第6話 地球から来た少女

「あらためてお尋ねしますが、この異世界の名前は何でしょうか?」


 轍はその質問を無視した。


「君の名前は?」


「セツナと申します」


「名前の意味は?」


「こちらの異世界の文化は尊重していますが、あなたのお名前は――」


わだち


「そう、山道さんどう・轍=燕雀えんじゃくさん。『山の道の、車輪が通った跡の、小鳥』という意味でしたね。詩情あふるる良いお名前です。侘び寂びを感じます」


「どうも」


「ですが、私が生まれた世界・・では、名前を詩にする文化がございません。ですので――」


「つまり、抹独マルドック人だな?」


「マルドックとはどこでしょう?」


「ふざけてるのか?」


「ふざけてはおりません」


「君の出身は? 国籍は?」


「地球、日本、岩手イーハトーブです」


伊鳩府イーハトーブなんて、土地の名前は聞いたことがない」


「失礼しました。宮沢賢治が好きなもので少しジョークを。ふつうに岩手県です。民話で有名な遠野とおの市の生まれで――あ、この異世界にも河童かっぱはいますか?」


「いい加減にしろ!!」


 轍は拳でテーブルを叩いた。その物音に近くの座席の大学生グループがふりむく。先ほどから、ちらちら見ていたが。


こう協会まな区支部〉は開放的な造りで、どちらかと言えば、戦士の砦というより、骸靼スコルター風の酒場喫茶に近い。


 いまは無人のバーカウンターは、えある支部の歴史において数多の祝杯と茶と珈琲コーヒーがこぼされ美しいあめ色に変色した杉材で、もとをたどれば唯一王威主弖馬イシュテバアル*の大天幕の柱につかわれた由緒ある下賜品だと言い伝えられている。(ちなみに“唯一王の大天幕の柱に使用された”世界じゅうの木工品の総量を合計すると、瑞倫スロウンの年間木材消費量に匹敵するという都市伝説も、まことしやかに言い伝えられている)


 扉は開けっ放しで、敷居には桜の花びらが吹き溜まり、寄木細工の床にまで散らばっている。春風が吹きこむたびに、コルクの掲示板に貼られた依頼状がはためく。これらの依頼状は騎行師の三戒さんかいの第二戒――なんじ、すべからく協会の任務つとめ、民の依頼たのみに忠義を尽くすべし。ただし、第一の戒律を破る折は、この限りにあらず――にのっとって処理され、あるものは受諾され、あるものは拒否される。


 だから例えば、「呂謬ロヴュール*の“堕龍ダロン暴力団*”へ取材にでかけた国際経営学部の生徒と3日前から連絡が取れないので調査してください」という伽藍堂学院大学・学生課の依頼状はすでに受託されて朱印がされているが(担当の騎行師は気の毒だ)、「魯檸檬土ローレモント赭龕シャガーン*騎士団領に鰐革わにがわの鞄を買いに行くから誰か一緒につきあってください♪(美形の騎行師さま限定!)」と可愛らしい丸文字で書かれた依頼状は筆跡鑑定されたのち、瑞燈ストア教育大学付属小学校の女学生のイタズラだと突き止められたうえで、厳重な注意書きを付されて、さらしものにされている。


 南側のステンドグラスはキメラ鳳凰フェニックスの争いが描かれたもので、差し込む春の陽射しを虹色の泡や波紋にして、のどかな日曜の午後の室内を満たしている。『平和』という題名の一枚の絵画を思わせる光景だ。


 だが、取り調べには向かない。


 轍はうめいた。できれば、地下の防音室を使いたかったが、いまは使用中だ。

 ほかの騎行師は出払っており、部屋の角の四人がけのテーブルには常連客の大学生グループがたむろしている。まるめろ大学・人類学部の連中だ。くすくす笑って、肩を小突き合っている。


「大きな音をたてて申し訳ないが」轍は彼らに言った。「なんでもない。なんでもない・・・・・・から、〝〈つるぎと魔導の王國おうこく*〉の後期文化における思金おもいかね*恋なすびマンドラゴラ*が人類の性淘汰に及ぼした影響について〟の話をつづけろ。それくらい退屈な話だ」


 彼の醜い左の半面にも利点があった。表情が怖く、声もひしがれて、年齢不相応な畏怖を相手に与えるのである。大学生たちは、とつぜん茶藝ちゃげいに目覚めて、青磁の茶壺でぬるい緑茶をいれなおしながら、第一次世界統一王朝における性淘汰の話にもどった。少なくとも、そのふりをした。


 轍は“地球から来た少女”に向き直り、言った。


「話を整理しよう」


「その前に喉が渇いたので、できれば、なにかお飲み物をいただけますか?」


「いいだろう……」轍は歯を食いしばり、騎行師らしく丁重に応えたが、それは飢えた獣のうなり声とほとんど変わりなかった。「……紅茶か、緑茶か、加加阿ココアか、玖瑁璃クマリ*か、珈琲コーヒーか?」


