虹色の渦巻いた模様を背に持つ昆虫が七匹写っていた。
幼い僕の、ある夏の日の思い出。 @aizawa_138
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