後編 それからの二人

 あれから十数年経った。


 龍は猛スピードで空を駆け抜けるように飛んでいた。大切なものが傷ついたと察知したからである。


 カムフラージュのためにも雨を起こしながら、突き進む。きっと下ではゲリラ豪雨または線状降水帯などと呼ばれているのだろう。

 私用でこんなことをするなんて、この世のことわりに反するのはわかっているが、今は緊急事態だ。人間達は何かの理由を付けてこの嵐も何か名前をつけて説明してくれるだろう。


(それはあいつの仕事だな)


 フッと笑ったが、緊急事態なのを思い出して真顔に戻る。なんせ九州で仕事をしていたから目的地の関東まで日本を縦断するように飛んでいる。間に合えばいいのだが、距離がありすぎる。


(人間の飛行機より速く飛べるし、遮るものもない。しかし、どうしてこうももどかしいのか)


 やはり自分に大切なものができたことだろう。ずっと一人で生きていくと思っていたがまさかこうなるとは。


 目的地に近づいてきた。それでも二時間はかかった。急降下しつつ、人気の無いところに探しながら降り、人の姿に変化する。


 そこからは走るしかない。さすがに龍でも乗り物は作れないし、人の物を盗む訳にはいかない。


 だから、人の姿をした龍は自分の起こした嵐の中を走った。


「間に合ってくれ、助かってくれ! 龍也!」


 目的の病院に着いた。中に入ると梨乃が所在なげに座っている。すぐさま、看護師と思われる女性が駆け寄ってきた。


「中野龍也くんのお父さんですね?! 今、手術中です。骨折など怪我はひどいですが、手術自体は順調です。体力もありますし、助かりますよ」


 それを聞いてほっとした。さすが我が子だ。


「安心して、龍也は大丈夫よ。でも、来るのが遅い」


 梨乃は少しだけ不機嫌であった。


「仕方ないだろう、これでも“出張先”から猛スピードで来たんだ。ところで詳しく聞いていなかった。龍也はどうして怪我を?」


「まあ、嵐ではしゃいで眺めてたらベランダから落ちたのだけど、植え込みがクッションになって助かったの」


 梨乃は声を潜めた。


「本当は『僕もお父さんみたいに飛ぶ』と私が止めるのも聞かずに、飛ぼうとして落ちたの。植え込みがクッションになったのは本当。あとはあなたの子どもだから普通の人より強い体だったからね」


「まいったな。今度きちんと叱らないとな」


「龍と人のハーフなんてどんな影響があるかなんて私も手探りよ。人に近いのか龍に近いのかまだまだわからないのに。まあ、飛べないのはわかったわね」


「仮に飛べたら人前で飛ぶなと叱らないと成らないし、厄介だな」


 あれからも梨乃は毎年嵐のたびに見上げて龍を見つめていた。大人になってもそれは変わらなかった。それかきっかけで気象予報士の資格を取り、民俗学の研究者にもなり、民話に出てくる龍の天気現象と気象の因果関係などと称して堂々と研究している。本物がそばにいるが、いろいろ聞いてもよくわからずあてにならなかったせいでもあるが。


 龍は龍で大人になっても自分を見つめて続けている梨乃が気になり、龍が彼女に直接会ったのは五年前だ。そこから二人の子どもが産まれるまでそうは時間はかからなかった。


 龍は人間界での表向き設定は単身赴任中の父親であり、普段は梨乃たち母子で暮らしていることになっている。時々、人の姿になって人間の都合に合わせて会いに行っては人間界での辻褄を合わせている。


「龍也が怪我をしたと聞いた時は気が気じゃなかったんだぞ、だから傘も差さずにずぶ濡れなんだ」


 龍はとりあえず反論する。本当は自分の起こした嵐のためなのだが。


「あらやだ、動転しててタオル渡すの忘れてた」


 カバンからタオルを出して渡しながら梨乃はニヤリとした。


「あなたには本当は必要ないけどね、人間はずぶ濡れだと風邪をひくからと、こうして慌てて体を拭くの」


「人間っていろいろ面倒だな」


「人間の子どもを持っておいて、そんなこと言わないの」


 その時、手術中の灯りが消えた。


 医者と共にストレッチャーに乗せられた我が子が眠っている。


「龍也は、龍也は無事ですか!」


 こうして駆け寄るあたりは龍であっても父親だ。


「えー、先程奥様には説明しましたが、龍也くんはベランダから転落しました。しかし、普通の子どもより体力が強かったこと、植え込みがクッションになり、打撲数カ所、左腕と左足の単純骨折で済みました。手術は成功しましたし、あとは精密検査待ちですが、内出血も見られないので他の内臓にも異常はなさそうです」


 二人はほうっと力が抜けたように大きな息を吐いた。


「さすが我が子だ」


「そうね、いろいろな意味でね」


「どうする? お仕事を忙しい中を抜けてきたのでしょ?」


「いや、龍也が起きるまでこのままそばにいる。そのくらい時間はあるさ。仕事は今日はもう“終わり”だしな」


 外を見ると嵐は止み、雲の隙間から天使の梯子と呼ばれる陽射しが差していた。


 〜Fin〜


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Under the storm 達見ゆう @tatsumi-12

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画