幼い僕の、ある夏の日の思い出。

@aizawa_138

第1話 盛夏

 ──ある夏の日、幼稚園の隣の神社にて。

 いつもと変わらず、友達の大樹と神社の中で鬼ごっこをしていた。かんかんと照る太陽の下駆けまわっていた僕たちを神主さんが木陰でおとなしく見守っていた。


「タッチ!」


 上下に揺れる肩を大樹にぽんと叩かれる。僕は新品のスニーカーで砂利を蹴って大樹に向かって手を伸ばす。


「優斗、鬼返しはなしだからな!」


 そう言って大樹は一目散に神社裏の森へと駆けこんでいく。


「僕と大樹しかいないんだから鬼返しはありでしょ!」


 遠ざかっていく大樹を目掛けて必死に足を前へ前へと動かす。けたたましく降り注ぐ蝉時雨をものともせず、乱雑に生えた高草をかき分けて走っていく。


「大樹、待ってよ!」


 ぬかるんだ地面に足を取られながらもひたすら追いかける。息を荒げながら進んでいくと、森の真ん中で立ち止まる大樹の背中が見えてきた。


「タッチ! 止まってたら捕まるよ?」


 しかし、タッチしても大樹は一歩も動かず、何かをじっと見つめていた。


「優斗、あれを見てみろよ」


 大樹が指をさす先にあったのは木漏れ日に照らされた一本の木。何の変哲もない木だ。


「ただの木じゃないの?」

「違う、よく見てみろよ」


 僕はその木に目をじっと凝らす。木々の間から差し込む光のカーテンの先には虹色のマーブル模様を羽に持つ、一匹のカミキリムシが止まっていた。羽の模様は絶えず渦巻き、瞬きするたびに背中の色合いが変化する。流動的で透き通った美しい色合い、木漏れ日に照らされながらじっと止まる、その神秘的な佇まいに僕は思わず見惚れてしまう。


「なあ優斗、あれ捕まえに行かね?」


 大樹が小声でする提案に僕はこくりと頷く。捕まえると言っても僕たちには虫取り網があるわけではない。手で掴まえるほかないのだ。カミキリムシを掴まえることにした僕と大樹は雑草に身を隠しながら、忍び足でカミキリムシへと近づいていく。いつもは虫取り網で掴まえているであろう蝉なんかは視界にも入らず、カミキリムシへ恐る恐る歩みを寄せていく。


「せーの!」


 大樹の掛け声に合わせてカミキリムシに向かって一気に飛び込む。僕の両手は大樹の手と重なり、目を見合わせてお互いに頷く。カミキリムシが逃げないようにそっと手の隙間を開けて中を覗く。


「……逃がしたか」


 僕たちの手の中には煌びやかな昆虫の姿はなかった。辺りを見回すも、僕たちが掴まえようとしていたカミキリムシは見当たらない。木の幹を触っていた大樹の手にはきらきらと輝く鱗粉が付いていた。僕も木に付いた鱗粉を人差し指でなぞってじっと観察する。手に付いた鱗粉は雪のように小さくなり、やがて溶けていった。僕は顔を上げ、青空を見上げる。


「あの虫、なんだったんだろう」


 家でよく読んでいる昆虫図鑑にはこんなカミキリムシは載っていなかったよね。もしかしてまだ誰にも発見されていない虫なんじゃないかな? 

 脳裏に焼き付けられたカミキリムシの正体をめぐって様々な思考が交錯する。


「あいつの名前、ニジカミキリムシにしようぜ」


 物思いにふけっていると、大樹がいきなり口を開く。

 ニジカミキリムシ、うん、あの虫にぴったりの名前。


 意思疎通をしなくても僕たちには通じ合っていた、明日もニジカミキリムシをここに探しに来ることを。


 ニジカミキリムシを探す橘優斗、五歳の夏。

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