玄関でお出迎え(ある男の一生・SS・シロと隆と晴美ちゃんシリーズ①)

源公子

玄関でお出迎え(ある男の一生・SS・シロと隆と晴美ちゃんシリーズ①)

 ガチャリ、マンションの鍵を開ける。


「おばあちゃん、ただいま」

 ランドセルを放り出して僕が叫ぶと、おばあちゃんがスリッパをパタパタさせて、お出迎えしてくれる。


「隆ちゃんお帰り、今日のおやつはドーナツだよ」


 おばあちゃんは、ママのお母さん。

 料理が上手で、うちに帰ると毎日手作りのおやつが待っている。パパもママも働いていて、いつも帰りが遅い。

 だけどおばあちゃんがいるから寂しくない。


「明日は、プリンがいいな」僕は幸せだった。


 僕が中学生になった年、おばあちゃんが死んだ。

 お葬式をしたお寺で、真っ白な子猫を拾って飼うことになった。


 それからは「ただいま」と帰ると、毎日猫のシロが「ニャーン」と、玄関マットの上に座ってお出迎えをしてくれる。だから僕は寂しくなかった。


 僕が大学四年の時、田舎に住んでいる父方の祖父が倒れた。心配した両親は、僕にマンションの権利を譲り、田舎の家で祖父母と一緒に住む事にした。


 それをきっかけに、大学のサークル仲間の晴美が、マンションによく来るようになった。

 僕以外の誰にも懐かないシロが、不思議なくらい晴美にだけは懐いた。


「このまま、シロちゃんのお母さんになっちゃおうかなー」

 と、晴美が言う。

「ニャーン」

 シロはゴロゴロ喉を鳴らした。


 就職も決まり、両親に晴美を会わせるために、両親のいる田舎に行くことにした。

 するとシロを心配した晴美は、動物病院かペットホテルに預けようと言い出した。


「だってまだ寒いし、シロも歳だし、この頃痩せてきたから心配なのよ」

「大袈裟だなぁ、たった三日じゃないか」


 次の日の「行ってきます」の言葉に、シロはいつものように「ニャーン」と答えて送ってくれた。

 でも帰ってきた僕たちを待っていたのは、玄関マットの上で冷たくなったシロの姿だった。


「腎臓が弱っていたようです」と、獣医は言った。

 晴美は僕の三倍は涙を流した。


 僕の一生の中で唯一の、悲しい悲しいお出迎えだった。  


 それからのお出迎えは、エプロン姿の晴美の「あなた、お風呂にする? 食事にする?」になり、間もなく生まれた娘のハルカの「パパお帰りなさい、おみやげは?」に変わった。

 

 今思うと、これが一番嬉しいお出迎えだった。


 

 定年退職の年、妻の晴美が癌を宣告され、帰らぬ人となった。


 葬儀の後、結婚してアパート暮らしをしていた娘のハルカが、家を建てて一緒に暮らさないかと言ってきた。

 子供も増えて手狭になったし、お父さん一人じゃ心配だと言う。


「考えてみる」

 と言って帰ると、鍵を開けて住み慣れたマンションの玄関に立った。


「ただいま」と言ってみた。返事はない。


 五十年も暮らした古い古いマンション。

 雨漏りのしみのある壁紙、シロのつけた障子の引っ掻き傷、ハルカの背丈を測った柱の線。

 晴美がいつも立っていた台所。

 お出迎えも、「お帰りなさい」もない、幸せが通り過ぎて行った部屋。

 ――私はここを出る決心をした。


 あれから何年たっただろう? 娘夫婦が、私を老人ホームに入れる相談をしている。

 この家を建てられたのは、私の退職金のおかげじゃないか。それが今では邪魔者扱い。

 たまの外出から帰っても「お帰りなさい」も、お出迎えもなし。


 帰ろう、私の本当の家に。

 私は、昔のマンションの鍵のついた財布を掴むと、電車に乗った。



 すっかり古びたマンション。エレベーターもなしの外階段を三階まで上がる。


 ガチャリ、ドアの鍵を開ける。


「隆ちゃん、お帰り」おばあちゃんがいた。

「ニャーン」シロが玄関マットの上で鳴く。

「あなた、お風呂にする? それともご飯が先?」晴美が笑う。

「パパ、おみやげは?」両手を広げて小さなハルカが駆け寄ってくる。


 私はためらう事なく、私の幸せに飛び込んで行った。




 ――認知症のため、家族から捜索願いの出ていた加藤隆さん(七十二歳)が、昔住んでいたマンションの三階から落ちて亡くなっているのが今朝発見されました。

 マンションは外階段と渡り廊下に面したドアを残して解体中で、誤ってドアを開けてそのまま落ちた模様――


 その死に顔は幸せそうに微笑んでいました。


      

        公募ガイドTO BE-小説工房2021年4月投稿(お題・玄関)



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