第7話 こちらはどんな異世界ですか?


「私はさまざまな異世界を旅してまいりましたが、このような異世界には来たことがありません。勾玉と神々の和風ファンタジーでもなければ、皇帝と後宮の中華風でも、砂漠と魔法のランプの千夜一夜アラビアンナイト風でもございませんね。


 おおむね西洋風にみえなくもありませんが、例えば東京の街角でシャツにジーンズを着た人がスマホをいじりながらハンバーガーをほおばっているのをみて『この街はヨーロッパ風だ』と言うような違和感があります。数少ない共通点は近代モダンなことだけでしょう。


 それでいて、あなたや他の方――天降石さんとおっしゃいましたか、あの親切な基督教徒クリスチャンの方は――そのお名前は日本語に聞こえます。あちらの掲示板に貼られているお手紙も、漢字や、ひらがな、カタカナ、アルファベットやアラビア数字やメートル法……のようなもの、で記述されているようですし。


 ええ、もちろん、親切な神様が私の言語野げんごやで勝手に翻訳してくれているのでしょう。ヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブルLes Miserables』を『噫無情ああ、むじょう』と訳した黒岩涙香がジャン・バルジャンを戎瓦戎ぢやん・ばるぢやん、コゼットを小雪と訳したように」


 少女が話している間に、轍は豆を挽き終えた。彼は断りなく席を立ち、年代物のドリッパーに粉を入れ、お湯で蒸らす。安い琥蘭コランの豆だが、いい香りだ。むしろそれがいい。現実的だ。アラビアンがトウキョウのスマホのクリスチャンなジャンバルジャンである可能性を否定してくれる。


 轍はふたたび席にもどり、用心深く言った。

「君の質問には後で答えよう。話を戻していいか?」


「喜んで。どこまで話しましたか?」


「君が……あー、地球ちきゅう、という土地から、転移してきたところだ」


「いえ、地球から直接来たわけではございません。先ほども申し上げたとおり、いろんな異世界を巡ってまいりましたので。

 和洋中のファンタジーだけではなく、第三次世界大戦で荒廃した平行世界や、壮大な銀河帝国、サイバーパンクな未来都市、歴史が改変されたスチームパンク風の倫敦ロンドンに滞在していたこともございます。

 そういえば、こちらの異世界はちょっぴりスチームパンクの香りがしますね、蒸気スチームではなく香気パフュームですが――」


「それで《・・・》、だ」轍は決意を込めて言った。「それで君は何をした? 昨日の話をしてほしい」


 少女は「ええ」と心地よく応じた。「気がつけば、空におりまして。少々驚きましたが、異世界転移も初めてではありませんから落ち着いて対処できました。パッと見た眺めから東京タワーの展望台より低い場所、高度100メートルくらいの位置に投げ出されたことがわかりました」


「つづけて」


「そこで文字通り俯瞰ふかん的に物事を見回した結果、ちょうど真下で不幸が起きるところでした。私は自分が為すべきことを考え、おあつらえむきの位置エネルギーを効果的に利用することを思いつきました。運よく携帯していた“日本刀”を引き抜いて――自由落下の速度だけでは間に合わないと思ったので、素早さをアップする“魔法”も使いましたが――そして、あの“ロボット”を斬り伏せて……」


 少女はふくろうのように小首をかしげて、結論を述べた。


「あなたを助けました。ご迷惑でしたか?」


 そこが問題なんだ、と轍は思った。彼は「失礼」と一言ことわって、ふたたび席を立った。粉はじゅうぶんに蒸れていた。円を描くようにお湯をそそぎ、丹念にドリップする。黒い珈琲コーヒーのしずくがポットに滴る音が一滴ずつひびいた。それくらい支部内は静かだ。


 馬車の行き交う音や、飛行艇の遠い風切り音、はしゃぎまわる小学生の声が春風に乗って聞こえる。大学生連中は論文を書くふりをすることに決めたらしい。ノートを閉じたり広げたり、付箋だらけの辞書や専門書をぱらぱらめくったり、鉛筆を鼻の下に挟んで「やっぱり〈竜尾の *〉の人身御供の文化にも言及しないとだよなあ」などと、それらしいことをつぶやいている。


 墨色のしずくがポットにしたたり終えると、轍は棚から安いマグカップを……取ろうとした手を横にずらし、雅蘭ガーランドの淡雪焼 *の茶碗をかわりに取った。雪花石膏アラバスターを彫り抜いたような逸品で、表には天馬ペガサスの絵付けがほどこされている。


 轍は淡雪焼きの茶碗とポットを手にして、席にもどった。

「君が叩き切った動甲冑どうかっちゅうについてだが――」


「ロボットではなく、そう言うのですね。動く甲冑、動力つきの甲冑、動甲冑・・・。たしかに見た目通りの呼び名です」


「……中に人がいるとは思わなかったのか?」


「有人だったのですか?