「では珈琲コーヒーで」


「……豆は?」


「選べるんですか?」


「選べない。琥蘭コラン*種だけだ」


 轍はバーカウンターの裏から豆を引き出し、手動のコーヒーミルにつめこみ、座席にもどった。


「もう一度、確認しよう。昨日さくじつ、3月27日土曜日、紀元1713年、蒼 *852年に君は――」「――その“蒼穹”というのは元号ですか? 平成とか、令和のような?」


君は・・――」と、人の首を絞める力をこめて、コーヒーミルをゴリゴリと挽きつつ、轍は言った。「九頭龍クトゥルフ教団の同時多発テロの現場に居合わせた」


「クトゥルフ」と、少女は軽い驚きの声をあげる。「こちらの異世界には邪神が実在するんですか? H・P・ラヴクラフトもさぞ驚くかと――」


「神なんていない。人の頭の中を除けば」


「では妖精エルフは?」


「いない」


妖怪ゴブリンは?」


「いない」


矮人ドワーフも?」


「いない」


 いない《・・・》、と言うたびに、轍はコーヒーミルのハンドルを回し、豆を粉砕した。


「となると、魔族や神族、その他の一般的な異世界にみられる自動人形オートマトンや、吸血鬼ヴァンパイアなども――」


「いない。人の言葉を喋る生き物は、人間以外にいない。ヒト科ヒト属のホモ・サピエンスだけだ。これで満足か?」


「なるほど。多様性に乏しい異世界なんですね。承知しました。お話を続けてください」


「あそこで何をしていた?」


「異世界から転移してまいりました」


転移テレポートを使えるのか?」


「こちらの異世界では実用化しているようですね。ですが、よりランダムで、より壮大なものです。私は次元を越えて、この異世界にやってきました」


「へえ、すごいな。特許を取ったらどうだ?」


「特許。へえ・・、つまり、こちらの文明はわりかし進んでらっしゃるんですね」


 と言うと、少女は支部内をかるく見回す。


 少女は室内装飾にひとつずつ目を留め、ラフな青いローブ姿の大学生グループをちらりと見て――(そのうちのひとりと目が合うと、古代龍国りゅうごく*の聖人像のような古風な笑みをみせる。大学生はなぜか本能的な恐怖に駆られたように、あわてて目をそらした)――それから掲示板の依頼状を読むように片目を細め、最後にキメラ鳳凰フェニックスのステンドグラスをしげしげとながめた。


「こちらの異世界は、和洋中どのジャンルにあたるのでしょう?」少女は不思議そうに言った。

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 訳註


*威主弖馬イシュテバアル……(前29年‐36年)第三次世界統一王朝〈てつの王国〉の初代君主。一代で中央大陸と4つの大陸を征服した。

*呂謬ロヴュール……大呂謬ロヴュール同盟。〈内つ国〉地方の呂謬ロヴュール半島に位置する連邦制国家。〈内つ国〉では珍しい多民族国家・多文化社会。

*堕龍ダロン暴力団領……螺逸ライツの旧属領・螺逸ライツ領西呂謬ロヴュール湾岸主権基地領域から螺逸ライツ軍が撤退した後、犯罪者、浮浪者、武装難民が占拠して生まれた地域の俗称。

*赭龕シャガーン騎士団領……正確には『赭龕シャガーン騎士団連合領』。より正確には『赭龕シャガーンにおける〈あまねき騎士団〉主権軍事南東内つ国分団及び〈しこ御楯みたて〉騎士団連合』。魯檸檬土ローレモント聯盟を構成する選挙君主制の軍閥。主な産業は歓楽と商業。飛行の〈アート〉を利用した、無重力下でダンスを踊れる舞踏場などの観光名所も有名。

*つるぎと魔導の王國おうこく……(前1300‐前1000年)第一次世界統一王朝。実際の支配領域は中央大陸の〈中つ国〉地方に限られ、その政体も諸国と諸部族の連合、あるいは同じ価値観や技術水準を有する文化圏に近かったとされる。

*思金おもいかね……〈アート〉の触媒に用いられる金属。〈失われた千年紀〉(前1000年頃‐前0年頃)にほぼ枯渇し、現代では宝石や香水で代用されいている。

*恋なすび《マンドラゴラ》……媚薬の一種。男性の性的魅力を補うソフトな媚薬、体身香たいしんこうの材料に用いる。

*玖瑁璃クマリ……茶と珈琲に並ぶ嗜好飲料。男女の性欲と生理を緩和する作用がある。

*琥蘭コラン……大琥蘭コラン連邦。琥蘭コラン小大陸の大半を領有する連邦制国家。珈琲コーヒー豆が特産だが、品質の差が大きい。

*蒼穹……〈鐵の王国〉第50代唯一王・劔王けんおうの元号。紀元761年に劔王が崩御し、〈鐵の王国〉が無政府状態に陥った(崩壊した)後、新たな唯一王が選出されなかったため、当時の元号が現在も使われている。

*古代龍国りゅうごく……現在の〈中つ国〉南部で成立した地域帝国を指す用語。成立した年代によって北龍ほくりゅう(前????年頃‐前1300年頃)、南龍なんりゅう(前300年頃‐10年頃)に呼び分けられる。

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