 無人機ドローンではなく、強化外骨格パワードスーツのようなものだったのですね。

 ですが、人を斬った感触はありませんでしたし、中にどなたもいませんでしたよ」


「搭乗員は君に斬られる直前に〈転移〉したんだ。

 おそらく〈探知のアート〉を常時発動していたんだろう。

 本来は軍用艇ガンシップの砲弾から搭乗員を守るための安全装置だが、今回は高度100メートルから来襲する“君”に反応したわけだな

 自機を破壊可能なエネルギーをもつ高速飛翔物体の接近を〈探知〉したら、すぐどこかへ〈転移〉するよう、あらかめじめ設定していたんだ」


「それはよかった。ひと1人を救うために、またべつの命を奪うのは、あまり倫理的とは言えません」


 一瞬、少女の瞳にかげりが見えたかと思いきや、即座に「では――」と片眼鏡モノクルを光らせ、その下の金糸雀カナリア色の眼をさらにらんと輝かせ、「今度は・・・私の質問に答えていただけますよね?」「――いや、それは後で――」「この異世界の名前はなんですか? この地域の名前はなんですか? 西洋風でも東洋風でもないので大変興味深いです」「――その話は後にし――」「いま私たちがいる国の名前は? できれば亜米利加アメリカ合衆国や、大不列顛グレートブリテン及び北愛蘭アイルランド連合王国のように正式名称でお願いします」「――だから待っ――」「この都市の名前はなんと言うのでしょう? 個人的には、大正浪漫の東京や、新しい芸術アール・ヌーヴァーが栄えた良き時代ベル・エポック巴里パリ土耳古トルコ伊西担布爾イスタンブールや、青の都・撒馬児干サマルカンドを連想しますね」「――言ってる意味がわからな――」「こちらの異世界の“魔法”はどんなシステムで動いているのです *? エーテル? マナ? それとも三大SF作家のひとり、アーサー・C・クラークが言うところの“魔法と見分けがつかない高度に発達した科学”ですか? 技術レベルはどの程度でしょう? すくなくとも産業革命以降ですよね? 馬車と飛行艇が共存する文明はどのように発展したのでしょう? ガソリン車やジェット機に相当する輸送機械はないのですか?」「――いや、だから――」「ああ、失礼しました。あなたのご職業を尋ねるのが先でしたね。騎行師きこうしとは何ですか? 遍歴の騎士の現代版? シリアスな正気のドン・キホーテ? ハードボイルドな円卓の騎士? こればかりは私の言語野に宿る神様も造語に頼らざるを得なかったようで、とても興味が――」


「だから待て!」轍は叫び、控えめに声を落とす。「……その前に、君に言わなければいけないことがある」


「わかりました。お聞きします」


 少女は素直に従った。命じられた猟犬を思わせる素直さ。


 轍はため息をつく。彼はひとつの結論を出していた。昨日の出会いと、これまでの取り調べの内容、春の陽気にもかかわらず彼女からほのかに漂う星月夜ほしづくよの気配、そして何より彼女自身の主張が明白な事実をさししめしている。


 彼女は本物の――狂人だ。


 なぜか〈地球〉という架空の世界の存在を心の底から信じている。とんでもなく膨大な妄想体系を持っている。むろん、それだけなら瑞燈ストア医科歯科大学の精神病棟につっこんでおけばいいが、彼女は骸靼スコルター製の動甲冑を叩き斬るスキルの持ち主であり、しかも……さらに――おのれ、畜生。


 轍は拳を握る。それから平静をよそおいつつ、鴉洲アシュール*珈琲儀礼コーヒー・セレモニーの作法どおり、肩の高さから墨色の小滝を純白の茶碗にそそいだ。琥蘭コラン種の豆の特徴である、乾いた木のような香ばしい匂いがふりまかれる。


 少女は興味深そうに一度まばたきをした。


 珈琲コーヒーをそそぎ終えると、轍は天馬ペガサスが描かれた表側を向けて、白い茶碗を少女へさしだした。


「君は命の恩人だ。ありがとう」


 認めがたい事実だが、事実は事実だ。相手が狂人であろうと何であろうと。


 礼を言われ、少女は古代龍国の聖人像のように微笑んだ。生前の彼らは善良な虚無主義者ニヒリストだったという。


「どういたしまして」


 彼女は茶碗を手に取り、半分まわした。天馬ペガサスの絵付けが轍を見上げる。


 べにをさしていない桜色のくちびるに、純白の茶器がふれる瞬間、彼女は手を止めた。


「ミルクとお砂糖、いただけます? できれば、お茶けも」


 どうやら“地球人”は注文と質問が多い種族らしい、と轍は思った。


 もちろん、彼女の妄想の中での話だが……。

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 訳註


*竜尾の女……〈失われた千年紀〉(前1000年頃‐前0年頃)における女戦士。軍団の最後尾に予備戦力として控えていたため、こう呼ばれる。後方から〈アート〉を放ち、味方を援護した。自軍の男たちが劣勢になると前線に突入した。

淡雪あわゆき焼き……雅蘭ガーランド楡郡にれぐん伯爵領、白樺郷しらかばごう淡雪あわゆき村の特産品。この村でとれるチーズのような白い粘土(磁土)は、焼かれると凍ったミルクのような美しい白磁になる。この白磁が“淡雪焼き”と呼ばれる。芸術品、贈答品、民芸品としての人気もさることながら、実用品や工業用品としても評価が高い。特殊な無重量製陶の技法で焼かれた“淡雪焼き”の刃は、軽く、錆びず、金気がうつらないという陶磁器セラミック製品の利点を持ちながら、弾性が低く、刃こぼれしにくいという欠点は免れている。しなりと粘りがあり、欠けにくいため、包丁や鋏などの民具や切断用の工具に用いられる。現在では術具の精密部品にも用いられている。

*こちらの異世界の“魔法”はどんなシステムで動いているのですか?……“美”の破壊を通じてエントロピー(混沌性)を生み出すことによって、虚空から汲み出した原初的エネルギーを、人間の意思と思惟によって制御し、創造し、解放する。“美”となる触媒は、宝石、香水、貴金属、人間その他の生物など。

鴉洲アシュール……鴉洲アシュール大公国。〈内つ国〉地方の立憲君主制国家。古風な農民の国として知られる。〈五大国〉のひとつ。

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異世界翻訳小説『ラピュタ解放』 @LaputaLiberation

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